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トルコ商人との会話から見えた、日本企業の海外展開時の盲点とは

最近、日本各地でよく耳にするようになった「地方活性化のための輸出」というロジックについて、一考を促された体験があったのでご紹介します。


先日、博多で、トルコ人ビジネスマンの方から、
「日本にトルコの伝統工芸である絨毯を輸出したい」
と提案を受けました。

私も数年前、イスタンブールグランドバザールを歩き回った時、トルコ絨毯の美しさに目を奪われ、また、その値段の高さに二度驚かされました。

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▼トルコ商人の方は絨毯を説明してくれました。

・原料はトルコで最も品質が高い羊毛をふんだんに使用している。
・羊は豊かな大自然の中で育った、トルコでは有名な品種だ。
・糸は最高級の麻布を撚って作り、全て手縫いで丹念に仕上げている。
・デザインはオスマン朝の宮廷様式だ。
・三世代の家族全員で団らんを楽しめるサイズで提供できる。
・巻いて立て掛ければスペースも取らない。
・上質なゆとりと素材の優しさを感じられる、他にないインテリアアイテムだ。

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▼私はすぐに思いました。

①トルコでは有名でも、日本では誰も知らないし、そもそも羊毛の家具自体なじみがなく、使う人はほとんどいない。
②日本人は羊の種類に詳しくないし、言われても違いが分からない。
③麻布が良いのは分かるが、正直、トルコ絨毯を縫うための糸にまで細かいこだわりを持つ消費者は日本にはいない。
④オスマン朝の偉大な歴史は知っているが、その建築様式やインテリアの作風については私も全く知らない。
⑤そもそも今の日本には、三世代の家族が一緒に入れる部屋はほとんどない。しかも、日本では一族の行事や団らんは畳の部屋が普通で、あえてトルコ絨毯を使う理由がない。
⑥そんな大きな絨毯なら、日本の家だと巻いても置く場所がない。
⑦「上質なゆとり」と「優しい素材」と聞いて、日本人が何より信頼し、親しんでいるのは畳か高級無垢材で、残念ながらトルコ絨毯は連想の対象にもならない。
⑧最も基本的な、そしてあなたが見落としているかもしれない前提だが、そもそも、この絨毯は日本人の住居や生活様式と全然合っていない。


▼トルコ商人の方は熱心に続けました。

トルコの絨毯の産地は、安価で化学繊維ばかりの中国産に押され、廃業が続出し、中国製のトルコ風デザインの絨毯を取り扱う愛国心のない業者も出てきた。
わが町はトルコ第一の絨毯の産地で、長い伝統を守り、トルコ文化を家庭の中で受け継いできた。しかし、国内市場は縮小し、今は絨毯の市場を海外に求めているところだ。
中国産は安いがすぐに破れ、質が低く、結局はすぐに買いなおさないといけなくなる。それを考えれば本物を買うほうがいい。
トルコの国内経済はアメリカの圧迫で生じた通貨安で大きな打撃を被っており、特に伝統産業のメーカーや零細企業は大変な苦境に直面している。
この絨毯のシリーズを作っている職人は、トルコでも何度も表彰された有名な人で、その作品はイスタンブールのみならず欧米の有名トルコ料理店でも使われている。日本のレストランやオフィスに使えば、異国情緒をアピールできる。

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このロジックを聞きながら、私は、日本各地で「地域活性化=海外展開」と安易に結び付ける人たちの声を思い出しました。


▼トルコ絨毯をこのように売り込まれたら、普通の日本人なら、

━「事情は分かるが、トルコの一地区の衰退と日本は関係ない」
━「良いのは分かったが、どこにどう使ってよいか分からないし、高い」
━「トルコの伝統産業の再建はトルコの人たちが自分でやることで、日本市場はトルコの地方都市の中小・零細企業や職人を助けるために存在しているのではない」

