『最長片道切符の旅』を旅する day19 つまらなそうに印を捺した
また首都圏に帰ってきた。今日は鶴見周辺をぐるぐる、山手線周辺をぐるぐるする。
上の地図は『「最長片道切符の旅」取材ノート』から、先生手書きの路線図。実際に製図されて印刷されたものが下のこちら。全く変わらない。駅名などが活字になっただけで、その精度がすごい。(今日は上図左上の立川から右下の浜川崎、鶴見を経て東京都心を八の字にぐねぐね回る)
今回の路線は立川を出て南武線、鶴見線、京浜東北線、山手線などを経て東京まで。ジェットコースターのように立体交差で川崎、東京を駆け抜ける。
[東京ー立川北(多摩都市モノレール)多摩センター(多摩都市モノレール)上北台ー立川北]立川(南武線)浜川崎(鶴見線)鶴見(京浜東北線)品川(山手線)代々木(総武線)お茶の水(中央線)神田(山手線)秋葉原(総武線)錦糸町(総武線)東京
東京駅から本日のスタート地点、立川へ。ここでは「乗りつぶし」のため、多摩都市モノレール線に乗ってから『最長片道切符の旅』を始める。
立川駅から立川北駅に徒歩で移動。モノレール一日券(800円)を購入、先ず南へ行く。あれ京王線の高幡不動を通るんだな。終点、多摩センターまで。ここは小田急の唐木田まで来たことがあるな。で、すぐ折り返して立川を通り過ぎて北の終点、上北台へ。そのまま折り返しに乗ったまま立川北に帰る。はい、未乗線のりつぶし終了。
さて、立川から『最長片道切符の旅』を再開する。立川から尻手(しって)までは南武線未乗なので本日二線目の完乗。
尻手からは南武線の枝線で浜川崎へ。この路線は枝線が多いし朝夕の通勤時にしか本数がないので乗りつぶしには結構苦労する所だ。本日は『最長片道切符の旅』ルートを忠実に辿って乗りつぶしは後日とする。(結局、枝線は二年後の早朝始発で乗りに行った)
ところでここまで「最長片道切符」と何回も言及しているけど、全路線のほぼ半分まで来ていながら「最長片道切符」とは何かと言うことには全く触れていなかったような気がする。
基本的には
・経路が同一方向である
・環状線一周を超えない
・途中で折り返さない
条件を満たすのが「最長片道切符」である。
ちなみに「環状線一周を超えない」とは「同じ駅を二度通らない」ということである。通称「一筆書き切符」といわれるのはそのためである。
初めての最長片道切符は東大旅行研究会が1961年に計画、実施した。(ちなみにその経緯を本にまとめた編集者が若き日の宮脇俊三先生であった)
北海道の廃線、九州の新幹線誕生などにより、現在の最新の「最長片道切符」は南から北行するルート(竹松→長万部)で今までより100kmほど短い約1万500kmになる。詳しくはこちらで。
さて、尻手から浜川崎へ向かう。
これが先生が実際に使った「最長片道切符」。上は使用前、途中下車印が全くない。下は使用後、券面は途中下車印で埋め尽くされている。浜川崎駅で駅員が「私の切符をちょっと眺めてから、つまらなそうに印を捺した」のが券面の右上(矢印)の「浜川崎」の印である。(『最長片道切符の旅』カバーより)
浜川崎から鶴見までの「鶴見線は工場群の中の引き込み線みたいなもの(新潮文庫)」で日中は客がいないし、窓外もがらんとしている。「あまりにもつまらないのがおもしろい鶴見線(新潮文庫「ノート」)」。しかしこの線の「海芝浦支線」「大川支線」は乗りつぶしの強敵で、ほとんど工場出退社専用なので早朝か夕方でないと完乗出来ないのだ。
鶴見から京浜東北線で北上。多摩丘陵の末端から川崎、多摩川を渡り武蔵野台地の南端を通り、蒲田、大森を通過。品川で山手線外回りに乗車する。ここから都内を一周する。代々木で下車、中央本線で神田まで行く。
本来なら、代々木ー秋葉原ー錦糸町と総武本線に乗っていればすんなりと直通するのだが、『最長片道切符の旅』では代々木ーお茶の水ー神田ー秋葉原ー錦糸町と三角形の二辺を辿る。これで1.1km長くなる。「阿呆らしさ極まって襟を正させるような趣さえある(新潮文庫)」のである。
錦糸町から東京地下駅行きの総武本線に乗り換える。隅田川の下をくぐる新線は、ビルや地下鉄のそのまた下を潜る大工事であった。馬喰町の駅は海面下27mにある。ちなみに一番低い所にある駅は東京駅地下の京葉線ホームで海抜マイナス29mである。このホームは深いもんなあ。(もっと低いのは青函トンネル内の吉岡海底駅−149mだったが今は使われていない)
さて、今回はここ東京地下駅で終わり。次回からは新幹線で「乗り鉄」のような旅をする。沼津から八王子経由で甲府まで行き豊橋まで遠出するのだ。二泊三日の旅だ。楽しみ。
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