フリー初役満で死にかけた話

大学3年生の夏のことである。テスト前になり、取っていたほとんどの授業での講義は終了し、テスト勉強に勤しむ1週間が始まった。

とりあえず朝起きた私は、家の中の異様な暑さのせいか、すぐに勉強する気にもなれず、原付をとばして10分程のフリー雀荘に行くことに決めた。大学の裏の激安アパートに住んでいたが、木造築30年は伊達ではなく、エアコンをつけなければ部屋の中の温度は外と同じになってしまう。

別にエアコンをつけて勉強をしたって、すぐ近くにある、エアコンの効いた大学の図書館で勉強をしたっていい。自分はただフリーを打ちに行きたかっただけなのである。

フリー雀荘に通い始めてまだ1年程である。当時の自分は麻雀を打てるというだけで心が躍った。学部のセットメンツとは毎週のようにセットをしていたが、テスト前では卓が立たない。メンツを集めなくても、フリー雀荘に行くだけで麻雀を打てるなんてなんて素晴らしいのだろうか・・・。赤信号にやきもきし、駐輪場から歩くたった3分がとても長く感じる程にはやる心を抑え、雀荘の入り口を開ける。

通っていた雀荘は点4で祝儀が2500点相当の店だった。店の雰囲気も明るく、レートも高くないので学生のフリーデビューにはもってこいの雀荘。お客さんもお年寄りから会社帰りのサラリーマン、学生、あとは何をしているかよくわからない人々・・・といろんな人がいた。地域に愛される雀荘である。例に漏れずその雀荘でフリーデビューした私であるが、その時期はあまり学生の打ち手がいなかったらしく、メンバーの人からは名前もすぐに覚えてもらえるし、たくさん話しかけてもらえる。すっかり居心地が良くなった私は、週1回、2回・・と通う回数が増えていった。

卓に案内され、いつものように麻雀を打つ。その日は、多分負けていた。カードに両替した5000円はもうなくなりかけていた。雀荘に来る直前、うきうきしていた自分はもうそこにはいない。今日は負けか・・・・と思いつつ、すぐラス半コールはせず、タイミングを見計らっていた。もしかしたらこの半荘でトップを取れるかもしれない。オールスターで5枚オールをツモれるかもしれない。何が起こるか分からない。ここでラス半をかけて負けを放っておくわけにはいかない。

メンタルがやられかけているのだから、5000円負けですっぱりやめてしまえばいいものを、まだどこか諦めがついていないのである。負けがこむ人の典型的な思考をしながら、次の配牌を開ける。

索子が少し多い。字牌はないからホンイツは厳しいか・・・でも他の数牌もバラバラだしなあ・・・。微妙に悪い配牌に心の中でため息をつきながら摸打を繰り返す。

河も2段目に差し掛かったところで、手牌には索子があふれんばかりになっていた。1sと9sはアンコになるし、赤5sも持ってきた。チンイツだ!と思った時の私の手牌はこのようになっていた。

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九蓮宝燈のイーシャンテンである。索子なら何を持ってきてもテンパイでめちゃくちゃいい形。落胆していたさっきの自分はどこへやら、一気に目が覚めた、気がした。

しかし私はこの時、全く違うことを考えていた。麻雀を始めてまだ2年半程、フリーは1年くらい前にデビューしたばかり。そう・・・


メンチンの待ちなんて分かるわけがない。


多分その時は、索子なら何を持ってきてもテンパイだということにすら気が付いていなかった。というか、九蓮宝燈のイーシャンテンだということすらしっかり意識はしていなかった。もちろん、何を持ってきたら何待ちなんて分かるわけもない。自分の番が回ってくるまでのわずかな時間ではゆっくり考えることも出来ない。長考はあまりしたくない。フリテンロン倒牌をしたときの、チョンボに対する焦りを覚えながら、数巡のムダヅモを繰り返していた。

11巡目。もう何も考えられない。ツモ山に手を伸ばす。

盲牌などしなくても、分かる。指の腹に当たっているこの牌の感触は・・・。そうだ!


