「文化や宗教、国境を越えて」 支援するJP-MIRAI youth 学生レポーター企画第7回: 大恩寺


 「学生レポーターによるインタビュー」企画第7回では、3月29日に埼玉県のベトナム寺院「大恩寺」を訪問し、在日ベトナム人の支援活動を行うティック・タム・チー住職と大恩寺にて事務を担うフェンさんにお話を伺いました!


JP-MIRAI Youthでは、2月に開催した勉強会・交流会にて、ティック・タム・チー住職にインタビューをさせて頂きました。こちらから動画付きの報告を見ることができるので、ぜひご覧ください。また、過去の大恩寺での交流の記事はこちらもご覧ください。


大恩寺は、在日ベトナム仏教信者会会長のティック・タム・チーさんが住職を務める埼玉県本庄市の仏教寺院です。日本に来たものの職を失ったり、帰国困難に陥ったりしたベトナム人の「駆け込み寺」となっています。


大恩寺の概要


・最寄り駅の児玉駅から約4km。山麓にあるため見晴らしがよく、市内が見渡せる。この日はあいにく曇り空だったが、天気が良いと赤城山も見える。

・ティック・タム・チー住職(以下住職)以外にも、尼僧の方や、フェンさんをはじめとした在家のスタッフもお寺の運営を担っている。

・「浄農園」という広い畑があり、自給自足を目指している。もともと耕作放棄地だった土地を借り、農業委員会の協力も得て開墾したという。「地域が明るくなるようにね。それにお寺のみんなも、コロナ禍でじっとしているよりは畑で動けば健康になるんですよ。ひとつの修行なのでね(笑)」「採れた野菜を精進料理にして食べていて、周りの方々にも少しずつ配っています」と話してくださった。


・境内では保護されたベトナム人が寝泊まりする。現在はベトナムの入国制限が緩和されているためお寺に残っているのは10人程度だが、多いときには60人から70人を保護していた。


支援活動について

・お寺で保護している人には食事や住環境を無償で提供している。

・ベトナムへの帰国支援もしている。住職は3月中旬にも、病気を患っている人や妊婦さんの子どもをベトナムに送り届けてきたばかり。

・妊婦さんが住んでいたのは、東京にある大恩寺のシェルター。東京や神奈川など他県のシェルターでも困窮者支援をしていて、栃木県には昨年新しく寺院を建てた。

・亡くなったベトナム人の供養もしている。訃報があると、たとえ真夜中でも全国各地へ駆けつける。

・大恩寺の外へも食糧支援をしている。コロナ禍で生活の厳しいベトナム人が多く、その日の食糧に困る人も多い。「幸せの贈り物プロジェクト」としてお米やラーメン、油などの食品を全国各地の希望者に配布。これまで6万人に800t以上の食糧を届けてきた。

・食糧の仕分けはボランティアが手伝う。「一人じゃできないですね」と朗らかに話しながら、大勢の人が集まって白菜や米の仕分けをしている動画を見せてくださった。



・ベトナム人に限らず、生活に行き詰まった外国人も広く支援してきた。

・現在は、ウクライナ人の保護や募金活動も考えている。ベトナム戦争の終戦直後に生まれた住職は、食べ物もない中で子供時代を過ごし、戦争の辛さを知っている。

「このコロナ時代、文化や宗教、国家を超えて、人と人がつながり助け合うことが求められています」と住職は話してくれました。


・「助け合う」という言葉のとおり、大恩寺の食糧支援は、ほとんどがメディアを通じて大恩寺を知った人や信者からの寄付で成り立っている。

・地域の人との交流も盛んで、トラック山ほどの野菜をもらったことも。旧正月や正月にはイベントを開き、近隣の住民も参加している。当初は騒音やごみの問題で苦情があったが、事前にイベントの許可を取ったりごみ捨ての仕方を工夫したりという努力を続け、地元の人たちには徐々に理解してもらった。今では協力してくれる近隣住民も多い。


フェンさんから見たティック・タム・チー住職

・フェンさんは2013年に留学のために来日してすぐに住職と出会い、その後ずっとボランティアでお手伝いをしている。2021年にはベトナム仏教信者のコミュニティのスタッフになった。

・ベトナムでは僧侶はもっと厳格さが求められ、市井人とはあまり交流しないため、ベトナム人が初めて住職に会うと、そのフレンドリーさに驚くことが多いらしい。

・とても精力的に動き回っているため、「先生(住職)は疲れないんですか?」と聞いたことがある。住職から返ってきた答えは、「確かに疲れるけれど、困っている人みんなの力になれるのがうれしいんです」というもの。とにかく優しい人で、尊敬している。



