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【そもそも】なぜ語学留学をしているのか

留学をする理由は人それぞれ。
今日はなぜ私が語学留学しているのかについて綴っていきます。
(長い道のりだったため、長文になります。悪しからず…)

そもそも私は何者だったのか


大学を卒業して、私はとある学校の英語科教員として働き始めました。
想像以上に大変なことも多い日々でしたが、仕事自体はとても好きでした。

ただひとつのことを除いては…

それは、上司によるパワハラ。

入職して少しした時から、その上司の言動に違和感を感じ始めました。
何かのためになるかと思い、何かあれば記録を残し、録音をするための道具も用意しました。

そんな努力も虚しく、いよいよ耐えられなくなった私は職場で体調を崩し、勤務することができなくなりました。


抑うつ状態の社会人1年目


職場の先輩のアドバイスで精神科に行き、その診断結果は、

抑うつ状態

でした。

処方された薬を飲み、自宅で療養したり、多い時は毎週受診したり、時に職場でスクールカウンセラーのカウンセリングを受けたり。

この時の私は英語を見ることも、聞くことも、口に出すこともできなくなりました。
仕事道具であり、自分にとって重要な能力であった英語を使えなくなったことはとてもショックであると同時に、自分の市場や社会での価値がなくなったと思い、とても悲しく、苦しい日々が続いていました。



人生のどん底に座りこんでいた


次年度からどのように働くか考えなくてはならなくなった頃、現場に復帰していました。
ですが、依然として処方された薬を握り締め、いわゆる「社会人」という立場から程遠い勤務形態で教員生活を送っていました。

新年度から通常勤務に戻す自信もなく、身体の状態は非常に悪かったため、
一先ず、休職することにしました。

職場の同期から遅れを取り、同級生のSNSを見て社会人2年目を迎えられなかった弱すぎる自分を強く責め、過去を思い返しては後悔してばかり。

本当に生きていることが苦痛でした。

休職が始まってからも毎日のように泣き、無気力で、特にこれといって何かをすることもなく…
薬を飲んで、定期的に通院をして。
回復を感じられず、焦りと不安が大きくなっていくばかりの日々でした。


背中を押してくれたことば


休職中のある時、友人と電話をすることになりました。
彼女はその時、海外留学中。

そんな彼女は

「楽しいこと、好きなことを選べばいいよ」

と私に言ってくれました。

好きなこと…

英語?

英語だ。
自分には英語しかない。

「私は英語を勉強したい。学習者に戻りたい。」

彼女のことばで、休職してからしばらくして英語の勉強がしたくなっていた自分に気づくことができました。

語学留学するためのビザ選択


自分の意志に気がついてからの行動力は周りの人たちを驚かせました。
留学エージェントとのカウンセリングを立て続けに入れ、見積書を比較し、そして退職の旨を職場に伝えました。

ワーキングホリデービザも検討しましたが、体調は上向きになったものの、

働くことへのトラウマは乗り越えることが全くできていない。
そもそも働くことができる身体という自覚もない。
実家暮らし、抑うつ状態で家族に介抱されて生きていたから、生活する力もない。

主にこの3つの理由から過ごし方は自由なものの「労働」というワードが入ったビザを取るには早すぎると考え、

勉学が最優先の「学生ビザ」
を取得して、渡航することにしました。

抑うつ状態の先生が生徒になって

クライストチャーチでの生活を始めてからは処方された薬を1度も服用していません。
(ちなみに、90日分の薬と“Depression”と書かれた英文の診断書は持ち込んでいます。)

勝手に薬の服用をやめたことが良いかは分かりませんが…
私は最悪の状態から薬を飲まずに生活を送ることができる状態までおよそ1年かかりました。

学校で周りと打ち解けると、前職の話になり、自分のことも話しますが…
「英語科教員」であったことはここにいてマイナスに働いたことがありません。
むしろ、誰かの助けになれることもしばしば。

時に授業を受けながら、
「いつかまた教壇に戻った時にはこんなアプローチで教えてみたい。」
と思いもします。

この語学留学が終わった先のことは決めていません。
今はまだ抑うつ状態からの回復過程、社会への復帰過程にいると考えています。



私のできることをする。

私が好きなことをする。


大好きなニュージーランドにいるこの時を大切に過ごしたいと思います。


読んでいただき、ありがとうございます。
コメント、質問等、お待ちしています!

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