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どこにいても、いつになっても、思い出せる人たちと

昔から、年より若く見られることが多い。

人生を折り返した今でこそありがたみを感じているが、それが嫌な時期もあった。多感期は幼く見られることが物足らなく、社会に出てからは未熟だと言われているようで恥ずかしかった。

あの頃はそれでよかったのだと思う。でももし昔の私に会えるのなら、あなたは今、たくさんの選択肢を手にしているんだよと伝えたい。何を選ぶのも、選ばないのも自由。今ならどこにでも行けるから、と。

年を重ねるごとに実年齢との差が減ってきて、近年ではかろうじてというところまできてしまった。豆腐をよく食べ、コラーゲンドリンクを飲み、SNSで見た顔ヨガや頭皮マッサージなどをゆるく実践し、大学生の姪から美容液の評判を聞く。今の状態を少しでも長く保てればと願う日々だ。

でも正直なところ、見た目年齢を支えているのは小さな努力ではなく「一人息子が中学生」という事実だと思っている。一人目の子供が息子と同級生のお母さんは私より軽く10歳は若い。その中に混ぜてもらえていること、マスクで顔半分を隠していること、これは私にとってかなりのアドバンテージだ。一緒に笑っているとうっかり本当の年を忘れそうになる。

だから夕刻、覗き込む鏡の向こうにしっかり中年の素顔を見つけると、ふぅと息をついてしまう。見た目より中身、いつか見た広告のキャッチコピーみたいにさらっと言えたらいいけれど、なかなか難しい。今ならわかる。昔よく聞かされた「若くていいわね」の言葉には悪気なんてなかったのだ。あの人もあの人も、自分と折り合いをつけながら懸命に前を向いていたのだろう。

そんな私にも、今の自分を誇らしく思える日が年に二度ある。一度目は元日、二度目は誕生日だ。

新年の朝、ポストに届く年賀状は、現在と過去がごちゃまぜに束ねられている。ママ友からのカラフルな家族写真入りハガキと、私の20代を知っている会社関係の人たちからのハガキ。後者には現役デザイナーも多く、年末の繁盛期に作ったにも関わらず、こだわりの図案が多いのが特徴だ。

息子のママ友と、寝る間を惜しんで一緒にプレゼン資料を作り上げた仲間。両方に書かれている「ランチ行こう!」は、実現度が違う。けれど、どちらも私のお守りであることには変わりない。憧れのアートディレクターだった上司は、会わなくなって十数年経った今年も、数枚しか描かないという絵手紙を送ってくれた。私の年賀状が楽しみだと伝えてくれる営業さん、転勤してSNSだけのつながりになっている取引先の担当者、母になって仕事を辞めた同僚、今も第一線にいる後輩。書かれた言葉を一つずつ目で追いながら、めいっぱい仕事をしていた時代にワープする。思い出の中の私は確かに頑張っていた。

誕生日はチューリップが花屋さんの最前列を彩る少し前にやってくる。目覚めると、スマホにいくつかの連絡が入っていた。この日は毎年、現在より過去が優勢になる。リアルなつながりの多くは、子供のことは話しても自分のことはあまり伝えない。私自身、誕生日を知っているママ友はそう多くないし、年齢以上のことまで話が進むのは、一緒にお祝いしたいと思う間柄になってからのことだ。

朝イチのLINEは、作業工程のことでよく喧嘩をした取引先の営業からだった。今は恐れ多い役職についている方だけれど、出会いが早く、酔っ払った姿も知っている私は堂々とタメ口を使わせてもらっている。こっちまで出てくれば奢ってやる、なんてぶっきらぼうな言葉に、楽しみにしてるね、と返す。文字の向こうにあるぬくもりがありがたかった。

午前中、業務依頼と同時に届いたお祝いメッセージは、マスクが必要になる直前まで一緒に働いていた同僚たちからだった。そのうち一人は営業との喧嘩を間近で見ていた後輩で、コテンパンにやられて悔し泣きする私に「ケーキでも食べてきてください」と声をかけてくれたこともある。今では事務所を仕切るほど立派になった彼との忘れられないエピソードだ。

その後、テレワークで別々のところにいる数人から順番にメールが届いた。みんな、子育て中の私がやりやすいような作業を作ってそれを贈り物にしてくれた。おそらく今日に合わせて仕事を調整してくれたのだ。おかげで誕生日だというのに朝からノーメイクでMacの前に座ることになったけれど、心は潤っていた。肌までぷるぷるとはいかなくても口角も上がっていたはず。どうやら笑顔は年齢肌の特効薬になるらしい。

昼を過ぎた頃、入社当時から仲良くしていた関係会社の女性から連絡があった。同級の彼女は結婚しない道を選び、会社で重要ポストについて頑張っている。今でも私を“ちゃんづけ“で呼んでくれる懐かしい同志。「すずちゃーん、おめでとう」「これからもよろしくね」「ふふふ」と、スタンプを挟みながら送ってくれたメッセージが彼女らしくて笑ってしまった。

