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健康影響予測評価について-コンクリートと人と環境と-

浅見 真理
論説委員
国立保健医療科学院


大規模な公共事業や施策を実施する際に、公衆衛生の観点から実施が推奨されている健康影響予測評価(Health Impact Assessment; HIA)の考え方をご紹介したいと思います。HIAとは、新しい施策、方針、事業などが提案された際に、それに伴う健康影響を事前に予測(アセスメント)し、想定される不利な健康影響を減じ、また健康上の便益を促進するような対策を予め備えるための一連の手続きのことです。1990年代から欧州で発達し、政策の事前評価に用いられています。

一言で表すと、全ての政策に人の健康の観点を入れる“Health in All Policies”の考え方であり、日本では、医療関係者や衛生行政関係者が多い、日本公衆衛生学会がガイダンスを出しています

HIAの一般的な手順は、環境影響評価(環境アセスメント)と類似していますが、物理的な指標や環境基準との単純な比較や希少生物の保護が中心の日本型環境アセスメントに、人の生活や社会、健康に関係する要因を予測、評価する点を加える考え方ともいえます。

社会的健康決定要因(図)とは、人の生活に影響する外部要因すべてのことであり、経済、環境、衛生、教育、住宅、雇用など、健康な生活に影響を与える社会的要因を指します。評価を行う場合は、集団の平均値より、特に影響を受けやすい集団として、乳幼児、子ども、高齢者、妊産婦、障害者、要介護者、単親世帯、低所得世帯、外国人などへの影響を考慮することが特長の一つです。

図 社会的健康決定要因
出典:第58巻 日本公衛誌 第4号(2011年4月15日)、健康の社会的決定要因 (12)

いわゆる従来型の環境アセスメントでは、公害防止の観点が主ですが、HIAは公共的な施設の建設のみならず、制度変更など政策や事業が、人々の生活や行動、仕事、収入がどうかわるか、集団の健康、生活にどのような影響を与えるかなどを予測し、評価します。

実はこの考え方は、1985 年の経済協力開発機構(OECD) 「開発援助プロジェクト及びプログラムに係る環境アセスメントに関する理事会勧告」に端を発する国際協力機構(JICA)の環境社会配慮ガイドラインや、国連開発目標(SDGs)などの国際的なスタンダードにも近いものと思います。

例えば、タイでは法律でHIAが位置づけられ、2009年に工業団地の建設が差し止められたこともあります。

公共事業や施策が、高齢者や若者、子どもの暮らしをどう良くするのか、地域の文化や人の繋がりをどう盛り上げるのか、生活改善、雇用の確保、経済的な利点、多様性への配慮を評価し、改善を図ることが必要です。例えば、体育施設や道路を作るのであれば、いかに地域の人々の意見を取り入れ、人々の歩行や運動の推進に貢献できるか、地域のお祭りや体育教室など人々の交流の機会・拠点をどう作るか、災害時の避難所としても使えるかどうかなども、予測評価や改善の検討を行う価値がある対象となります。

ひと時、「コンクリートから人へ」とのマニフェストで政策が進められましたが、その後、やはり安全に関わるインフラの重要性は再認識されていると思います。特に、豪雨の増加による水害や土砂崩れは、人命にも財産にも甚大な被害を与えており、安全を守る社会基盤の必要性は一層高まっています。安全なまち、それはもちろんですが、人の(社会的な)健康も含めた視点も重要であり、まさに「コンクリートと人」の調和が求められていると思います。

新型コロナウイルスの流行で減ってしまった色々な集まり、地域の会合、食事、お祭り、旅行などのイベントがいよいよ復活の兆しを見せています。歩きやすいまち、人と出会うまち、緑や風を感じるまち、地域イベントの活発なまち、地元のお店も活気のあるまち、失われかけた繋がりを再生することは、人の健康の視点で生活習慣病の予防やうつ対策を進める上でもとても重要です。

これらに加え、今後さらに環境の観点から、エネルギー、化石燃料の使用、多様な生態系の保全、地球環境の保全、プラネタリーヘルスなど多くの視点を組み込んでいかなければなりません。まさに、「コンクリートと人と環境」の共存が一層求められる時代です。
このような考え方が、事業評価に生かされ、豊かで楽しい生活、ウェルビーイングの実現の参考となると幸いです。

土木学会 第185回論説・オピニオン(2022年10月)


補足事項
1.HIAの手順
HIA は、以下の手順で実施されます。これは、他の影響評価の手法に準じています。
 □ スクリーニング:HIA 実施の要否の決定
 □ 仕様決定(Scoping):HIA実施プランの作成
 □ 事前評価(Appraisal):健康影響の評価
 □ 報告:推奨意見の作成、報告書の作成
 □ モニタリング・事後評価:提案の変更等の確認、HIA 実施過程の評価
2.WHO憲章による健康の定義
WHO 憲章(1948年)によると、健康は単に疾病の有無によって判断されるものではなく、精神的にも社会的にも健やかで良好な状態という非常に幅広い概念であると定義されています。
"HEALTH IS A STATE OF COMPLETE PHYSICAL, MENTAL AND SOCIAL WELL-BEING AND NOT MERELY THE ABSENCE OF DISEASE OR INFIRMITY."
3.プラネタリーヘルスの概念
プラネタリーヘルスの概念については、以下URLを参照
https://hgpi.org/lecture/column-29.html


国内有数の工学系団体である土木学会は、「土木工学の進歩および土木事業の発達ならびに土木技術者の資質向上を図り、もって学術文化の進展と社会の発展に寄与する」ことを目指し、さまざまな活動を展開しています。 http://www.jsce.or.jp/