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プロフィール

21歳の時新卒で外資系メーカーに入社後2ヶ月でダラス本社に半年間渡米させて頂きました。
帰国後、アメリカでの夢のような生活から一変。工場に出社してアパートに帰り寝るだけ、休日にはパチンコ三昧の生活を送っていました。
その後バブルが弾けて仕事が激減。ますますパチンコにのめり込み同期社員からのネットワークビジネス勧誘にも見事引っかかり不眠症、鬱病を発症して会社を自己都合退職になりました。
夜逃げ同然で地元に戻り大手電器メーカー工場で夜勤のアルバイトリーダーとして働き当時付き合っていた彼女と婚約する直前に精神疾患の1つである統合失調症を発症し婚約は破棄になりました。

パチンコ店店員、派遣社員を経て外資系半導体製造装置メーカーに入社。入社後カリフォルニア州のシリコンバレー本社に研修のため渡米しました。帰国後フィールドエンジニアとして働きますが断薬と極度のストレスの為に約10ヶ月で統合失調症を再発して会社都合により退職となりました。
帰郷後、精神科病院にて入退院を繰り返しながら病院のデイケアに通所。精神疾患当事者が同じ屋根の下で生活するグループホームに8ヶ月間在籍中に広告会社の障害者採用枠で営業職に携わりました。
その後インターネット回線営業会社で営業職に携わり、平成25年福井ドリームプランプレゼンテーションにArt Connectorのプレゼンテーターとして参加。
同年上京し港区白金のシェアハウスに住むも3ヶ月で家賃が払えなくなり豊島区大塚に引っ越しました。その後クリニックに約1年間月曜から土曜までの毎日通院しました。この1年後位から精神面で不安定になり世田谷区の生活支援課に助けていただきました。当日はネットカフェに泊まり翌朝区役所に行き民間の簡易宿泊所(シェルター)に4ヶ月滞在して物件を探して6年前から今のアパートに住んでいます。殆ど引きこもりの生活でしたが今年の3月からはB型作業所に通っていました。
おととしの秋頃からアナウンス講座や劇団のワークショップ、エキストラのバイトをしたりしていました。例えアラフィフで精神に障害があっても自分の可能性には制限を設けたくない。ずっと僕の中でつい最近までベンチャーや外資コンサルみたいな会社に障害者枠で入社したいという気持ちもありました。でも僕の強みは学生時代に連れと每日Barに行き血を吐きながらバーボンのボトルを一晩で1本空けていたのと両親に貰ったこの声だと気付かされた時、自分の中でラジオDJやシンガーが僕がやりたかった仕事だとようやくわかりました。

競争社会、貧富の差、Pureに生きている人が報われない社会。

30年前のダラスでの半年。26年前のシリコンバレーでの数ヶ月。これらの出来事は20代中盤までの僕の人格形成に大きく影響したのは確かです。

Tokyoはもので溢れかえっているけど心が満たされない。

心の貧しい国日本。

そんな人達に元気が出るような歌手や、ラジオDJになりたい。

そして生涯をかけて世界中で紛争や貧困に苦しんでいる人々に寄付する投資家になる事をクリスチャンである使命としてここに誓いたいと思います。

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