見出し画像

漂流教室 No.66 「『源氏物語』から離れちゃっているけど、「花山院」」

寒い。
でも能登のほうはもっと寒いよなあ。
暖を取るのもままならない方々も多いよなあ。
文句言っちゃいけないなあ。
でも寒いなあ。
という状態の私です。

私の住んでいるところはさほどの被害は無かったんですが、
道路がアカンところがちらほらございます。

地震というのはホントに恐ろしいものです。

「光る君へ」
いよいよ花山天皇が即位しましたね。
でもすぐに退位しちゃいます。
なんていったって在位期間は2年足らずですから。

さて、退位後の花山天皇、もはや天皇ではないので花山院ですね。
花山院は何をして暮らして(遊んで)いたかというとこんな話が残っています。

女性が大好きだった花山院。
出家したとはいえまだ19歳(満年齢なら18歳)ですから、それはもう元気・元気!
ということで、せっせと女性のもとに通います。
院がまだ30歳になるかならないかという頃、故太政大臣藤原為光の四の君のもとへ通うようになりました。この女性、かつて院が寵愛した女御忯子の妹さん。

最愛の忯子が亡くなったものだから、花山天皇は悲しみのあまり出家をしたんです。
花山天皇の退位事情についてはこちらをご覧ください。

院が四の君のもとへ通うのはまあいいんですが、同じ屋敷に住んでいる三の君にも通ってくる男性がいました。藤原伊周です。

伊周さん、有名人ですね。
お父さんは藤原道隆。
妹さんは中宮定子。
で、お父さんの弟さんが道兼と道長。
もう権力者の中枢。ど真ん中。

このお方が花山院も三の君目当てで通っていると勘違いしちゃった。
さて、どうしよう?
弟の隆家に相談します。

隆家は、「お兄ちゃんの恋人になんてことするんだ!」と、怒り心頭。
あろうことか武士団を引き連れて、花山院を襲い、院に矢を射かけるという事件を起こします。
その際、ウソかマコトか、院の従者である童子の首をはねたという話もあります。

いくらなんでもこれは大事件。
伊周、隆家の兄弟は流罪。
妹さんである中宮定子は懐妊中でしたが自ら断髪し出家したそうです。

この事件で一番得をしたのが道長さん。
この時すでにお兄ちゃんたちは亡くなっていましたから、「おじちゃん道長」と「甥っ子伊周」が権力争いをしていたんです。
伊周君が事件を起こしたので地方に左遷して、自分は権力を握った。

花山院自身が何かをしたわけではありませんが、結構な火種にはなっていますね。

でも花山院は単なる「お騒がせ法皇」だったわけではありません。
なかなかイイこともいっぱいした。
さて、どんなことをしたかというのは次のnoteで。

業務連絡
小松市近辺の中高生の皆さん、もしくはその保護者の方々。
国語は大事なんですが、自分で勉強しようと思ってもなかなかできません。
そこでひふみ塾がお手伝い。
とりかかるのなら早い方がいいですよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?