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姪の誕生により、叔母はレベルアップした

やらなあかん状況になったら、案外できるもんやで

食器を洗えばお皿を割り、洗濯を干せばハンガーを壊す。料理は興味もなければ知識もない。
むかし、「ジャガイモの芽には毒がある」ということを知らずにそのまま調理して夕飯に出してしまい、「殺す気か」とガチトーンで姉に詰められた思い出がある。

真ん中っ子として産まれ、大変なことは兄姉が、面倒なことは弟妹が引き受けてくれた(全投げしていた)。完全に自業自得。身から出たサビ以外のなにものでもない。

20代半ばにして迎えた2度目の結婚・出産ラッシュ。同級生の朗報でスマホが震えるたびに、祝福と同時に「わたしにも同じような未来はくるのか」と漠然とした不安に苛まれる。

分からなければ聞けばいい。
第一次結婚ラッシュの先頭を走り、いまでは二児の母親を立派に務めあげる幼馴染に相談をもちかけたところ、冒頭の答えである。

(ぜんぜん、参考にならんやないかい)
聞いておいてとてつもなく失礼だが、これが率直な感想だった。
そして同時に(やらなあかん状況になったら真剣に考えよう)とも思った。

そんな悠長な考えのわたしに、「やらなあかん状況」は思っていたよりもすぐに訪れる。

***

年が明け、仕事始めを迎えた朝。隣県に住む姉から嬉しい知らせが届いた。ジャガイモの芽にヤられかけた彼女は、元気な女の子を生んで母になり、ガサツな妹は叔母になったのだ。

帰宅したわたしの顔を見るなり、嬉しそうに口を開く母。
「月末まで泊りがけでお姉ちゃん家にお手伝い行ってくるから。家のことよろしくね。」

突然の宣言。語尾には「♪」と「♡」がこれでもかと並んでいた。
ほどなくして母は旅立ち、怒涛の日々が幕を開ける。

***

専業主婦として大家族を支える母の不在は(一時的とはいえ)太陽を失った地球と同じである。うまく回る気がしない。もちろん、母を「家事をしてくれるひと」という感覚でみているわけではない。けれども、無意識に頼りにしてしまっていたことを猛省した。

とにかく、この困難をどうにか乗り切らなければならない。同じく留守を託された妹と予定を出し合い、家事の割り当てを決めた。

家電たちのおかげで洗濯と掃除はなんとかこなすことができた。文明の進化には感謝しかない。問題は「料理」だ。
母の不在を聞きつけたご近所さんが、毎日のように白菜やキャベツを届けてくれたが、調理技術も献立のレパートリーも持ち合わせていない。冬を言い訳に3日に1回、キムチ鍋にお世話になった。

仕事から帰り、部屋を掃除し、洗濯を回し、寝る前に翌晩の下準備をする。慣れない毎日に苛立ちを感じ、助け合うべきの妹と口論にもなった。たしかお互いの冷ご飯の定義にズレがあるとか、今思えば本当にしょうもないことだけれど、当時はお互いに切羽詰まっていた。

家事を一通りこなすなか一番大変だったのは、意外にも「買い出し」だった。
栄養バランスをはじめ、作る量、家族の好き嫌い。加えて厄介なのが賞味期限。冷蔵庫の残り物と睨めっこしながら、献立を考え片道20分のスーパーへ出掛ける。切ったり、炒めたり、煮込んだりだけが料理ではなく、「ご飯の支度」はそこから始まっていたことに気づかされた。

世の中の主婦(夫)さま方から言わせれば、何を当たり前のことを…と呆れられるかもしれないが、恥ずかしながら、自分で体感しなければ分からなかったと思う。

***

子どもの成長は早いもので、姪は2歳の誕生日を迎えた。
わたしはというと、相変わらず実家でお世話になっている。
でも一つだけ、変わったことがある。

料理のレパートリーがグン増えたのだ。もちろん、いまでもキムチ鍋は大好きだけど。掃除も洗濯も積極的に協力し、家事が好きになった。もう皿も割らないし、ハンガーも壊さない。

幼馴染からもらったアドバイス。
「やらなあかん状況になったら、案外できるもの」
間違いではないけれど、もし、同じ相談をうけることがあったら付け加えたい。

「やってみたら楽しいもんやで。案外ハマると思う」
母の一時不在は、間違いなく良い起爆剤だった。


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