(Quoraから)仕事で「これは大変だった、今思えばよく出来たな」と思ったことを教えて頂けますか?
大卒で就職して2年目、海外の取引先から講師として3名のオッサンが来日、2週間を一緒に過ごしました。
福岡・大阪・東京・仙台を拠点として、シーティングという機器の製品セミナーを開催。移動はすべて新幹線で、宿泊はビジネスホテル。当時はまだノートパソコンはなく、ネットで調べるということが出来ない時代でした。それ故、広辞苑(ご存じ?)のような英和和英医学辞書を携帯し、2週間分の荷物を引きずりながら、通訳兼ツアコン的役割で同行していました。
何せ入社2年目で、シーティングについての専門用語がおぼつかない状態で任されたものですから、ほぼセミナー前夜に渡されるセミナー原稿と毎晩格闘していました。夜のお酒にも付き合ってへろへろで部屋に戻り、時には手洗濯しなくてはならない状態。睡眠時間は今思うと4時間くらいずつしかなかったような気がします。
最初の頃のセミナーで、社長が会場にいました。私は初めて整形外科のドクターや作業療法士を前に緊張しまくり、ぼろぼろの通訳しか出来ず、セミナー後にものすごく叱られ、泣きました。各所の営業マンからは、新人なのに…と同情してもらっていました。しかし、叱られたこと泣いたこと同情されたことは記憶になく、後から聞いて、へぇ~?状態です。毎日目の前のことに必死すぎて、記憶も飛ばしていたみたいです。
そのツアーも中盤に差し掛かった頃、「今日の夜は解放してやるよ」と、営業マンに言われました。えっ?ほんとに?実は、その日の宿泊先は、大学時代のクラスメイトの居住区にあったため、連絡を取れるように電話番号を控えていたのです。連絡してみると、「最近車の免許を取って、新車に乗ってる。私はまだ運転が怖いけど、ジュディが運転してくれるならレインボーブリッジへ行こう」と誘われました。
レインボーブリッジは出来立てほやほやで、行きたい~となったのですが、まだカーナビもない時代。助手席で眼鏡をかけて地図を見ながら指示する友達。ひやひやもののドライブでしたが、美しいレインボーブリッジを渡ることが出来ました。
さて、そんな楽しみもありつつ、最後の目的地の仙台へ。急に新幹線が小さくなりました(巨体のオッサンたちとの比較で?かと思いましたが、狭いですよね?)。最終日を終えて、早く自宅の畳で寝たい、今日こそはゆっくり寝られる!と最後の晩餐を終えて帰路に就こうとしたら、台風直撃で電車が完全にストップ…。
それを見ていたオッサンたちは、「ジュディママにはずっと世話になったから、今日は部屋をプレゼントする」と言ってくれたのです。ホテルのフロントで空き部屋を確認してもらったら、もう3人用の和室1室しか残ってないと…。「いいよ、そこで」かくして、私は2週間ぶりに畳の上で休むことが出来ましたが、興奮冷めやらぬ状態で眠れませんでした。
若かった~!そして、世間知らずでした。でも、そういう時期であったからこそこなせた仕事でした。今、ネットがありカーナビがあり、当時よりはマシな言語能力がありますが、同じことはもう無理ですネ。
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