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イベント採録(後半)「ジェンダー格差、労働環境、日本映画のこれからを考える」:JFP×CLP×TIFF2021

2021年11月2日、Japanese Film Project、Choose life project、そして東京国際映画祭とのコラボによるオンラインシンポジウム「ジェンダー格差、労働環境、日本映画のこれからを考える」が開かれました。司会は小島慶子さん(エッセイスト)で、荒木啓子さん(PFFディレクター)、石井千晴さん(助監督)、田中東子さん(メディア文化研究者/大妻女子大教授)、西川美和さん(監督)、そしてJFP発起人の歌川達人が登壇しました。イベントの内容を採録します。(以下敬称略)


労働者の権利 訴える場所がない

小島:田中さんが映画界の話を聞いていて、なにか疑問に思われることはありますか?

田中:
フリーランスの方が仕事を取りやすいとか、いろいろ業界的なご事情はあると思いますが、労働が非常に過重にもかかわらず、賃金があまりもらえないということに対して、みんなで声を揃えて抗議するような動きがないのかどうか疑問に感じています。ハリウッドですと、脚本家がストライキをしていて、すごく人気のあるシリーズがその年だけちょっと話数が少ないみたいなことがあったりしますよね。でも、日本の現場からそういった声はあまり出てこないみたいで。

歌川:
私も最初そのことを考えてました。日本には監督協会や撮影監督協会など、職能団体とよばれる団体があると思うんですけど、そこでは賃金の話をするような感じはなく…。

田中さんがおっしゃったように、海外では色々な組合が1日の労働時間や最低賃金など様々なレベルで声を上げているんですけど、日本ではそういうのが見当たらないんです。荒木さんはお詳しいですか?

荒木:
私たちの映画祭では映画も作っています。PFFで受賞した自主映画を撮ってらっしゃる方と、プロフェッションな人を組み合わせて、化学反応で何かがおきるのを期待してやっています。

ただ、組合とか「助け合う」とか、「全員足並みを揃えて地位向上のために連帯しましょう」というのが、全然生まれない雰囲気であることは確かだと思います。

海外の映画祭に行く日本の映画関係者は、いわゆる映画会社とか、インディペンデントなものが多いんですけど、「一緒になってこのチャンスを生かそう」みたいな話も全然生まれないですし。非常に分断された世界になっているのは、すごく感じるんです。なぜ分断されているんだろうっていうのは、常々考えているんですけど、それは「今、映画をいったい何のためにやってるのかがバラバラだから」だと思うんです。

「商品」としてやっているところもあれば、「作品」としてやっているところもある。あとは、映画スタジオが1970年代に完全に崩壊して、映画の空白地帯が起きて、本当にみんな拠り所がなくなり、その後生まれてきた「学校」というものがあるんですけども。

今、学校の意識はすごく高いと思うんです。いろんなスタジオから来た人たちが技術を伝承しに教師として招かれていて、それがまたその次の世代、次の世代ってやってきている。私たちの映画祭に応募する作り手たちでも、学校単位ではすごく連帯があると思うんですけども、いわゆる業界の連帯っていうのを、全く感じない。

実際に現場で映画を作っていらっしゃる方は、徒弟制度は残っていると思うので、その技師さんとお弟子さんのネットワークはあると思うんですが、そういう人たちが「自分たちの労働環境について、どこをどうすればどう変わるのか」をどう把握しているのかは残念ながら私はよく分かっていないんです。

今お話にでた監督協会や撮影協会などのうち、映画監督協会は、小津安二郎監督らが創設した、雇用されている映画会社の垣根を越えて映画監督が高めあおうという志のある歴史の長い協会です。
ですが、映画の黄金期が終焉し、映画会社が崩壊し、いわゆる会社に雇用されていて保証があった人にとっての互助組合みたいなものに変容している協会ですから。欧米の組合とは経路が違うんじゃないかと思います。

