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初投稿となりますが…。

 北京2022オリンピックもいよいよ大詰めを迎えています。
 今回は、目下、報道でもしばしば取り上げられている、ある騒動について、読んで心にのしかかったように感じたある文面をご紹介させていただきます。
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 ROC(ロシア・オリンピック委員会)の15歳の少女のドーピング問題を見ていて、つくづく、大人というのは自分の責任を人になすりつけるのだなぁと、とても残念な感心をした。

 実力では確実に金メダルが獲れる選手に対し、もし彼女がメダルを獲れば授賞式は行わないという方針を出したIOC(国際オリンピック委員会)。

 そもそも、本来なら試合に出場することを停止しなければならないのに、精神的に未熟な15歳を守るためと称して「試合には出てもよいが、彼女がメダルを獲れば、授賞式は行わない」というダブルバインドな方針を示した。

 大人がしなければいけない決断を、15歳の少女の行動の結果に押し付けた。

 彼女のコーチは、試合に出場し何度も転倒した教え子に対し、どうして途中で戦うのをやめたの、と責任を本人に押し付けた。

 どれほど彼女が悩み苦しんだのか、本当にわかっていないのだろうか。
いや、そうではなく、やはり意識的にか無意識的にか、自分の責任を回避しようとしているのだなと…。

 「どうして…」という疑問を投げかけた時点で、それを言った側は、圧倒的に有利な立場になるのだと思う。

 例えば、試合が終わった直後に、15歳の選手がコーチに向かって「どうして私を試合に出させたの」と言っていれば、選手の方が有利な立場に立てたのかもしれない。

 だが、そんなことは、追い詰められたまだ若い選手にできるはずもない。

 彼女の目にまわりの大人たちは、どう映っただろうか。

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 若者に対し、そのような言動をとるならば「大人はずるい」と言える。しかし、それが大人どうしであれば、ある意味言ったもん勝ちとなってしまう。

 疑問を投げかけた側が、有利な立場に立てる可能性は高いのだ。

 自らを省みたとき、自分も子どもに対して、知らぬ間にそのような言葉を投げつけているのではないかと、不安になる。

 今回の騒動を目にして、周りの大人の対応にふと思い出したことがある。

 数年前の大学アメフトでの、悪質タックル問題。

 本人は、確か監督やコーチ達より前に、それもたった一人で、記者会見をし、世間に顔をさらし、騒動の矢面に立った。

 世間から「周りの大人が悪い」と非難されると、やっと複数人で記者会見した監督とコーチは、学生本人が指示を間違って受け取った、と責任を転嫁した。

 大人は責任を回避するのがうまい、と思うと同時に、自身も自分の子どもに対し、本人の判断と称して、子ども自身に責任を擦り付けているところがないか…と考えさせられる。

 若者から見た、ずるい大人というのは、自己保身に走るその姿なのかもしれない。彼らはそれを、その若い感性で、敏感に感じ取っているのかもしれない。

(1013文字)

※冒頭の写真は、たまたま通りすがりに撮影した、名古屋城西北隅櫓です。真っ白な光に照らされて、少し物悲しさを醸し出しているかように感じたのは、筆者の心持ちからでしょうか…。

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