コロナが流行り始めた年に新卒だったわたし

 2020年、その幕開けと共に新型コロナウイルス感染症の恐怖が世界中を覆った。わたしはコロナウイルスが世界的に流行したこの年に、新入社員として会社に就職した。
入社前から不安は募るばかりだった。当時はウイルスの特徴や感染経路、予防法全てが不確かで様々な憶測が飛び交い、まさに世界中の人々がパニック状態だった。毎日跳ね上がる感染者数に心が疲弊していった。ステイホームが謳われ、外出自粛となり、不要不急の外出は避ける方針となった。
新入社員であるわたしも初日に出勤した後、すぐに自宅待機となってしまった。本来なら研修を受け、仕事を教えてもらうタイミングで会社に行くことすら叶わない。自宅にいることを余儀なくされている現状にイライラし、焦りでいっぱいだった。一日一日があまりにも長く、こんなはずではなかった…毎日そう思っていた。就職活動ではなかなか採用を貰えず、学業と生活費を稼ぐためのアルバイトの合間の時間で必死に面接を受け続けてきた。夜行バスで遠方に面接を受け、そのまま新幹線で別の会社の面接に行ったりボロボロになりながらやっと掴んだ採用だった。それなのに、今は出勤することが出来ない。この会社に来た意味はあったのだろうかと思ってしまう自分がいた。ずっとわたしはこのままなのだろうかという閉塞感で押し潰されそうだった。時間が余るとどうしてもネガティブなことを考えて悶々としてしまうので一人の時間が苦痛だった。家でゆっくりすることが大好きだったのに、もう家にいたくないとすら思った。出勤できない状態で初任給をいただいた。何も出来ないわたしがお金だけ貰って、と初任給を手にしても罪悪感で苦い思いをした。僕は給料泥棒だ、そんなふうに思った。親に沢山心配をかけた。電話口で大丈夫だよと笑ってみせた。もういっぱいいっぱいだった。

 数ヶ月が経ち、ろくに経験も積めないままではあるが、初夏からわたしは出勤することが叶う。やっと、やっと、会社に出勤できる。会社に貢献できる。それだけでわたしはとても嬉しかった。やっと真っ当に社会人になれたと思った。

 しかし、待っていたのはただただきつい現実だった。本来の新入社員が研修中として過ごす3ヶ月あまりを丸々自宅で過ごしたわたし達は、いきなり現場に放り込まれてしまった。そのまま研修は行われず、まるで今までの新卒の研修後のように様々なことを求められた。社会人1年目で、この会社に足を踏み入れたのは今日が初日と言っても過言でない。その状態であまりにも、ではないか。
例年の新卒なら出来る時期だ、分からないならなぜ聞きに来ない。何度も何度も言われた。わたし達は、分からない事が分からないのだ。毎年毎年新入社員が入ってきて、同じことを教えることにうんざりしているのかもしれないし、やっと会社での仕事が始まり、皆忙しくて余裕がなかったのかもしれない。上司にだって理由はきっとある。それにコロナウイルスが流行することは誰も予想ができない、誰のせいでもないのだ。娯楽は全て取り上げられ、ストレスが溜まっているのかもしれない。それにしたって、それにしたって。もう少しちゃんと新入社員に向き合えなかったのだろうか。こちらは社会に出ていきなりこんな状況で不安でいっぱいなのだ。世界が一変したような中で、会社で頼れる人もまだ分からず、右も左も前も後ろも分からない。そんな状態なのにどうしてそこまで放り出せるのだろうか。新入社員の立場で言えたことでは無いかもしれないが、お世辞にもいい労働環境では無いと思うし、元々そうだった所にコロナ禍で拍車がかかったように新人を育てる環境が整っていなかったように思う。

 わたしたちが出勤できなかったことに対して、社会人を舐めないで欲しい、こんな楽な仕事じゃないからね。いいね、働かないでお金もらえて、と嫌味を言われた。あの子たちはコロナ世代だから、仕事がいつまで経ってもできないから、と陰口を叩かれた。必死になって覚えようと質問にいけば、まだ覚えてなかったの?今まで何をしていたの?と突き放された。まだこんな事も出来なくて、来年の新卒に対してどうするつもり?恥ずかしいと罵られた。全員敵に見えた。わたし達にだったら何を言ってもいいのだと思われている、そのように感じてしまった。もう誰も信じられなかった。手を差し伸べてくれる人、現状に気が付いて声を掛けてくれる人はいなかった。或いは気が付いていても気付かないふりをしていたのかもしれない。蔑ろにされ続けて、わたしたちは壊れていった。誰にも言わず連絡が途絶えた同期もいた、心と体が壊れてしまった同期もいた。
私の会社はコロナの影響をもろに受け、その後も何度も感染発覚により営業停止を余儀なくされてしまうこととなった。外出自粛が謳われ、仕事をしているだけで非難の声を受けることもあった。それでもまた元の世界に戻り楽しいに日々がやってくるとそう信じてやっていくしかなかった。そして今尚、日本中がコロナ禍の閉塞感の中で息苦しい日々を過ごしている。


2020年、コロナウイルスの流行時期に入社した人々はそのような状況でもあたたかく迎えて貰えたのだろうか。きちんと仕事を教えて貰えたのだろうか。わたしのような思いをした人が他にもいるかもしれないと、またわたしのような思いをした人ばかりではなかったのではないかと、そう思って、そう信じたくて堪らなくなってこの文章を書いている。
誰も悪くないし、ましてやわたしたちは何も悪くなかったのに理不尽だったと思う。それが世の中であると割り切るべきかもしれないが、一生わたしはこのことを、この仕打ちを忘れられないと思う。わたしはこれを記すことで自分を慰め、あの頃の苦しんでいる自分を救いたくて殴りつけるように記している。もし、この文章を読んでくださる人がいるとすれば、そこに色々な意見はあるかもしれないが、コロナが変えてしまった世界を、そして苦い思いをした人々がわたしだけじゃなく貴方も、そして全世界に沢山いたことをどうか思い出してほしい。そしてこれからまたコロナの影響で苦しい局面に立たされている人達にどうか想像を膨らませ、寄り添い生きていきたい。


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