小島: 働く権利を守り、労働環境も待遇も向上させ、より良い形で働けるように自分たち守るという意味での連帯は、映画業界ではなかなかないのでしょうか? 西川さんが先ほど「何にも寄る辺のない仕事ですし」っておっしゃってましたが、何かあった時に頼れる窓口があったり、「これおかしいよね、ちょっと交渉してみようか」って仲間と声を上げられるようなものが全くないと、心細いですよね。

西川:「すごい耳が痛いな」と思いながら荒木さんの話聞いてたんですけどね。そういう発想すら持たないまま、若い時期が過ぎていきました。

「好きなことをやらせてもらっているんだから、耐えないともう次がない」という恐怖心に苛まれながら、みんな個々でやってると思います。映画界の人間って自分のチームとは連帯感があっても、同業者との横のつながりがないんです。本当だったらもっと情報交換しあったらいいに決まってるのに、出会うところは映画祭とか海外の映画祭、あるいは映画賞の席とかでちらっと挨拶する程度で、突っ込んだ話になっていかない。それがずーっと繰り返してきてしまった。もう少し給料の情報交換をしたり「それって誰に言えば話が変わると思う」ってことをやっていきたいなと思っています。

やりがいの搾取 情熱のカツアゲ

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小島:石井さんはどうですか? 西川さんがおっしゃったみたいに、ご自身は「すごいしんどいけど、好きな仕事なんだから我慢しなきゃ」って抱えていた経験はありますか?

石井:それこそ映画業界に入りたての頃は嬉しくて、頑張っていました。私は「情熱のカツアゲ」って呼んでるんですけど、働く場をいただいていることが嬉しいから、って労力を差し出してるんです。

ですが子供や家族ができてからは、それがどうしたってできない。今子供を育てながら働けるのは、映画業界の横のつながりの支えではありません。働いている時間はママ友が支えてくれて、収入は主人が支えてくれて、メンタルは子供が支えてくれるから自分がいられる。「情熱のカツアゲ」がなくならない限り、もしくは若い世代がNOって言わない限りは、ちょっと悲しいものがあるのかなと思っています。

小島:働く人には人間らしく働く権利があるんだって、それこそSDGsにも「Decent Work(働きがいのある人間らしい仕事)」という項目がありますよね。人間らしく働ける環境から、いいものを生み出せるようにしたいですね。どんな新米でも雇い主と交渉して大丈夫、労働組合などの手段があるんだよって。

私はたまたま大学で学んだから、自分が会社員になったときに労働組合に入りましたが、そうじゃない限り学ぶ機会もないですし、身のまわりでそういう話をしている人にも若い時には出会わない。

石井:私はたたき上げで助監督をやりましたが、知らなかったです。世間の人たちがどういうふうにしてお給料をもらってたとか、働いてる時間だとか、母になるチャンスがきたから知っただけで、それも知らずに「映画が好きだから現場が好きだから」で、母になるとか家庭を持つことを諦めるというか、どちらかの選択を迫られる。

小島:いろんな職業で「やりがい搾取」という言葉をききますが、「大切な仕事をやってるのにお金の話をするなんて」「あなたが好きで生きがいを持ってやってる仕事なのに文句を言うなんて」と言われると「自分がいけないんじゃないか」と思って黙ってしまったり泣き寝入りしてしまったり…。その結果、劣悪な労働条件やハラスメントにも耐え忍ぶしかないということがおきていますよね。

田中:「情熱のカツアゲ」という言葉、これは社会科学的にいうところの「やりがい搾取」という概念が相当します。日本もかつてはきちんと労働者の権利を主張するために労働者自身が声を上げていた過去のレガシーがあります。でも、いつの間にか労働者が自分自身の労働の価値を低くみるようになり、「こんな低賃金でも頑張らないといけない」と考えるようになってしまったんですよね。

