危機の中のインフラ
羽藤 英二
論説委員
東京大学 教授
32歳で博士号を修得したアンゲラ・メルケル独首相は、COVID-19が深刻化する今年3月になって全く新たなインフラ整備コンセプトを発表している。自動走行の普及に向けた10億ユーロ規模の「自動車産業未来ファンド」創設と、フランスと連携したDXに向けたクラウドデータインフラ「ガイアX」の整備である。EV化の波に対して、カーボンニュートラル社会に向けた方針は、他国に先駆けて導入してきた車両位置情報の計測制度を「次のインフラ」の根幹として示したものと言っていい。
彼女が捉えているドイツのアウトバーンと自動車産業が一体となった伝統的産業形態は、東日本大震災以降、原子力の残余リスクが排除できないことをもってして原発全廃へ転換したことを、国家インフラの体質転換=イノベーションの好機と捉えている節がある。彼女が連携先として選んだフランスの電力政策は原発中心であることから、ロシアの天然ガスと合わせた広域的に直交性のあるインフラを共有することで様々なリスクに備えた対応が初めて可能となる。EUの枠組みを堅持しながら進める彼女のインフラ・リーダーシップは際立っている。
一方、米国土木学会(ASCE)が最近発表したインフラレポートでは、米国内の45,000以上の橋が構造上の欠陥を抱えているとされ、これらの橋は1日に1億7,800万回もの交通量を記録している。また飲料水システムは220万マイルに及ぶ配管のどこかで2分ごとに破損が発生している。こうした致命的な問題に対処するために利用可能な資金と必要なインフラ資金ギャップは2029年までに2兆6,800億ドルと推定される。
最も高齢な米国大統領として知られるジョー・バイデンのインフラ・プラン(“blueprint for infrastructure needed for tomorrow” )はこうした予算ギャップとCOVID-19に対応するものといえよう。
さらなる資金調達の動きは、ワシントンD.C.やアトランタの電力会社を中心に導入された「環境インパクト・ボンド」が目立つ。インフラ整備資金を固定金利で調達するのではなく、債券コストを成果に結びつけるために、雨水インフラのセンサーによる測定結果に基づいて、その性能を数値化し、公益事業のコスト削減につなげ、電力会社はその節約分の一部を投資家に支払う。
こうして生じた財務的リターンは一般の市場とは無関係に直交しているから、センシングに基づくパフォーマンス・ボンドに対する投資家の関心は高い。市場規模の確保が新たな技術開発と結びつく好循環の中で、新たなインフラ整備が加速しようとしている。
バイデンとメルケルに共通するインフラ・リーダーシップは、COVID-19という危機の中でインフラ市場の規模創出と新たな技術開発の展開をニューディールと明確に位置づけた強力な意思決定にあると言っていい。かつて、山尾庸三は、造船技術が、製鉄から製板、造機、造船と高い技術の連担によって支えられていることをグラスゴーで学んだ。留学体験を下敷きに山尾は日本の造船業を港湾技術と一体となって釜石や横須賀・長崎で成長させる。しかし日露戦争後の急激な国内景気の悪化から、井上勝らの努力による鉄道網の整備に進出したものの、過当競争も引き起こしていた。ここで、市区改正条例を端緒とする都市改変事業が事態を救う。山尾自身も官庁計画にかかわる中、同時多発的に日本各地で進行していた道路ネットワーク整備のプロジェクトに呼応するように、ビックピクチャーに示された橋梁建設事業に造船産業が進出したのだ。鉄道の振動から解放された道路橋の架け替えに、製鉄、加工、設計、組み立てに優れた造船産業の先端技術がうまくマッチングし、美観というイノベーションを都市は新たに獲得することとなった。工部省を率いた山尾の控え目な性格とグラスゴーの経験は、経済危機に直面していた日本において、縦割りを超えた異なる産業の水平-垂直融合のイノベーションに結実した。
10年間のうちに起きた東日本大震災とCOVID-19という二つの未曾有の危機は、インフラの世界を描き変えようとしている。危機をインフラ・イノベーションの好機と捉え、異なる技術同士を掛け合わせ変化を生み出し、傷つく社会と向き合い、分野を超えた革新を実現しようとする彼女たちのリーダーシップを前に、今私たちに何ができるかが、問われている。
土木学会 第168回 論説・オピニオン(2021年5月版)