ドラゴンヘッド

 ドラゴンヘッドっていう漫画がある。
望月峰太郎が描いたやつだ。
 第一刷発行は1995年だけど、私が読んだのは10刊まで揃うのを待った2000年に入ってからだと思う。
 その時、スゲーなぁ。と思ったことは覚えているけど、細かい内容は忘れた。
 覚えていたのは、修学旅行の帰り東京に向かう新幹線の中でトンネルに入る前に見たことのない空を見る。
 それが始まりで、何が起きたんだか分からない世界に放り出された高校生テルの行く末の話。
 地震なのか戦争なのかテロか核か、瓦礫と化した世界に放り込まれる。
生き残った人々は恐怖の中で殺し合い食料を奪い合う。
 そこに頭に手術痕の、感情を失った人が現れる。
東京の我が家を目指すテルと、生き残り友人のアコ。
 結局何があったのか、何がどうなっているのか分かりづらくて結論がハッキリ出ない
まんまで終わるその話は、私の中に不思議な余韻をずーっと残しておいてた。
 その漫画を今回また読んだ。

 2001年に私の新たなスイッチが入った。
それから以前にも増して脳ミソと精神に関する専門書を読むようになった。
 そして、前に読んだ時には分かっていなかったことを発見した。

 大体が題名なんだけど、最後の頃に出てくる龍頭(りゅうず)の名前から龍でドラゴンなんだが、頭でヘッドだと単純に解釈していたと思う。
 あの時もちゃんと読んでいた筈なのにそれだけじゃなかったことに今回気が付いた。
 脳の中で恐怖を司る部分が海馬で、恐怖で生きることが出来なくなった龍頭はそこにメスを入れられていたのだ。
 日本がゴチャゴチャになって人の精神も崩壊していくことばかりが、印象に残っていたが、今回読んで感じたテーマは、“恐怖”だった。
 私が恐怖お化けになった2001年から今回が始めての再読。
この世は人間のイメージで作られている。
 恐怖は、動物が生き残る為に必要不可欠なもの。
でも、恐怖が人間を不幸に陥れる。
 人間が爬虫類だった時から残ってきている海馬は、タツノオトシゴの形に似ていることからその名が付いたと聞いたことがある。
 その海馬を切り取ることで恐怖を感じなくなった人間が、恐怖を求めて自らの手を焼きナイフで切り裂き、切り落としていく。
 生きているリアル感をなくした人間によって、出来ていった世界が破滅していく。
 って、破滅するかどうかも分からない感じだったなぁ、あの最後は。

 また、お得意の論理に入るよ。
実感を持たずに絵空事でペラペラと語る人が増えた気がする。前からか
 自分の意見は持たずに高みから語る人が増えた気がする。前からか、
「原発は怖いと思いませんか?」と聞いた時、
「でもね、電気がなくなったら困るのはあなたなんですよ」
「じゃなくて、怖いと思いませんか?」
「そういう、あなただってその恩恵を受けてきたんですよ」
「いやいや、怖いと思うか思わないかを聞きたいんですけど」

 何を怖がっているのか、いつの間にか正直に自分の気持ちを話すことをしなくなった。
 そして、ちゃんと怖がらなくてはならないことを誤魔化して目を背ける。
 本当はイヤなのに、下ネタ、セクハラ、失礼な言動、イジメなど、それをイヤだと言う事が悪いことのような気がして言わない(言えない)何かの縛りを、私は感じる。

 一昨日5月19日は“ミツバチの羽音と地球の回転”
昨日5月20日は、原発再稼働に対する “どうなる、どうする東海第二原発”の講演を聞いてきた。
 分かり易かった。
それを近日中に、更に簡単にしてここに載せたいと思う。(出っきるっかなー)

 人はクリアーになれば、正しい答えが自然と現れ出てくる。んじゃないかな。
 では、どうしたらクリアーになるか、それは、正直に素直になることだと思う。
 意固地になったり、ムキになったり、体裁を取り繕ったり、闘争心を燃やしたり、損得勘定で動いていると心が濁ってくる。
 
 怖いと思う気持ちは、生き残る為に与えられた能力の一つだという。
それを慢性の予期不安としてしまうと、自らの首を締めあげていく鬱という病気になるが、怖い、という計算でない第六勘は、機械には分からない危機を察知する。
 それが、正しく作動するかどうかは、やっぱり、クリアーな心、気持ち。
つうことで、なんの話だっけ。
 そうそう、ドラゴンヘッド、日本中がムチャクチャなのに核はどうなったのか隠されていた。つうんだけど、本当にあんなことが起きたら日本にある原発で、世界も全滅だね。 

 と、考えていたら、大正から昭和初期に色んな預言をした出口王仁三郎と彼と養子縁組して母親になった出口なおの預言を思い出した。
 王仁三郎は
「日本の人口が3、500万になる程の大動乱(北海道から三陸に押し寄せ、戦となり
東京には原爆、水爆、アメリカが攻め入る)非道な殺戮がある期間続き残された身魂(全身全霊)は再び原始の生活に還る。」という。
 そして、「空から流星が降り、それをきっかけに地軸を揺るがす大激変が起こり地球全土が修羅場と化す。」という。
 それから「ありとあらゆる大掃除が行われた後、岩戸は開かれ祭政一致の世となり地上天国が顕現する。」と言っているらしい。

 なおは
「このままにしておいたら日本は外国に取られてしまって世界は泥海になるから
末法の世を縮めて松の世にして、日本神国の行状(おこない)を世界の手本にして
外国人を従わせて 万古末代動かぬ神の世で三千世界の陸地の上を守護いたして、
神、仏事、人民を安心させてやるぞよ。
 そこになるまでに世界には、もひとつ世の建て替えの大峠があるから、一日も早く改心いたして、神にすがり誠の行いに替えておらんと、
今までのような 

我さえよければ人は転けようが、倒れようが見向きもいたさん精神(こころ)では神の戒め厳しさから、到底この大峠を越すことは出来んぞよ」と言う。

 出口なおは、貧しいゴミ拾いのワケの分からないことを喋る気違い女とされていた。
 それが、火事を言い当てたことから放火犯として捕らえられるが、牢獄で自動書記をする。
 なおは、文盲(字の読み書きが出来ない)だった。
その後、宗教に担ぎあげられて行くことになって、王仁三郎を養子に迎えるのだが、教祖みたいなもので、話を大きくしていった部分はあるんじゃないかと、私は思う。
 でも、彼らの預言が当たってきたとか、外れたものもあっただろう。という部分に焦点を合わせていては大事なモノが見えなくなる気がする。

 ファチマの預言で、その大警告を乗り切る方法は、
「祈り、良心を正し、希望の光を見失わないこと。」だという。

 なおは、この大峠を越すには、
「改心し、神にすがり、誠の行い。」だという、“誠の行いに替えておけ”と言う。
ということは、誠の行いが出来ていない。ということだ。
 

これを”なお”が書いたのは、 明治35年、3月11日だった。


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