この30年間、日本だけ所得が上がってないと言われているので、これは映画業界も含め日本社会全体に通底する問題です。次の映画を作っていくためにもお金は稼がないといけないと思うんですけれども、社会問題をすくいあげて、それをテーマとして映画を撮っていくにもかかわらず、映画を作ってる人たち自身が労働の権利を顧みない状態に置かれているのは、すごく問題があると感じています。

「やりがい搾取」なり「情熱のカツアゲ」なり、人間が人間としての尊厳を踏みにじられているにも関わらず、声を上げられない状況に置かれてしまっています。この点は、むしろ映画産業の外の、他のいろいろな業界の人たちと一緒に考えていくことが大事なのかなと感じました。

歌川:先ほど荒木さんが言及された監督協会とかの名簿とかをみていると、平均年齢が非常に高いんです。40歳以下の若い世代が繋がり合う場所があまりなくて・・・。自分が助監督やってた時のこと思い出したら、ほんとに何もわかんないわけなんですね。初めて社会に出て、請求書の出し方もわからないし、「この金額って安いの?普通なの?」って言うのもわからないし、どこまで主張していいのかもわからない。そんな状況で、じゃあ今いったような「連帯して!」とか「労働の権利を!」とかって言われても(映画現場で働いてるスタッフには)響かないし、現実的な問題としては”労働に関するリテラシー不足の問題”があるんじゃないなって思っていて。

そうなった時にやっぱり皆さんがおっしゃるような横のつながりなり縦の繋がりがあって、最低限の基礎知識、労働者として人権的なものも含めて(知識を)得られるようなプラットフォームなり組合なりがないと、映画界に入ったばかりの若い人たちは何もわからなくて苦労してしまう構造だなって、実体験を踏まえ強く感じます。

小島:予算があまりにも少ないので、その少ない予算でなんとか短い日程の間に詰め込んで寝ないで非情に非人間的な働き方をせざるをえない。もうちょっと人間らしく働けるように製作費をどう調達できるのか、非人間的な働き方をしないとまわらないくらい製作費が厳しいのか、その辺りも知りたいんですが、歌川さんどうですか?
「お金がないから短い日数で仕上げなきゃいけない」という問題はどういう構造から生じているのですか?

歌川:それは難しい点ではありますが、一つには西川さんがおっしゃったことだと思います。結局はその業界の構造的問題で、明らかにお金が足りてない所にお金がちゃんといくような仕組みをしっかり作っていかないと、「ジェンダーギャップや労働環境が悪いですね」って話をするだけでは、結局改善しないんじゃないかと思っています。それこそ国の制度なのか業界の構造的な問題なのか、お金が足りてなくて問題を抱えている場所へ、しっかり予算が流れるような仕組みを皆さんで主張して作っていくのが必要なんじゃないかと思います。

小島:「土が痩せても根性で野菜育てろ」といっても、いいものはできないですから、お金ってやっぱり大事ですよね。国の補助金を入れるだとか、さっき西川さんがおっしゃったように、その映画によって生み出せた利益が作った人たちに今よりも手厚く還元される仕組みが大事なんだなとわかりました。

学校教育の課題 


荒木:映画祭をやりながら感じているのは、「学校のネットワークは強い」ということです。卒業してからも学校時代の友達と映画を作っている人は多いので、学校のカリキュラムの中に映画の経済学や経営学とか、映画がどのようにして作られてどのようにお金がかかっているか、他の国の例などを徹底的に教えるのは非常に有効なんじゃないかと思います。

小島:そうですね、さっき田中さんがおっしゃってた「労働者の権利とは何か」とか、働く人たちのやる気を削いだり、クオリティーオブライフを貶めかねないような出来事とはどんなことがあるか。そういったケーススタディなども学校で学んでいれば、さっき歌川さんがおっしゃったような「この賃金って安いのか高いのかわかんない」みたいな搾取に気づくことができるのかもしれない。

