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ソ連崩壊末期 宇宙ステーションで宇宙飛行士は困った

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ソ連のセルゲイ・クリカレフ(Sergei Krikalev)宇宙飛行士は、1991年12月26日のソ連崩壊時に宇宙で立ち往生していた。ソビエトがロケットを打ち上げていたバイコヌール宇宙基地は、今や新しく独立したカザフスタンのものとなり、彼らは施設の使用料として法外な料金を要求していた。


一方、ロシアの経済は破綻していたため、宇宙ステーションへの旅行を高値で落札することで資金を調達しようとした。オーストリアは700万ドルを支払い、日本のテレビ局は1200万ドルを支払ってレポーターを宇宙に送った。モスクワはまた、バイコヌール宇宙基地からの打ち上げ許可と引き換えに、史上初のカザフスタン人宇宙飛行士を搭乗させるためにカザフスタンと交渉した。

しかし、オーストリア人宇宙飛行士とカザフ人宇宙飛行士は比較的経験が浅く、クリカレフ宇宙飛行士の代わりを務める資格はなかった。ロシアの新聞はこう書いている。
「人類は具体的な任務を果たすために息子を星に送り出したが、彼が地球を離れるやいなや、世俗的で完全に説明可能な理由から、その任務への関心を失ってしまった。そして、宇宙飛行士のことを忘れ始めた。約束の時間に彼を連れ戻そうともしなかった。

クリカレフは週に一度、ミッションコントロールで働く妻のエレナと連絡を取り合っていた。ソ連ルーブルの価値は劇的に下落し、クリカレフの月給500ルーブルは家族を養うのにやっとの額だった。さらにロシアは、取り残された宇宙飛行士に必要な物資を送るのに苦労していた。

1992年3月25日、軌道上で311日間を過ごした後、クリカレフは地球に帰還した。その時までに、彼の国は15の異なる国に分裂していた。彼は小麦粉のように青白く、濡れた生地の塊のように汗ばんでいた。宇宙飛行士たちは毛皮のコートに包まれ、椅子に座らされた。誰かが彼らに温かいスープを手渡した。」
「私たちが直面しなければならなかった重力にもかかわらず、とても快適でした。ある瞬間があった。陶酔とは呼べないが、とてもいい気分だった。」