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「アート思考」を活かす環境とは

コロナウィルスの影響やIT技術の急速な進歩により、予測不可能なこのVUCA時代に「既存の考え方や価値観に囚われず自分なりの視点からイノベーションを起こす!」という自由で主体的な考え方「アート思考」が特にビジネス界で注目されてきました。

オランダの大学でアートが今日の社会をどのように反映しどう立ち向かっているのかといったことを学んでいる私にとって、日本社会において「あくまで娯楽」的な存在であったアートがバズっていることにとても興奮します。

ではまず、最近よく聞く「デザイン思考」と「アート思考」の違いを確認しておくと「デザイン思考」はイノベーションの過程の中心が顧客におかれており、顧客のニーズや要望に応えるための手法です。つまり、「顧客の利益のためにできる最適は何か」が重要です。一方で、「アート思考」は自分を主体とし顧客の利益などのあらゆるリミッターを外し既存の価値観や考え方を打ち破るようなアイデアを生み出すための手法です。現在はコロナウィルスの影響やIT技術の急速な進歩により社会は不安定で予測不可能です。このような状況下では全く新しい視点や考え方でイノベーションを起こす必要があるということから「アート思考」がより注目されています。

これはとても斬新で期待される手法でありますが、古くからのしきたりを重視しがちな社会の中でアート思考は一時的な流行ではなく浸透することができるのか?また、即効性を重要視する企業の中で有効性はあるのか、新しく生まれてきたアイデアや事業を受け入れることができるのかなどなど考えるべき課題も多いのかなと思います。

そこで「アート思考」を活かすための環境について考慮すべき点を考えてみます。

1.  顧客の利益を基準にしている「デザイン思考」と比べて「アイデア思考」によって生まれた事業やアイデアは数字として成果が見えにくいのでは?

確かに、「既存のものを打破する!」というと響きもよく革新的ですが、ビジネスである以上、結果の見込めないアイデアを採用することはあるのでしょうか?私はあまりビジネスには詳しくないのですが、「デザイン思考」の方がお金になるのでは、と思ってしまう気もします。アート学生なのでアートはなぜ価値があるのかというのを証明したい一方今のところ答えが出ません。また、

2.自分を出発点にした「アート思考」から生まれたアイデアは周りを納得させられるものなのか?

これは直感の後の考察の段階で出すデータなどによって納得度が変わってくると思いますが、自分の価値観を基準にすると自分にとっては「これや!これしかない!」というようなアイデアでも他人に共感されないことも多いのではないでしょうか。(とはいえ、私は個人の心揺れる瞬間には絶対に価値があると信じているのですが、、、)

と、批判的なことをここまで述べてきましたが、これはあくまで、「アート思考」を短期的に表面的に取り入れた場合の無効性を考えてみたというものです。

これは私の体感的な話なので信憑性がないかもしれませんが、「アート」と聞いたとき天才的な何かが舞い降りてきて乗り移ったように無我夢中で創作活動を行う。といったイメージがなんとなくあるように感じます。しかし、何かを生み出すという行為はまったく何もないところにいきなり新しいモノが生み出されるのではなく、(無意識・意識的に)個人の経験や知識に基づいて解釈・想像を繰り返す過程の中で生まれるものではないでしょうか。なので、心揺れる瞬間は抽象的で感覚的ではあるが合理的で本質であることもあるかと思います。それを考察・相互評価することで言語化し、説明することでアイデアとして形を持ってくるのではないでしょうか?

また、何かを生み出すことと同等に既存のものを他の文脈において再考察することは重要ではないでしょうか。これは私が授業中に感じることですが、ひとつの作品を異なる文化的・人種的・生活的・言語的背景などを持つクラスメイトと議論することで、同じものがまったく違う意味を持ったり、文脈によってメッセージが変化したりします。これは十人十色のアイデアが生かされる場面であると思います。例えば「アート思考」の結果、新しく提案された事業を多様な個人の視点から吟味し、新たな価値を加えたり、さらに個性的で有効性の高いものにするのもアート的な考察と言えるかもしれませんね。そうした柔軟なアイデアを受け入れていく環境こそが「アート思考」を活かすカギなのかもしれませんね。

「ビジネスで取り入れんねんからそれぐらいわかってるわ!」「何ゆーてんねん!」と思われた方がいれば申し訳ありません。聞き流してください。


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