荒木:かつて映画界が豊かだった頃の映画監督の生活レベルってすごく高く、収入が普通の職業の10倍とか100倍とかいわゆる花形職業だったわけです。その時の感覚は今私たちには到底わからないのに、その感覚を覚えている人たちが業界にいる時代が長かったので、ちょっと狂ってきているところがあるんじゃないかな。

あとは、辛い時に声を上げられないっていうのがすごく辛い。辛い人はどこで声を上げればいいのかっていう目の前の課題がある。私はこの仕事をしながら辛いと思ったことはないし、スタッフには「休みたい日は休めばいい」「自分にあった良いやり方を見つければいい」というけれど、もしかしたら自分も辛いときに言える場所を閉じてるのかな、と今すごく考えました。西川さんは辛くなかったですよね? 辛くない人がいるから問題なんですよね、多分。

西川:そうなんです、それが問題で。なぜ辛くなりすぎず適応しちゃったかというと、私は20代で監督にしてもらっているんです。監督って意思決定権がある。だから私は辛くなりすぎてパンクする以前に、地位が上がっちゃったんですよ。自分の意思じゃないとしても。

荒木:そうか、私もいきなりディレクターだったからか…。

西川:ほら、偉いんですよ。だから意思決定権がある所に、いろんな人が入っていかないと、映画のいい時代を知ってるおじさんばっかりで大事なことを決められていると、お金のまわし方も変わらないし、これから若い人材をどうやって育てて守っていくのかっていう発想にもならないと思うんですよね。

小島:お二人の話とは変わりますが、女性の政治家が少ないとか、女性の企業幹部が少ないっていう話になると、「でも私は死ぬほど頑張って、いい大学を出て、すごい資格をとって、滅多に人がなれない仕事ついてますけど、別に辛くなかったですよ」っていう女性がいますよね。

「私が辛くなかった」と「世の中に辛い人がいる」ということを「私は辛くなかったんだから、あの人たちも辛がるな」とは全然いえないぞって、いつも思うんです。
「あれ?じゃあ私は辛くなかったけど、辛くて途中でやめてった人が実はいっぱいいたんじゃないのか?」とか「私と同じか、私より優秀な人が本当はもっといたはずなんじゃないか?」って、上り詰めた人にほど考えて欲しいなと思う。

西川:適応できなかった人たちの声を救いあげることは今更できないから、でもいろんなタイプの人がいて体力にも撮影環境にも個人差があったりする中で、ある程度のペースで生き残っていけないと、数っていうのは絶対に増えなくて。
映画に関わっている人口が少なくなれば、作るものはおのずと貧しくなっていかざるを得ないので、やっぱり体力がタフな人や、すごいパーソナリティの人たちだけでやっていくのは成り立たなくなる。

小島:オーストラリアの例で、テレビ業界で主要な職につく女性が増えて、男女比が50:50くらいのパリテといわれる状態が達成されてつつあるらしいんですけども、「女性の割合を増やそうと思う時には、あえて女性を責任あるポジションに積極的につけるようにすることが大事である。ただし、必ず全員優秀な女性であることが大事だ」とのことでした。

人数を増やすだけでなく、能力があるのに埋もれてしまう人を探してきて。それこそ西川さんが早くして監督になったってことは、ご自身にとっても映画界にとっても影響が大きかったように、発掘して積極的に女性にチャンスを与えるっていうことが人数を増やし時間を短縮する上でも大事なのかなと思いました。

実は視聴者からいっぱい質問とかもいただいてるのでこちらで紹介します。
「確かに労働環境を改善しないと男性も辛いと思います」。そうですね、男性は全員なんの疑問もなく適用してるとは限らないですもんね。