2sである。


あの時ほど嬉しかったツモは8年程麻雀を打っているが未だにない。絶望を味わってからの大どんでん返し。

流石の自分も気づいた。これは純正九蓮宝燈のテンパイである。待ちは索子全部。何も考えなくていい。後はアガるだけだ・・・。心臓がバクバクしている。誰も自分のテンパイには気づいていないだろう。頼む、索子だ・・!


程無くして上家の6sで出あがり。「ロン、32000は32600の11枚です」

上家呆然、
対面「ははっ、こりゃ仕上がってるわ」
下家「ラストー」

今では下家の冷静さにツッコミを入れたくもなるが、純正九蓮宝燈をアガることが出来た自分は、一転して嬉しさよりも気まずさを感じていた。

ラストを取りに来たメンバーもなぜか冷静だった。
「あぁ、32000は32600の11枚ですね」
俺はもう申告したんだけど・・・。
ちょっとくらいは驚いてほしいと思った。

店長が後ろからやってきた。見るなり一言。
「リーチかけましょう!」
やっぱり驚いてはくれなかった。なぜか少し怒られた?

店長のコールが入った。「(私の名前)様、純正九蓮宝燈和了おめでとうございます!」

メンバーも、おそらくお客さんも、全員拍手してくれた。
しかし自分は、謎の気まずさに苛まれていた。理由はしっかりとは分からない。アガった時の同卓者の反応?あの乾いた笑い?メンバーの微妙な塩対応?

半荘はコールドゲームでトップ終了、気まずさに耐えられなくなった自分は、なぜかここで凸ラスを宣言。

放銃した上家のおじさんに、ちょっと悔しそうに、「いいの?いい流れ来てるのに」と言われた。今考えると役満放銃した相手にこんなことを言えるなんて、もしかすると一番余裕があって良いおじさんだったのかもしれない。心に余裕がもうなかった私は、「ハハ、帰ります」とだけ喋ってその場を後にし、レジで精算を行った。なんともつれない若者である。

精算をしてくれた店長には、「終了するときは、ラス半コールしてくださいね」と言われてしまった。確かにもっともなのだが、役満に対しては何も言ってくれなかった。こんなものなのかなあ。麻雀初心者ながらに、純正九蓮宝燈にはもっと反応があるものだと思っていた。自分は「す、すみません」とだけ言って店を出た。一刻も早く帰りたかった。その場にいることに耐えられなかった。

アーケード街をぼやーとした気持ちでフラフラ歩き、駐輪場から回収した原付に乗った。テストのことなど頭から吹っ飛んでしまった。今日の雀荘での一連の出来事をボケっと振り返る。ああ、純正九蓮宝燈は嬉しかったなあ、けどなんかみんな冷静だったなあ、しかも少し怒られたなあ。・・・運転のことなど全く考えずに原付のアクセルを回す。回す。回す・・・・・


気づけば私は大通りの赤信号に突進していた。車が行き交う道路に、アクセル全開で突っ込んで行くところだった。道路が大きく、車が往来するところまで多少距離に余裕があったのが幸いした。急ブレーキで何とか間に合った。少し前を見渡すと数え切れない程の車が走っている。雀荘にいた時とは違う意味で心臓がバクバクしている。


九蓮宝燈はアガったら死ぬとよく言われていた。
それだけ珍しい役満だということなのだろう。よく考えてみると、こんなに珍しい役満をアガって、浮ついた気持ちで帰路につくと、いつもは回避出来ていた事故やトラブルに遭いやすくなるのではないだろうか。大金がかかっていたとすれば、こんな派手な役満をアガったら生きて帰れないんじゃないか・・・。というかアガる直前から心臓がバクバクしすぎてそのまま死ぬ人とかいるんじゃないか?・・だからアガったら死ぬ、なんて迷信?言い伝え?が出来たのではないか・・・・。

そんなことを大学の図書館で考えつつ、テスト勉強に取り掛かってみたが全く進まない。何も書いていないノートをかばんにしまい、その日はすぐに家に帰った。

ちなみに今もメンチンの待ちは分からない。

おわり。

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