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ひとみん指導案検討会に参加して

自分だけのものが見える

何も分らず、何も見えない、手探りでうろつき廻り、悲願をこめギリギリのところを這ひまはつてゐる罰当りには、物の必然などは一向に見えないけれども、自分だけのものが見える。自分だけのものが見えるから、それが又万人のものとなる。芸術とはさういふものだ。
(坂口安吾「教祖の文学」より)

詩を作る,という言語活動をゴールに「大造じいさんとガン」を読み解いていく指導計画に,僕は初め違和感を覚えました。
・散文と韻文の魅力の良いとこ取りは小学生にはハードルが高くないか。
・詩を作ることに力点が置かれてしまうことで「大造じいさんとガン」の魅力を十分に読み取れないのではないか。
しかし検討会に2回参加して,ひとみんさんのやろうとしていることと,その思いは十分に理解ができました。
冒頭の安吾の言葉,「自分だけのもの」がひとみんさんはしっかり見えているからです。

情景に語らせる

2回目の検討会はひとみんさんの模擬授業動画について協議しました。
「情景描写っていいよね」という発問にひっかりました。それに子供たちは「いいね!」と返すでしょうか。言わせるためには,情景描写の価値を存分に学ばせておく必要があります。
情景描写には場面の様子を想像させる手助けをするだけでなく,直接表現されていない内面にある深い心情を、想像を広げながら読ませる効果があります。
読み手に委ねる余白が多い表現法です。
これに着目し,詩を作ることに活かしていくのは相当ハードルが高いと思います。どれだけひとみんさんがその下積みをしてきたかがポイントになります。
一方で,「詩」は多くを語らず,想像力を膨らませながら読むもの。そう考えると,ひとみんさんの取り組みは間違っていないのではないか,と思うようになりました。

雄弁な沈黙

僕は社会科ではなるべく少ない資料に「語らせ」たい,と常に思っています。たくさんの資料からラテラルな読ませ方をする力もこれからは大切ですが,じっくり一枚の資料に見入る粘り強さも必要だからです。
適当な例えではないかもしれませんが,僕はあだち充の「タッチ」で上杉和也が事故死後,両親や達也,南が多くを語らずに表情で深い悲しみを表現しているシーンが,情景描写のように思えます。
また,昨年映画化された井上雄彦スラムダンクの山王戦,残り数秒で花道が逆転のジャンプシュートを決める場面も「左手はそえるだけ」というせりふ以外は描かれていません。そこに息をのむ緊迫感が描かれていました。
すいません。
分かりづらい例えでかえって伝わりづらくなってしまいました…。

たくさん説明しない情景描写を詩に活かそうとするひとみんさんのねらいは,やはり間違っていない,と協議会を終えて考えました。

今回のNEXT企画,大変楽しみです。ひとみんさんがやりたいことをやるべきです。謙虚な方なので,皆さんの意見を真摯に受け止める姿勢が素晴らしいと思いますが,それにくれぐれも振り回されないように。
大切にすべきなのは受け持つ子供たちとひとみんさんとの温度感。
準備の熱量は十分に出力されています。
4月からきっと有意義な時間を過ごされてきたと思います。ひとみん学級にしか「見えないもの」があるはずです。
そこで子供たちと紡いできたものを信じましょう。
              授業てらす2期生 ちんぺー_河根 慎一

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