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私には恋がわからない

なんかまた自分語り系のさらけ出しnoteになってしまった…。

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昨日、最所あさみさんがnoteに書かれていた、不倫についての考察noteを購入して読みました。

ちなみにここでいう「不倫」は、「既婚者と恋愛をすること」という定義の不倫を指します。

有料noteであることを尊重して中身については言及しないのですが(もちろんおすすめですよ)、これを読んで「あー、自分は恋がわからない人だ」と気付かされたんですね。


恋は短期的で、愛は長期的な関係を志向しているものだと私は考えています。

つまり私は、短期的な関係性を人生においてまったく求めていなくて、長期的な関係性にだけ自分の時間やコストを投資したいということです。

もっというと関係性に限らず「長期的な思考でないもの」が全般的に嫌い。


私は結婚しているのですが、よく恋愛ドラマであるような「恋愛をして結婚をした」って感じじゃなくって。

彼女とはずっといて面白いし、話が尽きないし、この人なら一生一緒にいれるなと思って付き合い始めたし、その流れで結婚をしました。

今まで奥さんを入れて2人と付き合いましたが、1人目とは4年付き合ったんですね。

それくらい自分がコストをかけて関係性を築く人とは長く続きますし、続かせようとします。


顕著なのが、会社。

全社的に短期目標を設定した途端、私は怒り狂います。

そんなことをやっても長期的に見て幸せにならないのに……という感情が高まってしまうから。

冷静に考えると、短期的な目標に対して突っ走ることも時には必要だとはわかるのですが、直感的にもう許せない。


自分がコミュニティに興味があるのも、コミュニティが長期的な関係性を築くことを前提とした存在であるから。

逆に長期的なことを考えずに「とりあえず人をつなげました」的なコミュニティはやっぱり許せなくなってしまう。


キャリアにおいてもそうです。

私はWebディレクターをずっとやっていますが、その理由も"ディレクション"はAIにも代替されづらい、どの業界でも今後ずっとニーズが高い仕事だから。

コミュニティマネージャーのスキルセットも、コミュニティはなくならないものだし、どこでもニーズが高い存在であるので、食いっぱぐれないだろうなという魂胆があります。


この思考で生きていると、冷めたら途端に嫌になる「恋」なるものに時間を割く理由がわからないんです。

恋という現象はもちろん人の話や作品などを通して理解していますし、恋をしたことある人を否定しているわけではありません。

しかし、自分が恋をするイメージが全くわかない。一目惚れも同様。

きっと自分は、本能が反応する前に理性が働いてしまうのかもしれません。


もし恋ができたら、自分のクリエイティビティってもっと幅が広がるんじゃないか、恋ができたらよいのに、そんな風に憧れるときもあります。

しかし30年もその思考で生きてきてしまっているので、今さら理性を外そうとしてもなかなか難しい。

あきらめたくはないですけど、無理やり恋をするものでもないと思いますし。

そもそも既婚者なので、恋し始めたら社会的には非難されるでしょうし。


何にせよ、自分の圧倒的な「長期思考」に気づかされた日になりました。


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