数分後、携帯メールが届く。送ってくれたのは入社当時からずっとお世話になっていた取引先の方だ。たくさんの部下を率いて、新規のクライアントを開拓する手腕で有名だったその人は、実はこっそりうちの事務所にお菓子を食べに来るかわいい紳士だった。定年退職後、別会社でのびのび働いていると聞き、季節の挨拶はしていたけれど、誕生日に連絡をもらうのは初めてのこと。近況をうかがうと、最近、例の彼女と同じフロアになったと教えてくれた。きっと私の誕生日を聞いてすぐに連絡をくれたのだろう。「ふふふ」の意味はこれだった。彼女からのうれしいサプライズ。

この紳士、秋野さん(仮名)は、出会ったばかりの四半世紀ほど前には怖くて話しかけることもできない存在だった。私たちが仕上げた販促ツールを持って先方に出向くプレゼンチームのトップだったのだから、今思えば当然だ。秋野さんは自分の業務に注力していたのだろう。でも当時の私にとっては自社の社長よりもおそろしい存在で、秋野さんが事務所に顔を出すと聞いた日は朝から緊張して過ごしていた。

入社が早かった私は、後輩たちよりデザイン能力がない状態でグループリーダーを任されていた。幸いやさしい仲間ばかりで全員が協力的だった。せめて後輩たちが作業に集中できるようにと、営業に歯向かい、秋野さんからのお叱りを受ける役を買って出た私は、かわいげのない社員だったかもしれない。

それでも秋野さんは私を気に入ってくれたようだった。ミスを周知する書類を作れ、作業改善の方法を考えろ、このままじゃこの仕事がなくなるぞ、と相変わらず言葉は厳しかったけれど、対応したことに関しての評価は丁寧にしてくれた。そのうち私の席に来て、おやつに買っておいたチョコをつまみ食いするようになった。仕方がないからダイエット中もチョコを買い続けた。席を外す時は「秋野さんどうぞ」とふせんに書いて貼っておいた。ある時から秋野さんは「俺はsuzucoの職場の父だから」と言ってくれるようになった。

同僚たちと朝までデザインカンプを作った日。寝袋から起き出して、会社の洗面所で化粧をしてプレゼンに向かった日。営業との喧嘩に勝利し、作業日数を確保して夜通しカラオケを楽しんだ日。

数えきれないほどの夜を仲間と過ごした素敵な時代だった。同じ場所にいなければ作業が難しいという不便さもあったけれど、そのおかげで味わえたことも数多くあった。苦しくてもみんながいるから大丈夫。あの気持ちを知ることができたから、強くなれた気がしている。

結婚が決まり、会社を辞める決心をした。新しい生活を守るための決断だった。取引先からも人が集まってくれた送別会はこれ以上ないほど心のこもったもので、私はなんて恵まれているのだろうと思った。人生第一幕、幸せなピリオド。

それから数ヶ月後、新会社の立ち上げに行き詰まったパートナーから別れを切り出された。「さみしがりやのsuzucoのことを幸せにする自信がないんだ」。そう話す彼のやつれた顔を見ていたら、何も言えなくなった。

落ち着いたらまたみんなと仕事をしたいと思ってはいたけれど、担当業務をすべて引き継いでいた私は途方に暮れてしまった。もう戻ることはできない。失業保険をもらいながら、元同僚にどう説明しようかと悩んでいたとき、偶然、社長から仕事の依頼を受けた。自らが持ち込む企画のアイディア出しに呼んでくれたのだ。なんとか笑顔を作り事務所に顔を出すと、打ち合わせ用に準備された部屋で秋野さんがひとりコーヒーを飲んでいた。あぁ、秋野さんの案件なんだ。ホッとして力が抜けていく。どうしたと尋ねられ破談になったことを伝えると、秋野さんの目が険しくなった。

「俺はそういう男が嫌いだ。いいから仕事しろ」

低い声でそれだけ言うと、今回の案件の説明を始めた。社長を待たなくていいのかという私を制して話を進める秋野さんを見ていたら涙が出てきた。社長が来るのがもう少し遅かったらしゃくり上げていたと思う。その仕事を無事に納めた頃、タイミングよく別会社から新規案件が入って私は忙しくなった。秋野さんが私を推してくれたと知ったのはだいぶ後のことだった。


あれから、少しずつ仕事を続けて母になった。書ききれないほどいろいろなことがあったけれど、どんな時も私を支えてくれたのは「みんながいるから大丈夫」という安心感だった。

揺れ動く世情のせいで、軌道に乗っていた仕事がいくつかなくなり、働く環境も変わってしまった。どの選択肢を掴むのが良いのか決められないまま のろのろと進む日々。それでもできる限り仲間との仕事を続けていきたいと望む私は、やっぱり「はたらく」ことが好きなのだと思う。


「週末作業で悪いんだけど頼んでいいかな」

スマホから漏れる大きな声に、ゲームをしていた息子が振り向く。OKマークを返してくれるやさしさがありがたくて、思わず頬がゆるんでしまう。

私にとって「はたらく」とは、人とつながること、心を育むこと、ともに作り上げること。

すべての出会いが今日も私を支えている。



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