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『オナ禁論』の道③

いよいよ本文をゴリゴリと書き始める段階に入った。すこし走り出しが遅いな…とにかく気は抜けない日々。

物理的な進捗(2021年4月30日現在)

・文献リストは107⇒126本。今後も随時更新予定
・現在20⇒23本目まで読了。
・分析対象としている資料数は180⇒180。すべてkindle本。
・現在通読したのは30⇒41。
・アウトラインをもとに、目次の作成を行った。
 ⇒学振の研究計画書を書いていたら、目次の修正の必要が出てきた
・アウトラインは継続的に逐一加筆・修正している。

ちなみにオナ禁を自分で実践してみていて、今日でちょうど50日目である(どうでもいい)。

議論の前提をつくるための柔らかい問答

4.オナ禁実践者が自らを「ポルノ依存」の状態と位置づけるのは言い訳ではないか?

これは、「上手くいかない原因をすべてポルノやオナニーに帰しているのではないか」や、逆に「上手くいっている原因をすべてオナ禁に帰しているのではないか」などの「効果」否定論としても、さまざまなバリエーションを取りうる。

実際のところ、「効果」には科学的根拠がはっきりとしていないものが多いため、「効果」はプラシーボ効果だとも言われている。

同様に、「ポルノ依存」も、「依存」概念そのものが広がりをもってきた過程でつくり出された概念という性格が強く、科学的根拠に基づいて厳密にカテゴリー化されているものではない。したがって、「本当は病気でもない者が、自分の自己管理能力のなさを棚に上げるための言い訳として「依存」だと言っているのではないか」という意見が、「ポルノ依存」に対する「治療」としてオナ禁を行う実践者に対して向けられる。

じっさい、このような意見は、海外の分析でも現れている。

たとえばTaylor & Gavey(2020)では、ニュージーランドの一般大衆の間で「ポルノ嗜癖(pornography addiction)」がどのように構築されているかについて、ニュース記事とそれに関するSNS上のコメントを分析することで考察している。

彼らは5つの主題を抽出したが、その中の一つが、「ポルノ嗜癖は言い訳である」というものである。すなわち、「ポルノを視聴しているのがバレたときに用いられる都合のよい言い訳」にすぎないのだ。

議論を進めるための土台の知識

自らを「ポルノ依存」と捉えるか、「効果」を求めて自己研鑽に励む存在として捉えるか――。オナ禁という同じ言葉で括られる実践であっても、自己の位置づけ方は一通りではない。

オナ禁をめぐって用いられるカテゴリーは、その実践に関わる人にとってどのような意味をもつのか?

あるカテゴリーAが作られるとき、そのカテゴリーAを他者によってつけられることによって、あるいはそのカテゴリーAに自己を当てはめることで「A」という人たちが生じる。彼らは「A」にふさわしいふるまいを周囲から押しつけられるだけでなく、「A」としてのふるまいを自律的にとりうる。

このような、カテゴリーが人びとのふるまいに与える影響を論じたものとして、イアン・ハッキングの動的唯名論がある。彼は1986年の論文において、"making up people"という言葉でこれを説明している。

可能性についての我々の領域、それゆえにわれわれ自身は、我々の名づけと、そのことが必要としているものによってある程度作りあげられているのだと、動的唯名論は主張している (Hacking 1986: 236)

カテゴリーがあてがわれることで、そのカテゴリーに属する人は、そのカテゴリーの特徴で、それゆえにそこに属する人が求められるようなふるまいをすることになる。カテゴリーが人のふるまいを規定しているのだ。

もちろんここでの主張は、動的唯名論の初期のものなので、理論的に考えつくされていないポイントが多いことはハッキング自身が認めている。彼のその後の論文を追っていく必要はある。

しかし、ここで述べられているように、カテゴリーができて、そこに自己を置きいれることで、「わたしはこのようなふるまいをする存在です」と外に向けて示すことができるようになるという視点は、「ポルノ嗜癖」というカテゴリーを考える際にも役立つ。

このカテゴリーに自己を位置づける人が、たとえ「お前たちのカテゴリーは言い訳だ」と言われてでも獲得できる(したい)、「ポルノ嗜癖」というカテゴリーを特徴づける正当なふるまいや姿が何なのか、という視点で見ることが可能になる。

また、逆に「ポルノ嗜癖」ではない存在としてオナ禁を実践する者にも同じ問いを立てられる。病気を抱えているわけではない彼らは、「オナ禁実践者」――実践者の間では「戦士」などと称していたりする――というカテゴリーによって、どのようなふるまいや姿を正当なものにすることができているのか?「オナニーは無害だ」という言説に反してオナ禁に励み、日数や「効果」を報告するふるまいだろうか?それとも、世の一般男性よりも「強く、魅力的な」姿だろうか?

具体的な内容は、今後資料をより詳細に読み込みながら整理していく過程で見出していく必要がある。また、カテゴリーと自己の位置づけ、そしてカテゴリーが生み出すふるまいなどは、オナ禁の目的や動機とも深く関わっていることに注意したい。

次の目標は?

・本文作成に本格的に取り組む。先行研究の読み込みがまだ足りないのだが、大まかな見取り図だけでも言語化しておきたい。

・教育の分野と男性学の分野からみたオナニー/オナ禁言説にまだ当たれていないので、日本語の主要文献を読むところから早急に取り掛かりたい。

・前回の報告の後から、論文を読むペースが落ちている。すんなりと読めない論文が多かったり、単著を読んだりしていたのが理由だが、情報を一定の精度と速度を維持しながら集める習慣はなくしたくないので、ゴールデンウイーク中に積極的に読み進めようと思う。

・学振の研究計画書が重い。それはそうなのだが。「修士でここまでやる」という見通しをよくするために役立てればいいか、と思ってやっていく。

・来月は中旬から下旬があわただしいので、12~14日あたりと月末に報告を挟もうと思う。
 (2021年5月17日追記:学振の計画書と、修論本体の執筆でかなりあわただしいため、今月は中盤での報告はできないと思う。月末に必ずまとめたい)

・オナ禁は続ける(どうでもいい)

参照・引用文献

Hacking, I., 1986, “Making up people.” In: Heller, TC., Sosna, M. and Willbery, DE. (eds.) Reconstructing Individualism: Autonomy, Individuality, and the Self in Western Thought. Stanford, California, Stanford University Press. 222-36.

Taylor, K., Gavey, N., 2020, “Pornography addiction and the perimeters of acceptable pornography viewing.” Sexualities. 23(5-6): 876-97. 

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