津井の古東領左衛門と吉田松陰と我が家

公開にあたって

去年(2019)夏にこの記事を書いたのですが、身内受けの話だな、と思って公開せずお蔵入りさせていました。

が、、、この中に出てくる「琴屋」の隣接農地(空き地)がソーラー転用される話が進んでいると聞きました。うーん、民地だし地主さんがGOだとなかなか大変だーと思うけど、この記事を公開して課金設定して、良い方向への転換に向けて活動するお2人にカンパしたいと思います。駄文ですが、よろしければ読んでいただき、最後にぽちり、とお願いします。

淡路島のマーキーと京ちゃん

友人の青木将幸さん(マーキー)と青木京さん(京ちゃん)は淡路島の津井というところに住んでいます。

私がファシリテーションに興味をもったすぐの頃、研修に参加したことを縁にマーキーと知り合い、その後、いくつかの有志プロジェクトでもご一緒し、私が主催したワークショップにも参加してくれたこともありました。

その当時東京在住だったマーキーたちは、京ちゃんのご両親が住む津井へ移ります。今年(2019)夏には、私たち家族も泊めていただいたりして、いろいろ交流が続いてます。

津井の古東領左衛門と長州の吉田松陰と世田谷若林

彼らは津井で「琴屋」という古民家を運営しています。何度か利用していますが、最近その琴やの「こと」が、古東領左衛門(ことうりょうざえもん)という当地の豪農で江戸末期の勤皇志士の名に由来すると京ちゃんのFBで読みました。

ふーん、それ知らなかった!と思ってちょっとググったら、我が家と面白いつながりが見えてきたので、以下記録します。

古東領左衛門は、幕末の混乱で落命し、その後明治16年、坂本龍馬が最初に埋葬されたことで知られる京都の霊明神社に合祀されます。その際の参列記録には、津井の関係者とともに、杉民治(みんじ)の名前が残されているそう。

この杉民治は、あの吉田松陰のお兄さん。

当方は世田谷区若林に住んでいまして、近くに長州毛利家の抱え地だった縁で松陰神社が明治15年に創建されていて、吉田松陰の墓があります。吉田松陰と古東領左衛門が、同志だったことが伺える記録があるということで、「へえ!」の1つ目。おまけですが、萩の松陰神社よりこっちが先の創建です。

長州と大阪と兵庫と京都と、、、

そして、もうひとつ。杉民治の孫に杉道助という人がいます。戦前から戦後にかけて関西財界で活躍した実業家。JETRO創設でも知られるこの杉道助は、船場八社のひとつである八木商店に婿入りし、社長を務めます。

後世、その八木商店に嫁ぐのが、義父の妹さん。現社長は妻のいとこ。

義父の家は父方が兵庫港の海鮮問屋で、母方が京都の老舗綿布商。杉道助が吉田松陰とつながっていることは前から知っていたのですが、さらに淡路島の豪農の話ともつながっている!ということで2つ目の「へえ!」


かくして我が家と津井の豪農の間にはいくつかのつながりがあるという話でした。そもそも、この夏淡路島に行ったのは、兵庫港の海鮮問屋のルーツが淡路島にもありそうだな、と思って資料館に行ってみよう!というのがきっかけだったのですが、すこし違うところから、ずっと具体的なつながりがあってびっくりしました。

ここから先は

0字

¥ 1,000

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?