承認欲求と自己肯定感【衝動 vol.6】

ここ2週間くらい自分が1人でこっそり感じていたことをついに他人の口から言われてしまった。

彼女がいたときよりかっこよくなったよね

ええそうですとも。時間もお金も全て自分のために使うようになって自己成長が生き甲斐になった今、現を抜かすものがあったときと比べて雲泥の差ができるのは最早当たり前です。

そんなことは自分でも思っていたし自分が一番わかっている。でも今回触れたいのはそこではありません。それは他人から認められることの喜ばしさとそれに伴う自己に対する満足感についてです。

どれだけ自分のことを認めていても、どこか満たされない感覚は常にあります。個人的には生物固有の他者からの承認欲求のためだと考えています。

その一言で今までやってきた全てが肯定されたような気さえしました。自分で認める以上の快感を感じ、久しぶりに脳内で快楽物質が溢れ出んばかりに生成される感覚を味わいました。まさに洪水のようでした。この出来事で現状の自分に対する満足感がもの凄い勢いで上昇し、「現状維持でも何一つ問題ないな」と感じるほどになった。たしかにこんな感覚を簡単に味わえるのならば、体を売ることも厭わなくなるし、そのように肯定してくれる相手に依存するよなあと思うほどに。

過去の自分を客観視できるようになったからこそ、現状に甘えることに対して厳しくなれた一方、規律がなければその場で止まってしまうでしょうね。その気持ちは痛いほどわかる。だって今現在の自分で何一つ問題ないよと言ってくれているようなものですから。

だからこそ成長をし続けるためには、普段から自己に対する満足感を自力で満たしておく必要があるわけです。おそらくどれだけ満たしても、他人からの承認には敵わないでしょう。それでも歩みを止めないためには絶対必要になります。

人間には他人に認められたい、他人から尊敬されたいという欲求が備え付けられていて、それに対して忠実に動く。所詮そんな生き物だと痛感させられる出来事でした。

どうせどこかで甘えている未来の自分への戒めを込めて。

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