1.17に寄せて

阪神・淡路大震災が起きたあの日から今年で29年の年月が経った。当時被災された方にとってこの月日は長かったのだろうか短かったのだろうか。これまで歩んでこられた日々を思うと途方もない気持ちになる。

私は震災後の兵庫県神戸市で生まれ育った。
私は美しい神戸の姿しか知らない。被害の比較的少なかった山あいの地域で生まれた私は、神戸の街を歩く度に本当にここで震災が起きたのかと信じられないような思いだった。

私は昔の神戸を知らない。もちろん学校で神戸の街の歴史は習うし、防災学習も受けてきた。当時を知る方々から直接お話も伺ったし、私の身の回りの家族、親戚はみんな被災経験者でそれぞれの1月17日を何度も耳にしてきた。
経験はしていなくても神戸に生まれたひとりとして震災とは無縁では居られない。何も知らない世代だと思われるかもしれないけれど、誤解を恐れずに言えばそれ故にある種の疎外感のようなものはあった。痛みや苦しみは想像できても実際にそれを追体験することはできない、本当の意味で心を寄せる事ができていないのではないか、震災を知らない自分が何か言葉にしていいのだろうか、と黙祷を捧げる度に様々な思いが巡った。

中学生の時、私は地元から離れた高校を受験した。震災で甚大な被害を受けたエリアにある高校だった。
在学生の半数がそのエリアで生まれ育った子で、新しく出来た友達も皆そうだった。今まで一度も降りたことのなかった駅で毎日のように友達と寄り道をするようになり、私が神戸のごく狭いところしか知らなかったのだとこの時に実感するようになった。

友人といつものように連れ立って歩いていると、とある商店街を通った。人通りが少なく、殆どの店がシャッターを降ろしてた。静けさを纏ったその通りを目にした友達は、その時私に教えてくれた。
そこはかつて賑わった商店街だったこと、震災の影響で店を閉めざるを得ない状況に追い込まれてしまったこと、そんな商店街がいくつもあること。
私はその時にようやく、震災が神戸の街に与えた傷跡を実感したような気がする。
同じ神戸の高校生でありながら、こんなにも震災の記憶への眼差しに差があるのかと正直愕然とする気持ちがあった。私の生まれ育った地域も無傷というわけではなかったけれど、この街で生まれ育った友人はその壮絶な記憶を、人々の痛みを、体験はせずともその身に宿し、ごく自然に伝えてくれた。この時の風景や友人の表情や声を今も鮮明に覚えている。

昔の神戸を知らない私達は知ろうとしない限り分からないことが沢山ある。だからこそ、神戸の街に生きてきた方々が私たちに伝えてくれる時間が如何に大切なことだったのかと今になってしみじみと感じる。神戸は震災を経ても人々が暮らしていく街として存在し続けてくれた。街を、人を信じて守り、懸命に生き続けてくれた方々がいた。街はあのような絶望的な状況から一歩一歩復興の道を辿ってきた。街は滅びなかったのだ。だから私は神戸市民として生まれ、育つ事ができた。神戸のことを思うといつも胸の奥がぐっと熱くなる。私は神戸に生まれてよかったと心から思う。

私の故郷、神戸は美しい街だ。今も昔も変わらず街には灯が灯る。誰がなんと言おうと過去も含め神戸は美しい。29年経っても消えることの無い傷はあるけれど、それでもこの街を愛している。私の故郷が私の自慢の街であると心の底から思える事がこんなにも誇らしい。
知らない、経験してないから無かったことにするのではなく、過去も含め今ある神戸のことを大切に思って行きたいし、29年経っても消えない傷はあるけれど、この街を今度は自分が守る事ができるように、共に生きるために自分が今できることをやりたいと強く思った。また新たな命が神戸で生まれ、育まれていく。震災を知る世代が少なくなったとしても、今度は私自身が神戸の記憶を風化させず伝えていく、かつて私に伝えてくれた友人のように自分の言葉で繋いでいける人でありたいと思う。

2024.1.17



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