手の中の「て」を握りしめて
「元気が出ない時、私、手を見るんです、右のてのひら。」
彼に会いに行った公園でそんなことを話した。まだ敬語で話している頃の懐かしい記憶。なんでそんな話になったのか思い出せないけれど、私のことだ、多分 彼を励まそうとでも思ったのだろう。
「ほら、『て』の文字みたいに見えるでしょ。昔、友達の手相を占っていた人がついでに私のも見てくれて、その時言われたんです。これ、徳川家康と同じ珍しい手相だって。1000人に1人しかいないすごくいい手相だからって。」
2歩近付いて電灯の下で右手を見せた。彼は何も答えなかったけれど、目を細めてニッコリしてくれた。きっと大丈夫だ、彼は元気になる。だって私の大事な人なんだから。何の根拠もないけれどそう思った。私はまた2歩分だけ離れて話題を変えた。
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右手に一直線に走る線、それがますかけ線だと知ったのは、見てもらってから10年以上も過ぎてからのこと。何の気なしにめくった雑誌に手相占いが載っていて、この手相を持つ人は掴んだ運を離さない強運の持ち主だと書いてあった。1000人に1人というのは両手にこの線がある場合で、私のように片手だけというのは100人に1人はいるらしいけれど、それだって十分すごい。ちょっと浮き沈みの激しい人生も、あきらめずに進めば幸せを掴めるというのだから、往生際の悪い私にはぴったりじゃないか。人と違うことに何かと嬉しさを感じてしまう私にとって、ますかけ線は心弾む持ち物の一つになった。
確かに。思い返せばジェットコースターから見える景色みたいにアップダウンの激しい人生を過ごしてきた。待ってろと言わずに旅立つ背中を見送った空港、掛け違えたボタンを直せないまま終わった恋、距離を超えられなかった未熟な心、仕事と同時に失った輝き、サンタクロースではなかった彼。記憶の中の私はいつも幸せの絶頂からの急降下に慌てていた。たかが恋と笑われるかもしれないけれど、誰かを想う心は私の原動力だったから、突然 地面が目に飛び込んできた時、全ての機能は停止した。
うずくまって動けなくなって、それでも私は離さなかったのだと思う。掴んだ運の端っこを。しばらくすると思い出したように予備電源のスイッチが入った。そして懲りずにまた歩き始めるのだ。
長い時間を経てわかったことがある。涙の記憶を持ったまま、何度でも動き出せるんだ、私って人は。
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久しぶりに会う学生時代の友人やママ友の話を聞くたびに不思議に思っていた。何でみんなは一筆書きみたいにストーリーを繋げるんだろう。
「職場の先輩と3年付き合って結婚して子供が生まれたの。男の子と女の子1人ずつ。平凡かもしれないけど、楽しくやってるよ。」
「うちは同級生。ケンカばっかりだけど、結婚記念日にはいつも同じレストランを予約するんだ。それで帳消し。また1年頑張ろうってなる。」
「私はさ、ダンナを愛してるとはもう言えないけど子供たちはパパが好きだし。まぁよく面倒見てくれてるしね。こういうのもアリかなぁって。」
そう話す彼女たちの薬指には当たり前のように指輪が光っていて、漂う空気はちゃんと温かかった。笑顔で語られる物語を聞くのは楽しかったし、心から羨ましいと思う。みんな子供から父親を引き離したりしないし、夫の前でかわいらしく微笑むこともできる。もちろん公平に歳は取って、目尻にシワはできているけれども。
私の物語も、いつか一筆書きみたいに繋がるのだろうか。
大切なものは手の中に残る。
万が一こぼれ落ちてしまっても、
本当に必要ならもう一度掴める。
きっと大丈夫。
根拠はないけれど。
私は今日も右手をギュッと握りしめる。
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こちらの企画を知って書きました。
はじめましての上、締め切りを過ぎてしまったのですが、ゆる募という言葉に甘えてタグをつけさせていただきます。
もし間に合えば、仲間に入れてください。
元気の出ない時はとても辛い。けれど、そんな時間にも何か意味があるのだと信じたい。
改めて元気術について考えてみたら、私の場合はただひたすら自分を信じることでした。いつかそんな自分に胸を張れる日が来たら嬉しいなと思っています。
素敵な企画をありがとうございました。
届けていただく声に支えられ、書き続けています。 スキを、サポートを、本当にありがとうございます。