どう考えたら「乳がんになって良かった」と思えるのか?
少し前になりますが、ピンクリボンシンポジウムに参加してきました。
日時:2018年9月30日[日]13:00〜16:40(12:00開場)
講師:保坂 隆 先生(保坂サイコオンコロジー・クリニック院長、聖路加国際大学臨床教授、前聖路加国際病院リエゾンセンター長・精神腫瘍科部長)他
場所:有楽町朝日ホール
当日は台風の到来で交通機関の心配もあり、講演時間が短縮されたため、保坂先生的に十分なお話いただけたかわかりませんが…
保坂先生のお話、結論を言えば、乳がん患者さんは告知から2年くらいすると「乳がんになって良かった」と思えるようになるようだ、という症例をご紹介頂いたように思います。
どう考えたらそう思えるようになるのかというのは、講演のポイントとしてあげられる、以下の通りでした。
①病気になった「原因」探しではなく,「意味」を考える
②心的外傷後は「ストレス障害」だけではなく「成長」することもある
③病気をキッカケに「第二の人生」が始まる
私は個人的に③が大きいと思っています。
先に亡くなられた聖路加国際病院の日野原重明さんは、その著書の中で、1970年3月31日に起こったよど号ハイジャック事件を機に、「生まれ変わった」という表現をされています。日野原さんはまさに事件のあったよど号の、機上の人でした。犯人にハイジャックされた時、死を覚悟したと言います。「生まれ変わった」。つまり一度は死んだ、死ぬはずだったのだ、と。
無事解放され大地に降り立った後、せっかく再び命を頂いたのだから、これからは他の人に尽くす日々を過ごそうと、奥様と誓われたそうです。
私にとってのよど号ハイジャック事件は、乳がんです。
今世の中では、「癌は治る時代になりました」なんてキャッチフレーズをよく聞きますけれど、できた部位、その性質、悪性度、見つかった時の進行度等によっては、まだまだ完治の難しいケースが沢山あります。そういう自分もいつ再発転移するかわかりません。局所再発でない限り、完治は見込めないのが乳がんの転移です。
自分の細胞レベルで、体は一度寿命を迎えたのだと思います。
それをひとまずとどめたのは、先人たちの積み重ねてきた叡智のおかげでしょう。
一度死んだ、と思えるか。これはとても重要な鍵に思います。
死んだはずなのだから、慎ましやかにしろ、遠慮して生きろという意味ではありません。要は、生きている今に心から感謝できるかどうか、です。
さらに言えば、輪廻転生の考えを信じるなら、死んだら一度リセットしなければなりません。前世の記憶は全て消え、赤ん坊からやり直しです。癌を経験してなお、生き続ける人は、一度死にながら今までの記憶や経験を忘れることなく、次の人生に活かせる。それって、ホントは凄いことなんだと思いませんか?
以前、Twitterで「乳がんになって良かった」と呟いたら、色々叩かれた苦い思い出があります。そして、保坂先生もこのタイトルを掲げたとき、ピンクリボンの開催者の方からでしょうか、「ちょっと待った」的な対応があったようです。
私の場合は、転移されてる方から「寛解してるからそう言えるんだろう」と非難されました。確かに私はまだ転移を経験していないので、癌を憎いと思う気持ち、癌なんてならなければ良かったと思う気もちは弱いのかもしれませんし、そう思うことを否定はしません。
ただ、私は、再発転移しても「乳がんになって良かった」という気持ちに変わりはないと思う。もうとっくに死ぬはずだったのです。でも、なぜか、今生きている。
なぜ、生きているのだろう?
そう思いを馳せたとき、自分の果たすべき使命を考えます。何も特別なことをする必要は何もない。でも、少なくとも、自分のために生きるのではなく、自分以外の人の幸せのために生きることじゃないかなと。言い換えれば、自分のために生きる人生が、もう終焉を迎えたのだと思います。
もう一度生きれる人生を、命を、どう使うかは自分次第です。
※今後人生を積んで、加筆修正していきたいと思います。反対意見でも結構です。お待ちしております。
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