ローカルの魅力とファンタジー #52


ちょっとタイムラグありますが、節分にちなんでお話します。ゆっくり横道にそれて回り道して道草しようということです。

2月2日が今年は節分でした。みなさん、豆まきしましたか?、そして私の地元では、厄除け大祭がおこなわれました。でもコロナでで店も少なく提灯飾りもなく、かつての多くの人の波はなかったようです。農事歴を中心にした日本の文化には、なにか今と違う時間があったと思います。

さて、それらに加えて、学校の運動会・文化祭・発表会・修学旅行と、学校だけでもたくさんの行事。さらに地域にも、後付けた行政の何とかフォーラムとか・なんとかウィーク。それがコロナで縮小がなくなった。今一度、何が必要なのか問うてみた。

各地方には独特の風習もありますね。これがローカリティです。これをグローバリズムがうちこわし、地方の生活の知恵もなくなったのではないかというのが、テーマです。個人がいきなり宇宙とつながる恐怖。守られ感のなさ。

多くの行事がコロナで自粛。いやー、町中が静か。いままでなにかに追っかけられてた気分が異常な気がします。もちろん、飲食店や関連のお仕事の方が経営がくるしいということを十分理解してうえですが。

いままで地層のように集積したこれまでの行事やイベント、本当に必要なのだろうか?と、考えてしまいます。生活にとって一番大事な家族を仕事の次にして、団らんもないし会話もないし、それで生活しているといえるんだろうか?という反省もあります。

あらためてそうしてみると、近場にはそれなりに小さな発見がある。池・路地・生垣・神社・祠・お地蔵さん・廃校・山道。そういうローカリティを見つけることができます。

新幹線と飛行機よりも普通列車でいくことに魅力を感じる「ノリテツ」ってそれなんだろうな・・。ヒグラシの鳴く8月の夕暮れ。近場にある自然の中の豊かさをコロナ以降、もう一度取り戻したい気分です。ちなみに私の父はこの時代、機関区勤務の運転士で

ちいさいころ、祖母と一緒に父が地元の駅に到着するのをまって弁当を渡した記憶がほのかにあります。

なにも昔がよかったということではないですが、コロナ後世の世界を考えたとき、もっとファンタジーの力を信じたらいいんではないかを思う次第です。

トトロってそれだったんだろうな。学校を退職するとき、あんまり勉強できないけど、お別れの色紙に「今度、トトロを見につれていってください」と書いた生徒がいました。その約束果たさないとね。



この記事が参加している募集

サポートしていただける方はよろしくお願いします! 頂いたサポートは、今後の活動に活用させて頂きます。