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食べ尽くせるくらいの嘘を抱えて

5月、キッチン横の空きスペースが玉ねぎだらけになる。みずみずしい新玉ねぎがカゴにいっぱい。おしゃれなベジタブルストッカーは持っていないから、均一ショップで見つけた手頃なもので代用している。

最初に連絡をくれるのは隣の奥さん。母より少し若い感じの先輩主婦だ。お母さんにも食べさせてあげてと渡された紙袋には、ゴロっとした大ぶりの新玉ねぎが10個ほど入っている。毎年すみません、とお礼を言ってその場で一つ取り出す。肉厚で見るからにやわらかそう。頬を緩ませた私を見て奥さんの目尻にもシワが寄る。

スライスしてそのまま、厚めに切ってトマトと酢漬けに。輪切りでソテー、絹さやとじゃがいもと一緒に味噌汁もいい。パンに乗せてチーズと焼く、納豆に混ぜる、冷たいそばにおかかと一緒に乗せる、それからフライに天ぷら。玉ねぎが主役のメニューにはなかなか賛同してもらえないけれど、この時期だけのおいしさ、脇役にするなんてもったいない。私は玉ねぎが、特に新玉ねぎが大好きなのだ。

コーンとあわせてかき揚げにしたら息子も喜ぶかな、今年こそおいしいと言わせてみせるぞなんて意気込んだら好物のチキンを食べた時の笑顔が浮かんできてふっと肩の力が抜けた。新玉ねぎが運んできてくれた癒しの時間。小さな幸せ。

せっかくのいただきもの、無駄にしないように何個かみじん切りにして冷凍しよう。夕食準備の前、作業に取り掛かかったところでLINEが届いた。

「今年も行ってきたよー。食べるよね?玄関前に置いたからあとで見て」

塾の送迎途中に寄ってくれたママ友。そういえばマイページの背景が変わっている。お姉ちゃんと弟が大きな玉ねぎを持ってハサミで根を切っている画像。

ありがとうとメッセージを送ると、おもしろがっていっぱい抜いちゃうんだよと写真が数枚送られてきた。玉ねぎをいくつも抱えてTシャツは土だらけ。かわいいね、うちもやらせてみたいって去年言ったのにそういえば忘れてたよと返信すると、ウサギがおなかを抱えて笑っているスタンプが送られてきた。「大好きでしょ、いっぱい食べて」続いて届いたメッセージの最後にはハートが3つ。ひとまわりも年下なのになにかと気にかけてくれる彼女は、よく子供に着せているショップのロゴ入りバッグに7個の新玉ねぎを入れておいてくれた。ラッキーセブン。迷信なんて気にしないように見えてそうでもない。そんなところも素敵だなと思う。


新玉ねぎの旬は3〜4月と聞くけれど、うちの近くの有名な新玉ねぎは4月末から5月が収穫の最盛期。玉ねぎ狩りは子供たちになかなか人気で、不安の残る今年も休日はそれなりに賑わっていたらしい。

週明け、別のママ友からもLINEが届く。

「玉ねぎ狩りに行ってきたの。新玉ねぎ、ストックあるかな。すずちゃんにあげたいってユメがたくさんとったの」

「わぁい、嬉しい!ユメちゃんにありがとうって伝えて」

小学2年のユメちゃんは息子の親友の妹。男の子に混ざって遊ぶのにも限界があるから、数年前、私はユメちゃんの友達に立候補した。それからずっと仲良し。前に一度好きな野菜の話になって、玉ねぎと答えたことを覚えていてくれたらしい。

ユメちゃんの玉ねぎは小ぶりだったけれど、他の玉ねぎみたいに平べったくなくてコロンとまるかった。紙袋にギュっと詰めたのか持ち手が取れかけていたから、ユメちゃんは袋を抱えて車から降りてきた。よいしょっと門の前でしゃがみ込む。駆け寄って一緒に数えるとなんと12個。重いはずだ。すごいよユメちゃん、ありがとう。甘くておいしいんだよと言いながらピョンピョン跳ねるユメちゃんの頬はピンク色でとてもかわいらしかった。


この日、キッチン横の即席ベジタブルストッカーは薄茶色の玉ねぎでいっぱいになった。





「相手を安心させる嘘ならつきなさい」

高校時代の担任に言われた言葉を30年以上過ぎた今でもお守りにしている。時の経過とともに自分に都合のいい解釈に変えてしまった部分はあると思う。言葉の前にはきっと「やむを得ない場合」とか「他の方法を考え尽くしたあとで」とか何か大切な話があったのだろう。でも思い出せない。

私はこの言葉にずっと救われてきた。なにも大袈裟なことではない。学生時代は外泊の言い訳に、社会に出てからは、もういろいろ。堂々と言えることを拾い上げるなら、納期直前、手付かずの仕事を心配して声をかけてくれた上司にあと少しだから大丈夫ですと言ったこと、席を譲る勇気がなくて一度電車を降りて隣の車両に飛び乗ったこと、とか。

例えば誰かを守る時、大きな嘘をつく決断も必要だ。けれど私には嘘をつききる勇気がなかった。だから“すべてを告げること“を正義だと思い込むようにして、結局相手を深く傷つけた。人にしてしまったことは自分に返る。少しずつ思い知って今の私ができている。


大きな嘘どころか、お守りがなければ小さな嘘もつけない。だから本当は嘘をつくよりつかれる側でいたいけれど、そんなのはやっぱりきれいごとでしかなくて。


「先方都合で打ち合わせリスケになっちゃって。せっかく日程空けてもらったのにごめん」

「平気だよ、こっちはいつでも。急にごほうび時間もらったからお茶でもしてくるよ」


今日もまた私はお守りを胸に食べ尽くせるくらいの嘘をつく。




中学生になった息子はそろそろ小さな嘘を抱えはじめる頃だ。嘘だけはつかないようにと言い聞かせてきたけれど、お守りの言葉を渡すタイミングが訪れたのかもしれない。

カゴの新玉ねぎが最後の一つになった夜、そんなことを考えている。









*


去年も新玉ねぎの時期に投稿したことをふと思い出しました。読み返してみたら暗くて重い文章。自分で書いたくせにとても驚いています。

どこかで大きく気持ちの切り替えがあったわけではないのに、心はあの頃とは全く違う場所にいる。時間薬というけれど、“積み重ねていくこと“ が 私には特に必要だったのかもしれません。

自分の時間がうまく持てない日々にイライラすることは今でもあります。それでも確かに、穏やかになった心を感じる。きっとnoteに思いを書き連ねることで自分を俯瞰で見ることができるようになったからです。

見つけてくださった方、読み続けてくださる方、声をかけてくださる方、本当にありがとうございます。

進み続ける力をいただいています。


suzuco






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