それから「議論をしようとすると分断になっちゃう。議論に慣れなければいけませんよね?」という質問も。

田中:これは教育の問題ですね。学校教育の中で自分の意見を相手に表明し、相手の意見を尊重しながら討論をする。そして「討論は決して喧嘩や誹謗中傷の類ではないし、批判というのはより良い意見を作り上げるために行うものなんだ」ということが、なかなか日本の学校教育では大学にきた段階でほとんどの学生の身に付いていないので、本当に教育の課題だなと思いながら……頑張ります。

荒木:私がやっていた別のTIFFのディスカッションでも同じような議論があって、映画祭って監督が自分の映画とか自分について語る場所なんですが、それができるかできないかがものすごく重要。日本の人たちって話すのに慣れていないので、話すことが上手になりましょうという話題は必ず出てくる。

小島:そうですよね、映画って表現の仕事なんだから、パーソナルな表現も自分でできるように。教育の力は大きいし、延長上にこの現状もあると思います。

今日の感想として「組合はいろいろあるんですけど残念ながら人数が少ない」という声がありますが、「そうだよね、声をあげていいんだよね」「あれ、おかしいよね?」とか「こうした方がいいよね」というように、「声を上げて連帯してもいいんだよ」って体験的に知っていないと、なかなか参加する人も増えないのかもしれないと思いました。

荒木:パワーゲームになりがちなんですね。「誰が偉いか」を図ることが多すぎちゃう、社会的に。「平等でみんな同じ」っていう感覚がすごく生まれにくい環境なんじゃないかなと、話すのが苦手なのと同じように。

映画祭ですごく有名な人たちに審査員をお願いしたり、有名な監督をお迎えしたりするときに「この人も同じ人間だ、同じ人間だ」って自分に唱えています。それを繰り返してやっと対等に話せるようになるというか、そういう訓練の場所があってよかったなって今すごく思っているけど、そういうことをやるためには、みんな一度映画撮ってみたらいいんじゃないかと思います。人を見つめて、人を記録して、人とコミュニケーションして、映画を撮るって、どうしてもそれが必要になる。全国民が子供の時から映画を撮ってたら変わるんじゃないかって、ちょっと希望を持ってるんですけど。

小島:今はみんなが動画を撮れますから、一部の人しかできなかったことが子供でもできますものね。

荒木:「一回人と見つめあってみよう」というのがあるとないのでは、全然違うんじゃないかと思うんですけど。

契約書すらない日本映画界

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小島:質問です。
ハリウッドには「Inclusion Rider」といい、契約時点で「これくらいの多様性をキャスティングやスタッフ面で入れる」という具体的な規定をリクエストできるシステムがありますが日本にはない様子?
どうなんでしょうか?

西川:聞いたことないですね。プロデューサーなり監督たちが、どういう意識で作品を作っていくのかの違いじゃないのかなとは思います。何か書面にしたわけではないけれども、「女性スタッフを各パートに最低でも一人ずつは入れて」とお願いして人集めをしたりするようなことは増えていますけどね。

小島:石井さんどうですか?実際いかがですか?

石井:こういう契約に出会ったことがないですし、そもそも海外の会社とお仕事するときは別として、日本の制作会社で制作フリーランスだったら「請求書は出すけど契約書を交わすってあったかな?」って思うくらいです。多分、他の業種では考えられない状況です。それも意識が育たない一つかなと思います。これでは労働だという意識がやっぱり芽吹かないんじゃないかなと。

小島:それはタレント業界も割とそうですよね。若いうちから事務所に入ってしまった方で、契約書というもの自体の発想がなく、分からないから言われたまま契約書を作ってしまい、ものすごく不利な契約を知らぬ間に結ばれてしまったこともあるので。働く人にはどういう権利があるのか、という基礎知識がないまま働き始めるっていうのは、本当にリスクが高いなって思いますよね。だからそういう習慣がないっていうのもちょっと問題ですよね。

歌川:僕も石井さんと同じで、契約書を作ったことないですね。さっきの質問に繋げると、ハリウッドのInclusion Riderに関してJFPの研究では南カリフォルニア大学がやった研究を参考にしてやってるんですけども、映画を制作する人間の属性と映画の中にいる人物の属性というのは、すごい関係があるっていう調査結果が出ています。