学生レポーターの気づき・学び


(下記内容に差し替え)

ドライバーさんは馴染みのベトナム人との何気ない日常会話や、その人達の仕事の様子などを気さくに話してくださいました。彼の話を聞いていると、児玉町のようにベトナム人が多い地域での多文化共生への感覚と東京での感覚には大きな違いがあるのだと思いました。自分のホームタウンで、例えば連れ立って歩いている外国人のグループを見かけたり、その人達と話したり、同じスーパーマーケットやゴミ捨て場や病院を使ったりという、実際に生活空間に根差した異文化の経験からしか得られない感覚があると思います。翻って東京は大きな外国人人口を抱えていますが、本当の意味で生活空間を共にする経験は児玉町と比べて少ないのではないでしょうか。少なくとも私は外国人と共に住む大学の寮に入るまではそうでした。私は「多文化共生」というワードにどこか非日常感やよそよそしさを感じるところがあるのですが、それも自分の生活と外国人の生活との間に無意識的に壁を作っているためかもしれません。生活空間に根差した経験があって初めて、「外国人」というラベルにとらわれず、同じ人間として一つの社会を作っていく営みが可能になるのではないかなと、襟を正す思いです。



住職はとても朗らかにお話をしてくださって、温かい気持ちになるとともに、助けを求める技能実習生や、自死に至ってしまう方が毎年いることから目を背けてはいけないと思いました。フェンさんをはじめ、出家せず一般の方としてお寺のお手伝いをしている方々にもお会いできました。実際にお寺の炊事場や寝泊り用の大きなゲルを見ると、大勢の人の共同生活を切り盛りするのにはフェンさんたちの力が欠かせないのだと実感します。また、お寺に向かう際のタクシーでは運転手さんと大恩寺の話で盛り上がりました。ドライバーさんが話していた馴染みのベトナム人とのエピソードはとても新鮮でした。本庄市のようなベトナム人が身近な地域での多文化共生への感覚と東京での感覚には大きな違いがあるのだと気づかされました。(前川)


常に優しく、困っている人が居れば日本全国に手伝いに行く住職だからこそ、地域の方も、周囲の方からも信頼されていて、皆が支援を申し出るのだろうと感じました。実習生やベトナム人、という枠ではなく、あなたという人間はどういう人なのかということをしっかりと見てくれている、そして耳を傾けてくれる姿勢がいかに大事かを、その姿で示してくださっていると思います。また、住職はウクライナ難民の方の受け入れも検討されているようで、市役所の方ともお話をされていました。国際協力や多文化共生を考える者として、地球の遠く離れたところであっても、 その人のことを隣人のように心配し、相手をしっかりと見て支援を行う住職の心構えを見習っていきたいと思います。(遠藤)


コロナ禍という危機の時代、「文化や宗教、国家を越えて」人と人がつながり、

支えあう大切さを説く住職のお話が身に沁みました。前回のインタビューで、日系人の実業家である斎藤さんは、「労働者」や「外国人」である以前にひとりの「人間」として受け入れる必要性を訴えていました。現状、外国人は十分な社会保障を享受しにくい立場にありますが、安心できる生活を送ることは国籍や信条にかかわらず、すべての「人間」に等しく与えられるべき権利です。実際に大恩寺に訪れたことで、困ったときには「駆け込み寺」がある、ということが持つ意味の大きさを改めて感じました。 (持田)


「大学生ですよね?勉強頑張ってね」と私に近づいて話しかけてくださった住職の優しい笑顔がとても印象に残っています。大恩寺にいた私たちと同年代のベトナム人の方とお話していた時、「みんなタム・チー先生のことが大好き」と言っていて、周囲の人に慕われていることがよくわかりました。住職のお人柄や、国籍に関わらず苦しんでいる人を助けるために精力的に活動していらっしゃる姿が、多くの人からの信頼や協力を集めているのだと思います。私もJP-MIRAIyouthの一員として、住職の姿勢を見習いながら、多文化共生社会の実現に貢献できるように取り組んでいきたいと強く感じました。 (相山)



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※これまでの「学生レポーターによるインタビュー」記事は (第1回~第6回はこちらからら)→https://note.com/jpmirai_youth/


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