スマホが私の抗不安薬だった

スマホ。
手放したくても手放せないもの。
こいつは私の時間を無限に吸い取り、そして何も返さない。
少し触るだけのはずだったのに、1時間か2時間は余裕で経過している。おかしい。何らかの魔術ではないかな?と疑うが、どちらかというと技術の結晶だった。
ギャンブルでさえたまに少しは返ってくることを考えるとすさまじい暴利だ。胴元として失格ではないだろうか。
しかし、この暴利をむさぼる四角い箱は、小さな体に大量の時間を吸い込むのと同時に、別の何かも吸い取っていた。

時間を吸われている。
もちろん吸わせている主体は私なので、「吸い取られた」などと如何にも被害者意識アホ丸出しのポーズはあまりよろしくないのかもしれないが、感覚的には吸われていると表現するのがしっくりくるのでそのように言葉を選んでいる。
それにだ、掃除機に吸い込まれるゴミが、「自分を吸わせに行った」というのもおかしな話ではないか。
んまっ、実をいうとスマホはただのストローでしかない。じゃあストローの向こう側にいるのは誰だというと、そこには正しい意味でのハイテク企業がいる。
未だ古代原始時代を生きている人間の脳をハックするのは、売上げとよくわからん企業理念を第一とする世界トップのハイテク企業にとっては息を吸ったり吐いたりするくらい簡単だったのだろう。
かくして自分が撮られる側に回ったパパラッチの如く無防備な脳は、企業の望むままにドーパミンを不必要なまでに分泌させ、要するに私はスマホを触っていなかったり近くになかったりすると落ち着かなくなるようになった。


なるほどな、スティーブジョブズが自分の息子にiPhoneを使わせたくなかったというのも良く分かる(このエピソードの真偽は不明www)。

とにかくスマホは時間を吸い取る。
だが、「あー、時間無駄にした。こんなはずじゃなかったのに」と思う反面、どこか「これでよかった」と思う自分がいる。後者は言語化するほど思考の表層に浮かんでくるわけではないけれど、確実にそういう自分はいた。
だから、「吸われた、吸われた」とのたうちまわる自分を見下ろすように、どこか主体的に「吸わせた」自分が立っていた。

いったい私はスマホに「何」を吸わせたのだろうか。
私は私に問うてみる。
私は「不安」と答えた。
あー、そうか。その通りだ。いや、そうだったね。

不安
不安
不安
不安
不安
不安
この場合にはどうしたらいいだろうか。
私にできるだろうか。
できないかもしれない。
叱られるのは怖い。
いやだ。
無能と嗤われる。
いやだ怖い。
漠然とした将来。
何もできないままの自分。
目的一つ達せられない自分。
そのままの自分。
ほかの人ができることを何一つできない自分。
保身と恐怖。
いつかかってくるかわからない電話。
恫喝。
正しい対応ってなんなんだろう。
怒られないようにするにはどうしたらいいんだろう。
何も分からない。
何も考えられない。
どうしてほかの人は上手にやれるんだろう。
処罰を伴う全く未知への対応。
すべてにおける漠然とした不安。
不安
不安
不安
不安
不安

スマホくん。
病的なまでに傷つくことを恐れる腫瘍の如く肥大化した自我を、こんな床におちた陰毛ほども価値のないものを、きみは健気にも守ってくれていたのだったね。違う。自分を守るために、君を酷使したのは僕だった。

すまない。
この小さいくて四角い石板は私の不安を一時忘れさせ、臆病な心が一息つく時間をくれていた。穏やかな停滞をくれていた。私の、私のための愛しいモノリス。
だがいい加減、自分の足で立つべきだろう。いや、そうしなければならない。傷つくことを恐れるのは、臆病な自我を守るのはもうよそう。
雨は終わり、光差す。戦う時が来た。

然らば、別れの挨拶を。
スマホに「今までありがとう。もう大丈夫だよ」と告げると、疲れ果てた電子機器は安心したのかぼろぼろと崩れていき、眠るように土へと還っていった。

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