つまり、「白人男性が作った映画は白人ばっかりでてくる」っていうことだと思うんです。ハリウッドの場合はジェンダーだけじゃなく人種の点も関わってくるから、多様性という観点で(作り手の)女性を増やしましょうであったり、(作り手の)アジア系の人を増やしましょうってことなんですよね。その結果、映画の中に登場する人々の多様性も担保される。日本も結局は、映画がもっと面白く、もっと多様な映画を観たいということを達成するためにも、作り手の多様性を担保していく必要があるのではないかと思いました。

小島:今回はパンデミックということもあり、オンラインで開催しましたけど、これから東京国際映画祭が開かれるたびに必ず生でこういう議論をやることが恒例化するといいですね。それこそ映画会社の人とか色んな人に参加してもらって、議論の場を設けられるといいなと思いました。
最後に一言ずつ、今日は映画関係者の方や映画に親しみを持ってる方、映画の世界に憧れている方も見ていらっしゃると思いますので、一言ずつ皆様から感想やメッセージをいただければと思います。

映画界を変えるために できること やるべきこと

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荒木:辛い人がどうすればいいかの具体的な解決法を考えなくちゃいけない、と切実に思いました。そして、「職業なのか生き方なのか」という話になることや、「ベストを求めることが悪いようなことになる」という危うさを孕む状況を考えていくと、個々の意識と経済、政治、社会と関連する深い課題を考え続けなくてはならず、一筋縄ではいかないのが、ますます実感できました。

全然違う話ですが、私たちの映画祭は常にスタッフ募集してるんですけど、応募がこない。映画祭ってもうすでに働きたい場所ではなくなっているんだなと思います。他の映画の職業と比べてどうなんだろう、映画の仕事に就きたい人が今どのくらいいるんだろうっていうのは本当に興味があります。映画祭の仕事って、映画の理想を追いかけるような場所で、労働的にも同様なので、興味がある人は「ぜひきてね」と伝えたい。あと、小さくても一人一人の力が大事で、これはちょっとでもおかしいと思ったら、ただただ言い続けるだけでも本当に変わってくると思うので、「これ変じゃないの?」って軽くいいましょうっていうのが私のメッセージです。

西川:映画を見て感動した人の中に、映画作りに憧れる人は私を含めているとは思います。「自分も映画の作り手になりたいな」と思った人に「あ、いいね入っていきなよ」って本当は言ってあげたい。だけど自分の20数年を考えたときに、同じような生き方やり方を若い人に強いていいのかなっていう躊躇がすごくあって、「いや、やめておいた方がいいんじゃないの」と口癖みたいに言っちゃうのは本当に悲しいと思っております。

作り手は夢のある仕事でいい仕事なんです、本当に。
私は大好きなので、この素晴らしい仕事をもう一度若い人たちの憧れにするためには、私たちが今日みたいな会に参加して、色んな情報交換をして、「どういう策があるんだ」「誰に何を言えばいいんだ」「誰に言えば何が変わるのか」というのを交換して、実例も作ってみて連帯を考えてもいいと思いますし、実際にやらなきゃいけない時期にきているなと思います。私も意識を変えて頑張りたいです。

石井:皆さんの話をききながら「すごいな、そんなこと考えてるんだ」と思っていたんですが、本当にそうですよね。西川監督がおっしゃったみたいに、私個人でやってますけど、今から結婚したいっていう人に「映画続けなよ」と言えるかとか、自分の子供に「映画やりたい」と言われたら、一回「どうしようっかな」と考えてしまうとか…。それってやっぱり悲しいことで、「ママ頑張ってるし、すごい楽しいよ、夢があるし」って素直にただそれだけ言える状況に憧れるし、そうなれたらいいですね。今後状況改善を考えて、若い世代には意識を持っていただけるといいのかなと思います。

