見出し画像

学歴ロンダリングは悪ではない。

つい先日、とあるツイートが目に入った。

とあるツイート

なぜこの投稿がこんなにもいいねされているのか。

少し調べてみると、どうやら『東大博士号ママ』という、とある教授のアカウントが、日本人の英語の発音が下手だと投稿し、炎上したらしい。
詳しくは省くが、この教授が自分の学生の英語発音を揶揄するなど、不適切な投稿をしたことは本当のようなので、炎上もやむなしといったところである。

しかし、私の注目した問題はそこではない。
問題は、これに対する上記の批判ツイートはあまりにもナンセンスであり、にもかかわらずこれに賛同する人間がたくさんいることである。
先に断っておくが、私は教授の肩を持つつもりなど毛頭ない。自分の学生の英語発音を揶揄するような投稿なんて、大学の教授のすることではない。


「学歴ロンダリング(学歴ロンダ)」という言葉がある。
いろいろな使われ方があるが、一般的には、「学力的にいまいちな(と世間で思われている)大学を卒業した後、より学力の高い大学の大学院に入学する」ことを揶揄する言葉である。
今回の教授の場合、博士号を東大で修得しているものの、学士課程は東大以外だったためにこのような批判が生まれたというわけだ。

当たり前の話だが、そもそも大学の名前で人を馬鹿にするのは一発アウトである。
出生地や生まれ持った特徴、職業などで人を馬鹿にすることがアウトであるのは常識のはずだが、こと学歴の話になると、この常識がなぜか吹き飛ぶ人が多い。

批判ツイートに関するリプ欄

話を戻す。今回の批判ツイート「東大博士号はわかったから大学学部はどこなんだよ」という言葉には、「東大の大学院にいたことはわかったけど、学部時代はもっとレベルの低い大学にいたんでしょ?なんでそれを言わないの?」という考えが透けて見える。
この批判ツイートに関するリプ欄も、まるで「大学院が東大でも、学部が東大ではないなら馬鹿にしてもいい」とでも言いたげだ。

これに対する私の考えは「情けねえ奴らだな」である。
そもそも学歴ロンダリングという言葉が非常にナンセンスであり、自分にとってよりよい研究環境を得るため勉強していい大学に行くことは、褒められこそすれ、落ち度など一つもない。
東大院卒の称号が鼻持ちならないがために、学部時代の大学名を持ち出してきて少しでも馬鹿にしようとする。例えるなら、オリンピックでメダルを取った選手に「でも前回のオリンピックでは5位でしたよね?」などと聞くのと同じだ。実に見苦しい。

教授が学生時代、東大の院試に受かり、研究をし博士号を取るまでには大変な努力があったはずだ。それを無視し、揚げ足取りに執心するリプ欄の人間は、実に「情けねえ奴ら」に見える。

また、一部の人は「東大の院試は学部の入学試験より簡単だから、馬鹿にしてもいい!」などと反論するかもしれない。
もちろん馬鹿にしていいわけなどないのだが、そもそも「簡単」とは何の根拠があって言っているのだろうか。実際に院試の問題を確かめた人間がリプ欄に何人いるのだろうか。
少なくとも私が自分の専攻分野の問題を確認したところ、とても簡単と思えるようなものではなかったことは述べておく。

結局、教授も、教授を批判している人間も、どっちもどっちだったということだ。教授は学生をバカにするべきではなかったが、批判者は教授を馬鹿にするべきではなかった。

指摘する声

最後に、今回の炎上で、「学歴ロンダリングは悪!叩いてもいい!」という空気が流れてしまったことは、非常によくなかったと思う。
しかし一方で、一部ではあるが「学歴ロンダリング」という言葉のナンセンスさを指摘する声もあった。
教授の学歴ロンダリングを馬鹿にするツイートが多くあり、それに埋もれてはいるものの、確かに空気を変えようとしている人は存在したのだ。

多くの人がこのような考え方を持ち、人様の学歴を馬鹿にする人が減ることを、私は切に願っている。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?