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古典を読む。たまにはいいですよ。『大鏡』をおすすめします。

3月31日、一緒に働いてきた幾人かの方々とお別れです。
「note」でつながっていられれば、いいな。

実は私の専門分野は古典文学。
ちょっと取っつきにくいと思われがちですが、いやいや、これがなかなかおもしろい。
まったくおもしろくなければ千年も生き残りません。

まずは『大鏡』を読んでください、もちろん現代語訳で。角川ソフィア文庫(ビギナーズ・クラシックス)か、講談社学術文庫が手に入りやすい。

高校の教科書にも頻出の古典です。花山院、安倍晴明、藤原公任、そして藤原道長・・・個性的な人物がこれでもか、と登場する歴史物語。その骨格はノンフィクションです。実在の人物と実際の事件。でも、下手な小説よりおもしろい。「事実は小説より奇なり」とはよくいったものです。

『大鏡』は中国の史書『史記』を範にしています。
そこで、今回は『史記』についてちょっとご説明を。

『史記』の著者司馬遷は太史でした。太史とは天文や暦、占いを司る官ですが、それらをしっかり記録することも職分であったため、記録官の色合いが濃くなってくる。
さて、中国では昔から(ここでいう昔とは三千年前とか四千年前くらい)歴史を大事にしてきました。歴史を記録することは国家の一大事。記録官である太史たちはプライドを持ってその仕事に取り組んでいた。

王が自分に都合のいいように記述せよ、と求めても、頑としてはねつけた。怒った王が太史を死刑に処し、その息子を太史にすえると、その息子がまた、亡き父の遺志を継いで記述する。またまた怒った王が太史を処刑し、次の太史を任命するが、これがまたまた前任者の遺志を受け継ぐ。ということで、王も根負けして太史の書くことに口出ししなくなった。という話を、どこかで聞いた気がします。

私が高校時代に世界史の先生が話してくれたような記憶があるんだが・・・。でも、私の記憶はホントに当てにならんからなあ。すぐにどこかに飛んじゃうし、勝手に書き換えるし。この話、もし間違ってたらごめんなさい。

自分の仕事にプライドを持つ。公文書に嘘は書けん、というのが古代中国の官僚の矜持。
当然のことと言えば、当然のことながら、それでもやはりすばらしい。
それにひきかえ・・・。

漢の武帝に仕えた司馬遷は非業の死(武帝に無視されて憤死、これはこれでエラいことです)を遂げた父司馬談(なぜか濁らずに「たん」と読むらしい)の後を継ぎ、有史以来の全てを記す一大歴史書の編纂を決意しました。ところが、司馬遷自身もとある将軍をかばったため武帝の怒りを買い、宮刑に処されます。このあたりの事情は中島敦の小説『李陵』を読むとよろしいですよ。

さて、宮刑とは・・・、男性の最も男性たるところを切除する刑。致死率がやたら高い。別名腐刑ともいう。衛生観念も技術も無かっただろうからなあ。消毒には塩やこしょうを使ったと聞いたことがあります。塩こしょう・・・、いろいろ想像すると、なんだか恐ろしい・・・。

生き残っても大変な屈辱。司馬遷はその屈辱をエネルギーに変えたんでしょうなあ。後にも先にも比べるモノのないウルトラ歴史書を完成させます。それがだいたい紀元前百年くらい。

紀元前百年に書く歴史って・・・、すごい!まあ、中国五千年の歴史といいますから。(三千年とか、四千年とか、いろいろありますね)

司馬遷は『史記』を人物主体の記述で編集しました。これを「紀伝体」といいます。
「紀」は皇帝の伝記である「本紀」、「項羽本紀」や「高祖本紀」ですね。ただし、始皇帝以前は王朝の名を本紀としています。「夏本紀」とか「殷本紀」。
「伝」はいろんな人の伝記である「列伝」。列伝には酷吏や遊侠や滑稽まである。この中の「太史公自序」が司馬遷の自伝。

「本紀」と「列伝」以外に「世家」というのもあります。これは王や諸侯、あるいはそれらに準じる者(例えば、クーデターの指導者とか)について記したものです。ところが王でも諸侯でもない人の世家がある。それは「孔子世家」。司馬遷にとって孔子は王に匹敵する人物だったようです。
そういえば、列伝には「仲尼弟子列伝」もある。仲尼とは孔子のことです。孔子の弟子たちの列伝ですね。顔回や子路や子貢が特に有名かな?
いわゆる年表方式よりこちらの方が人間が生き生きと描かれるのでおもしろい。

この『史記』をパクっ、いやいや、大いに参考にしたのが『大鏡』です。
次回は『大鏡』について、ご紹介したいと思います。

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