小島:じゃあやっぱり歌川さんがこういうプラットフォームを作る以外ないですねっていう流れになりましたね

歌川:そうですね、本当に今日色んなお話が出てすごく勉強になりましたし、私たちは少数でJFPという団体を立ち上げたけれど、怪しいものではないです(笑)。一つずつ課題を解決するためにどういった調査をすべきか、どういう人に話を聞いたらいいか、自分がガンガン出ていくより、プラットフォームを作って皆さんにご参加いただいて、少しずつ良くしていくことができたらいいんじゃないかなとお話伺って感じたので、今後もシンポジウムや取材で色んな映画人の方にお願いしてご協力をお願いするかもしれないですが、怪しいものではないので(笑)ぜひご協力いただけるととても助かります。

小島:映画界でそういう動きが出てきて、それがうまくワークするようになってくると他の業界でも、例えば地上波のテレビやインターネットの映像作品などでも、同じように現場で心もとない思いをしている方々たちにとってすごくいいモデルになり、「うちもやってみようか」とか「うちの業界にもああいうの必要だね」という動きが出てくればいいなと期待しております。

田中さん、映画は見る人たちが娯楽として、自分が生きる栄養としてみているものだけれども、映画を作る現場で働く人たちがハッピーであるかどうかを、見る人たちも知る必要があるというのを、改めておっしゃっていただければと思います。

田中:今日は映画業界の方とお話しできて、私もメディア業界の表象、それから働き方なども含めたジェンダー格差の問題をメインテーマでこれまで研究してきましたので、大変勉強させていただきました。

その上でまず歌川さんにトヨタ財団の資金を使って、映画産業における日本での働き方と海外での働き方、海外の労働組合の活動や、どうやって交渉してるのか、みたいな部分を比較研究した上でファクトとして出していただけると、働く人たちにとって力強いものになるのではないでしょうか。

もう一つは、実はこの映画業界のジェンダー格差や働き方のお話って、映画業界に独特なものもありつつ、新聞やテレビの業界と共通する課題もあります。新聞社で働いている女性たちはこの2、3年、#Metoo運動の影響のもとで、女性記者のネットワークを作ったりシンポジウムを開催したりして、いろんな新聞社、全国地方を含めてZoom会議やメッセンジャーでのやりとりを行いながらつながり始めています。働き方を変えたり、新聞記事の中にジェンダーの問題を取り上げていくような営みを、かなり積極的にやっているんですね。

なのでシンポジウムなりトークイベントなりが、ネットワークづくりの始まりの一つとして、これからの状況をみんなで変えていくような起爆剤やハブのようなものになるといいのではないでしょうか。今日のトークの中でも映画業界以外の業界と共有できる問題がゴロゴロ出てきたので、業界の外の方たちを巻き込みながら、改善や改革をしていけるんじゃないかと思いました。

映画って撮られた作品が視聴者にとっては全てだと思ってしまいがちなんですけども、その作り手の労働環境などを機会があればオープンにしてもらい、社会全体の課題としてみんなで共有していけるといいなと考えております。私自身もそういった論文を書いていますので……私も怪しい者ではないので(笑)、また取材をしていただければと思います。歌川さん、何かやれることがあればぜひ一緒にやりましょう。

小島:「日本映画のこれからを考える」パネルディスカッションでは、映画界のジェンダーギャップ、労働環境問題を教育面や連帯することで解決に近づけていくこと、意思決定権のある職に多様性があればインクルージョンが上がることなど、映画に関わる様々な分野のプロから貴重なお話を伺うことができました。
(構成:福田真宙)

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※JFPが実施する本プロジェクトは、トヨタ財団 2021年度研究助成プログラム「日本映画業界におけるジェンダーギャップ・労働環境の実態調査」(代表:歌川達人)の助成を受けて開催されました。


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