と感じるのではないでしょうか。

同様に、海外バイヤーや消費者にとって、九州の過疎化、八代のい草の衰退、大分の水害、熊本の地震被害、佐賀の過疎化などはどうでもいい問題です。

日本の少子化市場縮小など、知ったことではなく、それを言われたところで、同情はしても、買う理由の1%にもなりえません。

いや、もっといえば、福岡とか熊本とか佐賀という名前だって、知らなくても忘れても間違ってもいいレベルの情報に過ぎません。


立場を変えてみると、私たち日本の中小・零細企業は、海外と向き合う時、いかに

「相手の利益と本質的に全く関係ないこと」

ばかり考え、時間や労力を無駄にしていることでしょう。


地方活性化、郷土の再興も大事でしょう。

しかし、それは相手に貢献した結果として成し遂げられる「副産物」であるべきであって、地方活性化が目的になった事業は国内であれ海外であれ、成功しないし、長続きしません


例えば、私たちが日本で食べているピスタチオナッツ類の多くは、トルコ産イラン産ですが、食べる時にこれらの国のことを考えているでしょうか。

私はイランバングラデシュから日本に来て、日本に食材を売り、ありえないほど儲けているビジネスマンと会ったことがありますが、二人とも日本人顔負けというくらい、日本の食事や文化、食べ方、食の歴史を勉強していました。

そうして儲けに儲け、こっそりと故郷の小さな村に善行を施していました。


日本人トルコの絨毯に興味がないように、トルコ人い草でできた畳に興味はありません。

どちらも、
「自分がより快適で幸せな暮らしをすること」
にしか興味がありません。


「よし、じゃあ、い草や畳に興味がある国を探そう」

というのが発想の間違いで、

「い草売る、畳売る」

ではなく、

「い草売る、畳売る。本当に売るものは、相手が欲しい"より快適な暮らし"だ」

と、商品が「手段」として位置付けられた時、初めてまともに思考ができるようになります。


地方活性化から発想をスタートさせるのは、始めから失敗を目指すに等しい」

「地元の役人か政商コンサル以外に肯定しないそんな主観的な動機で始めたところで、補助金の墓場となり、累積赤字を膨張させるだけ」

というのが分かります。


事業目標は、相手と共有された時にのみ実現されるのであって、作り手の地元の活性化など、最初から共感も共有も不可能なエゴに過ぎません。

そんな理想を掲げるのが「崇高」だと思うようなら、それは、常識がマヒするほどの田舎に住んでいるか、まともな相談相手がいないか、エゴを糊塗して自分に酔っているにすぎないでのではないかと思います。


私は時々思うのです。

日本人がこんなに海外を身近に感じて、誰もが日本製品を世界に売れるようになり、規模は別として、輸出入がこんなにやりやすくなった時代歴史上、初めてなのに、なぜ、この時代に最も儲かる部門であるはずの国際部、貿易部などに関する各地の行政機関の予算はどんどん削減されているのか、と。

結果が出ていないからでしょう。

もっと言えば、「結果が何であるか」を最初から勘違いしているからでしょう。

「福岡を盛り上げよう」
「熊本を元気にしよう」

などと耳障りの良いことばかり叫んで、ビジネスをビジネスとして見ず、冷徹に観察せず、海外展開を百姓の祭りや宴会の拡大のようなノリで何年もやっていれば、そんなのは社会主義と同じで、予算が尽きて当然です。

本質的な相手のためにやっているのではなく、「地域同士」、「日本人同士」、「産官学」などの内輪の狭い世界で海外展開をやったつもりになっているに過ぎないからです。


私たちがビジネス海外と向き合う時は、
「本当の相手とは誰なのか」
をしっかりと想定して見つめ、日本人の強みがしっかりと発揮されるように注意しないといけません。

相手の存在を忘れた瞬間、その努力は、チェーンが外れた自転車をこぎ続けるような無駄な徒労に変わります。

時間は浪費され、体力も消耗するのに、今いる場所から一歩も前に進めない、ということです。

そして、始末が悪いことに、結果が出なくなるほど、居心地が良い精神論に傾き、集団心理で自画自賛に走るのも、日本人が見せてきた歴史的な思考パターンだと思います。

ということで、海外で成功したいなら、「地方活性化」などさっさと忘れ、一意専心、相手を感動させて満足を届けるという、中小・零細企業の最大の得意技に集中するのが一番です。

九州から、新しい時代の成功の形を模索し、いろんな分野で小さなお手本を作っていきたいです。

(2019年3月22日投稿分の再掲載)

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