自然言語と、人工言語と、科学と、わたし
板谷 琴音
理研BDR・慶應義塾大学
私を科学の世界に引き込んでくれたのは『子供の科学』でした。
直接のきっかけは覚えていませんが小学校の高学年くらいから毎月、食い入るように隅から隅まで『子供の科学雑誌』を読んでいたのをよく覚えています。物理学、天文学、生物学、電子工学、情報学など実に広範な科学の基礎的な知識を『子供の科学』を通じて学びました。そのおかげでアメリカで通っていた地域でもトップレベルの学力の中学で、最高学年者が任意で受験する科学の試験で三人同率の最高得点を獲得し表彰されました。楽しく知識が身につく『子供の科学』は素晴らしい雑誌だと振り返って思います。当時からモノを作ることが好きだった私は本田技研が開発した「ASIMO」に触発されて「いつか人型のロボットを作りたい」という思いからプログラミングを始めようと考え始めました。雑誌内に掲載されていたJavaScriptのコードをメモ帳に写経したはいいものの、実行することができずに挫折したことがありました。私とプログラミングの初対面は辛酸を嘗める結果となりました。
高校に進学し、ますます人型ロボットで色々なことをしてみたいという思いが強まった私でした。しかし市販のキットは非常に高価だったため「じゃあ自分で作ってやろう」などと意気込み『60日でできる!二足歩行ロボット自作入門』という本を読みましたが見事に玉砕しました。それとちょうど同じくらいの時期に気まぐれで手にとった『探偵ガリレオ』をきっかけに東野圭吾作品にハマり愛読していました。彼の著書の中で特に印象に残っているのは『手紙』『容疑者Xの献身』『流星の絆』『時生』の四作品で、いずれも号泣しながら読み切りました。
高校3年生になり、進学について考え始めた頃に化学の授業で有機化学がDNAの分子構造に繋がったときに衝撃を受けたことがありました。生命という複雑怪奇なシステムの根幹にあるDNAという当時の私にとっては完全に謎だった物質を化学式として記述できてしまうと知り、それをきっかけにリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読みました。そして安易にも還元主義的な思考に走り「プログラミングを用いて汎用人工知能が作れるのではないか」などと考え始めました。慶應の理工学部に進学し情報工学を学ぼうと考えた私にいくつかの事件が起こり、最終的に「情報を学ぶならSFCだよ」と同級生に唆されたが最後、環境情報学部に進学していました。
慶應SFCは他の大学や学部とは異色の文化を持っていて、学年に関わらず自由に研究会に参加して良いというルールがありました。そこで私は早速AIの研究をしている先生を探したのですが、当時のSFCにはAIの研究をしている先生はいらっしゃいませんでした。そんな中で冨田勝先生の授業でゲノム編集によって遺伝情報を改変できる可能性について知り、生きた人間の遺伝子操作に興味があった私は冨田研究会の門を叩きました。面談の際に教員の方にそのことを伝えたところ「それは無理だね」と言われたのはいい思い出です。この頃はあまり活字の本を読まずに『BLAME!』や『攻殻機動隊』といったSF漫画を読み漁っていました。
研究会に所属した当初に掲げていた夢が潰え、何を勉強しようか悩んでいる時に「荒川和晴先生が指導している大学院生の大下和希さんという先輩がバイオインフォマティクスの弟子を探している」と同級生から教えてもらいました。そして話を聞きに行ったところ「これからの生物学には情報科学が不可欠になる」と丸め込まれ大下さんの下でソフトウェア開発を始めました。大下さんが卒業された後は荒川さんが直接指導してくださりBiohackathonに何度も連れて行っていただくなど最先端のバイオインフォマティクスの現場に触れさせていただきました。
転機は大学院進学の直前に訪れました。ある日、遠い先輩でもあり理化学研究所のチームリーダーの高橋恒一先生が大学を訪れ「AI開発に興味のある学生はいないか」とリクルートにいらしたのです。そこで全脳アーキテクチャというプロジェクトについて知り『人工知能は人間を超えるか』という本を通じて再びAI研究に興味を持ちました。修士からはそのための基盤ソフトウェア開発とアルゴリズム開発に主に従事してきました。
AIの研究を行う傍ら、後輩の指導や生命情報科学若手の会での交流をきっかけにバイオインフォマティクスをはじめとする様々な科学分野におけるソフトウェアの現状を憂うようになりました。科学的ソフトウェアは頻繁に多くの問題を抱えています。粗悪な実装、クローズドなソースコード、保守されないサービス、ユーザエクスペリエンスを度外視した設計など、挙げればキリがありません。そんなソフトウェアを研究のために仕方がないと使い続ける人たちを見て私になにかできないかと考えるようになりました。
博士課程に進学した私は「ITエンジニアとしては組織的開発が苦手」で「研究者としては情報技術に傾倒しすぎる」というまさに帯に短し襷に長しといった人材でした。ですが逆にそれは「研究者のニーズに共感できる」し「必要なものを作って提供できる」という稀有な立ち位置にいるということに気が付きました。この時私は『GUNSLINGER GIRL』という作品のとあるキャラクターに共感を覚えました。ロッサーナと呼ばれるその女性は諜報員として活動しており、弟子にとった主人公の一人の「どうしてこの仕事を?」という問いに対して「私にしかできないもの、やるしかないでしょ」と回答します。
私は「科学者のためのソフトウェアを作る」という仕事が「私にしかできない」あるいは「私だからこそできる」仕事であると自覚するようになりました。それは才能云々という話ではなく、立場、境遇、モチベーション、スキルセット、たまたまそれらがうまく噛み合って今の私がいるのです。偶然与えられた恵まれた環境を最大限に活用し、今の私を生み出してくれた科学という営みに恩返しをしたい。そして科学の未来をよりよいものにするべく邁進したいと考えています。
紹介図書
『子供の科学』誠文堂新光社
吉野耕司『60日でできる!二足歩行ロボット自作入門』 毎日コミュニケーションズ 2007
東野圭吾『探偵ガリレオ』文春文庫 2002
東野圭吾『手紙』文春文庫 2006
東野圭吾『容疑者Xの献身』文藝春秋 2005
東野圭吾『流星の絆』講談社文庫 2008
東野圭吾『時生』講談社文庫 2005
リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』紀伊國屋書店 1991
弐瓶勉『新装版 BLAME! 1』講談社 2015
士郎正宗『攻殻機動隊』講談社 1991
松尾豊『人工知能は人間を超えるか』KADOKAWA 2015
相田裕『GUNSLINGER GIRL 第8巻』KADOKAWA 2007
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?