森によるハットトリック

森オリンピック(前会長)が、「女は話が長い、それに一人が話し出すと自分も話さなくちゃとなるんでしょうな。そして、我も我もと話し始めるから会議が長くなって困る」と言った時、意を唱える者は居なかった。諫めるどころか、意見を言う者が一人も居なかった。それどころか、笑い声があがっていた。

そのビデオが公式の場に出た。

その発言は女性蔑視だ。という反発があり、森はオリンピック代表を辞任するに至った。後任に川淵という者が、森が推薦して決まりそうになったが、川淵が「森喜朗に相談役で残ってもらう考えだ」と言ったことで、何故川淵がなるのか?どうして決まったのか?という世論によって、川淵は、受けないことに決めた。

そして、様々な名前があがって、橋本聖子に決まったが、公に論議することなく決まった。

そうなると思ってた。話は、前回書いた。橋本聖子と森喜朗との関係、このへんで女を投入することで世論を味方に付けようとする策略、今は傀儡となっている橋本聖子。

川淵は、森から話があった時もらい泣きしたと話し、その話を受けないことにしたことを話す時に、「僕の対応が悪かった余計なことを喋った。言ってしまった」と言った。森も「口がすべってつまらん事を言ってしまった」と言った。

言葉は、普段の思考が現れる。思考は言葉になってこぼれ落ちる、言葉は行いになり、行いは習慣となって身につき、習慣はその人の性格となり、性格は、そのまま、その人の運命になる。

ウッカリ出る言葉にこそ、その人の思想哲学、生き方がこぼれ落ちる。

「今度のオリンピック代表には女も入れよう、文句が出ないように」という声を聞いた。そういう認識、思考での選考。

医大の試験で女ということで、不合格にするという事例があった。女は虐げられてきた歴史があるから、少しは優遇しても良いのではないかと言う声を聞いた。

が、それは、話が道理から外れてしまうのでないかと私は思う。辛い目にあったから甘やかしてもイイという考えは、折角の辛い体験から得る宝を腐らせて、甘えと思い上がりという次の辛いパターンの連鎖に繫がる。

何時如何なる時も、その時点に於いて何モノにも媚びず、恨み辛みを超えて、白紙になって最善を尽くす。それは、過去も未来もなく今に生きるということ、爾今。

今回の森の事例から学ぶ事は多い。先ず、その事実をあげる。

①権力を持った者の組織の私物化。

②女性蔑視、差別と、差別の気持ちに気付いていないこと。

③意見を言えない組織であること。言えるような雰囲気でなく女は話が長い。と言われるような場所である。

④透明性がない。公明正大でない。

⑤政治に利用されてきたオリンピックが、オリンピックの精神に基づいていない。

⑥首のすげ替えで終わらせようとし、根本の改善がない。

私は、森喜朗にしても、川淵三郎、橋本聖子、みんな、っていうのは自分も含めて、今までのノーマルの縛りによる犠牲者なのではないかと思う。

これが正しい良いことだ。という思い込みから、ニューノーマル新しい常識が生まれたのか、目覚め始めたのか、動き出しているのを感じる。

マヤ暦が変わったのが2年前だっけかな、去年暮れ西洋占星での土の時代から風の時代に200年振りに移ったと聞いた。

私は、トップやリーダーが変わることで変わる時代は終わりを告げる時が来ているのではないか、ちゅーより、元々人間の軸やリーダー、幸せっていうのか、悟りの核は個々の中に有るのではないかと思っている。そう思ってきた。

個々の目覚めが、この世を変えていく流れをワシャ感じていて、そのきっかけの石となるハットトリックとなったのが森喜朗なんじゃないかと、思うと同時に、自分もアナタも同じ穴の狢(むじな)であることを忘れないようにしないと危険だよねー。






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