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技術者・研究者の研鑽の場としての土木学会

下村 匠
論説委員
長岡技術科学大学

土木学会よりも規模は小さいが、同じくインフラに関連する分野の学会であるプレストレストコンクリート工学会の会長を現在仰せつかっている。そこでの経験から、最近、社会における学会組織の存在意義を自問している。学会の役割はもとより多角的であるが、ここでは技術者・研究者の研鑽の場として学会の役割について自身の経験をもとに考えてみたい。

今から30年ほど前、土木学会のコンクリート委員会傘下のいくつかの公募型研究委員会に参加したのが、現在に続く私と土木学会のつながりの最初である。

もちろん学生時代を含めてそれ以前から会員ではあったものの、学会誌や論文集の購読、全国大会への参加くらいであり、自分の仕事の中で大きな割合を占めるほどではなかった。それらの公募型研究委員会とは、コンクリートに関する特定の技術的、学術的課題について調査研究を行う小委員会の設置と委員の公募が会告などを通じて会員に告知され、委員会に加わって一緒に研究活動を行いたい人が自主的に申込み、委員会組織が構成されるというものである。全国の大学、民間会社、研究機関などさまざまな出身母体から委員が集まった。年齢層は30代前半の学会の委員会に初めて参加するような若手が多数を占めていた。年齢がもっと上の経験豊かな方々は示方書や指針を作成するなど社会的に責任のある委員会への参加が中心で、若手とは自然とすみわけがなされていたのである。若手中心の公募型研究委員会は実務に影響力を持つ指針や規準を作成するのではないかわりに、比較的自由に研究活動を行うことが許された。概ね2年間の活動の最後には成果報告書を作成し、報告会を開催して成果を世に公表した。

そのような公募型研究委員会には、当時私を含む参加委員は、やりがいをもって大変熱心に活動した。委員会に参加する前は大学などの組織内での研究活動が中心であったので、所属している組織の外に出て、それまで直接会ったことのない同年代や上下の年代の他大学や民間会社の人たちと一緒に仕事をしたことが新鮮であった。知らない人たちの中での仕事は最初は大変緊張したが、徐々に慣れてくると、真摯な議論ができ、緊張感の中にも楽しさを感じるようになった。後々まで続く組織を越えた貴重な人のつながりも委員会で生まれた。研究委員会で得た知識や経験は、持ち帰って自身の研究や教育に活かした。ちょうど、インターネットやメール環境が整い始めたころで、それらのおかげで、住んでいる場所の制約を受けず、また所属している組織を超えて一緒に仕事をすることが容易になったことも活発な委員会活動を後押しした。取りまとめた研究成果は、今から考えると稚拙で粗削りなところもあるが、その後の研究や技術のベースとなったものも少なくない。作業を通じて得られた連帯意識、達成感は何事にも代えがたい。

私の場合、そのような楽しく有意義な研究委員会を続けるうち、土木学会での活動が自分の仕事の中で徐々に大きな部分を占めるようになり、自然と学会への帰属意識や思い入れを抱くようになった。これまで活動の場を与えてくれた土木学会に、これからは少しでも恩返しできればと思っている。

さて、現在における個々の会員と学会との関係をとりまく状況は30年前とは変わってきている。当時仕事に使われ始めたメールは、現在では生活でも欠かせないほど身近な存在になり、場所や組織を超えたコミュニケーションはもはや誰もが手軽に行える。コロナ禍以降はオンラインの会議ツールも普及し、遠隔でのやりとりはますます簡単になった。いつでもどこでも誰とでも、同じ興味を持った人が知り合いになれ、情報交換ができる。さらに、それは国の枠も簡単に超えることができる。海外の研究者と直接やりとりができるし、オンラインなら国内だけでなく国際的な学会の研究委員会にも出席できる。

しかし、時代は変わっても、日本国内に土木インフラがあり、土木分野に携わる人たちがいて、それを志す若者がいることは変わらない。通信環境やコミュニケーション手段は変わったが、組織を越えて技術者・研究者が集まり、緊張感をもって一緒に仕事をすることが若い人たちの成長を促し人のつながりを生むということは昔も今も変わらないと思いたい。時代に合った形で、若い土木技術者・研究者に、組織の枠を超えた交流の機会、研鑽の場を提供することが土木学会の変わらない役割のひとつであると思う。

第200回 論説・オピニオン(2024年1月)



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