「嫌われる勇気」読後感想
*2019/07/10 大学4年生の頃の感想
今も大切にしている考え方なので転載、、、。
承認欲求にまみれていた大学1,2年の頃の私はツイッターでいかに機知に富んだネタツイが出来るかに命を懸けていた。
貰った「いいね!」は数知れず
気が付いたら「頭のおかしなヤツ」
というレッテルが張られていた。
でも分かっていました、
バカ騒ぎする友達は数えきれないくらい増えても本音で話せる友達はいるかいないか、
本当は大学でしか出会えないような一生お互いに信頼しあっていけるような誰かがずっとほしかった。
ずっとそれが悩みでもあった。
ああでも、去年の夏、
「あなたは人生で一番大切にしていることを何も持っていないの?」
「何を考えているのかわからない」
といわれてからいろいろ考えて自分と相手に正直に生きることをモットーにすることにし始めてからは少しずつ変わってきたと思っている。
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この本はそういう自分の持っていた承認欲求とか、対人関係の悩みの根底を紐解いてくれたような内容だった。
アメリカンな人間なので本の内容を簡潔に述べると、
・人間の悩みはすべて対人関係から発生する
・人生を目的論で生きると誰でも幸せになれる
・対人関係をシンプルにするために課題の分離をする(自己と他者の持つ課題を明確にして、他者の課題には介入せず、自己の課題にも介入させない)
もっとあるけど印象に残った3つのお話をします。
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人間の悩みはすべて対人関係から発生する
悩みは割と誰でも一つは持っているものだと思っている。
でもそれがすべて対人関係から生まれるといわれたら一見解決が困難に思える悩み事が途端にシンプルに思えてきませんか。
私は思えた。
信頼できる友達がいないことが悩みなのはそう言った友達を持っている他人と自分を比較しているから
身長が低いことを気にしているのは地球上にたまたまめっちゃ人がいて、その平均が自分と比べたところ高かったから
誰も自分を小さなことでさえも認めてくれない、自分には価値がないと悩んでいる人は当然認めるであろう勝手に思い込んでいる他者が存在しているから
まだまだ思いつくけど、このくらいにしておきます。
この解釈を知っているだけでとても楽になれた。
人生を目的論で生きると誰でも幸せになれる
これまで、自分が今ここにいるのは過去の自分が置かれてきた環境だったり周りにいる人たちの影響だったり(環境じゃん)そういうものの積み重ねで自分が必然的に出来上がっているものだと思っていた。
いわば自分は”運命”とやらに導かれて今ここにいると信じていた。
というか、多くの人はそう思っているんじゃないのかな。
昔があるから今がある。過去は変えられないから自分の置かれている状況は腹をくくって受け入れましょう。みたいな、
勘違いでした。
なぜならこの理論は今の状況に理由をつけるために過去の自分を引き合いに出して言い訳をしていたにすぎないから。
この本では人生を前述したような「原因論」でとらえるのではなく、
「目的論」として生きていくことを推奨している。
たとえ話をしましょう
私が研究室で人見知りをしていたあの季節を思い出していただきたい。
あの時は「自分は人見知りですから?、皆様とお話だなんてそんな高尚な技を繰り広げることなんて100年早いですことよ。」
ほざいておりました。
これは原因論。「人見知り」だから「話せない」
これを目的論でとらえると、
「自分は研究室の人と仲良く話さないという目的を達成するために、人見知りになった。」
こうなる。(「話さないという目的がある」だから「人見知りになる」)
「今の自分という状況を作り出すという目的を達成するために自分は今まで生きてきた」
これが目的論。
「昔が○○だったから今の状況に生きている」
よりも
「幸せになるという目的があるから今○○をしよう」
正しい正しくないの根拠を探すより、純粋に後者の方が人生楽しそうだと思うんですわ。
ということで、私は目的論の人生を走ろうと決心した次第であります。
対人関係をシンプルにするために課題の分離をする
馬を水辺に連れていくことはできるが、馬に水を飲ませることはできない
これが課題の分離の合言葉だそうです。
要するに、相手を自分の思い通りにコントロールすることは不可能だということ。
こうしたら相手もきっと幸せだし楽になれるのに~
と思う局面は多々ある。
そこで自分の身を削って相手に尽くした結果、相手は変わらずに「こんなに自分は尽くしたのにどうして相手は変わってくれないの!?」
という悩みが生まれることがある。
相手を思い通りにすることはできない。変わることは相手が決めること「相手の課題」。
相手が変わるための「種まき」をすることはできる。
自分の課題は種まきで、相手の課題はそこから成長すること。
私は種まきおじさんになりたい。
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真面目っぽくなってしまったけど読み進めるほど目から鱗落ちまくりで鱗の在庫がなくなったほどの本だった。
他者から認められたくて仕方がなかった、褒められたくてありとあらゆるいいことをして”いい子”を演じていた今までについて考えるいい機会だった。
幸せ感を得るために
承認欲求を満たすことに一生懸命になり、面白いことをいう→他人に面白い人間と認められ人気者になる
という理想像を立ち上げ周りが見えなくなった結果、自分の考える本質的な幸せの一つある「他者との信頼関係」を作り上げていないことに気がつき虚無虚無していた過去。
今からは
幸せになるという目的があるから信頼関係作れるような人になる、そのために正直者でいる
こういう考えを持っていたい。
自分のしたいことが最近少しずつ見えてきたのでこの目的論を駆使してできないことなんてないんだぞ、という強い気持ちを持ちましょうそうしましょう。
優しさってなんだろうって考えてた。
本音で話して、相手のことを大切に思う気持ちがあればいいんだろうか?
大切に思うがあまり相手の求める正解が言いたくなる時がある。
そうなってくると本心を探すのが逆に大変になってきます。
大切なんだけどなあ、どうしてだろう。
あと、時々自分を守るために言葉を濁してしまう。
そんな癖にも気がついているし、それこそ別に嫌われたっていいじゃないかと頭では思っているのに。
目を閉じて思い浮かべる大切な人たちにいつまでも正直でありたい。
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