今の性格になったのはいつだったのか。ギャンブル依存症になった僕の経緯

僕の性格は簡単に言うと、熱しやすく冷めやすい。だと思う。

何にでも興味は持つし、ある程度のレベルになるのも他と比べても早い。

そのせいか、自分はできる人間だという自負が強めであることが残念な点だ。


幼少期の僕は、親や祖父母の寵愛を受けて育った。

祖父母の家に行けば毎月、1つゲームを買い与えられたりした。祖父にとっての初孫ってのは強い。

親もそうだ。

30年ほど前はバブル絶頂期。毎月共働きの両親は手取り約100万の自営だったらしい。

ま、簡単に説明すると小金持ちってやつだ。家は家族5人(妹が二人)が川の字になって寝ていたから、小金持ちがしっくりくる。

そのせいで、欲しいものは何でも買ってもらえた。

このころの口癖は

「○○君ももってるねん」

これに尽きる。

これで、人気で品薄の「蛍光マーカー7本セット」買ってもらえた。

しかし前述の性格のせいでTVゲームをしても、やりこみまくる事なんかまれで、一通り操作すると飽きて次のゲームへと。って感じだ。

カードダスにしてもそうだ。キラカードを何枚持っているか。がステータスだったころ、毎日おこづかいをもらってカードを買いに行ったものだ。特に何に使うってこともないのに


このあと転機になるであろう事件が2つあるので、今回はこの2つをあげてみようと思う

タンスに入っていた千円札を使って本を買う、だ


ある日、Y少年はタンスの一番上の通帳や印鑑が入っている、通称”大事なものの引き出し”に千円札が入っていることに気が付いた。きっかけは、母親にハンコ取ってきて、と言われたことだった。普段なら気づかないであろう場所にお金があることに興奮を覚えた。

その場はその、ハンコを取りに行くというミッションを完遂した形だが、その場所に行けば買いたいものがあった時に使えるお金がある。当時、おこづかいをもらってなかったから(ほしいもの申請制)自分のお金のように使えるその千円札が光って見えた。

その自分のものではないお金で初めて買ったのは、「磯野家の謎」だった。駅前の、ブックエースに行きY少年はその本を買った。

そして家につき何事もなくふるまう。

ばれるかもしれない…。

そうY少年は思った。しかしばれなかった。

当座使う予定のないお金だったのだ。

「自分のものではないだれかのもの」を使って、不正を働く。その快感に気づいた瞬間だった。


そのばれなかった事件に味を占めたY少年は、連続で本を買っていく。

明らかに蔵書が増えていく少年を不審に思った母親によって、制裁されることになるのだが。


当事者にしかわからないスリルや興奮。

これは、脳の中の快楽物質が関係している。

とあるサルを使った実験。

ボタンを押せば100%の確率でエサが出る装置と、低確率でエサが出る装置とで実験したら、結果は低確率のサルはエサの時間でもないのにボタンを連打する。

成功体験を脳が覚え、快楽物質を出すのだ。

しっかりとした金銭感覚はやはり幼少期に学んでおくべきスキルなのである。


もう一つは、お年玉一挙大放出スペシャルだ。

ネーミングは僕が勝手につけた。


高校生になったY少年。


高1からアルバイトをしていたから、月に5万円は使えていた。今になって思えば、

「学費出してもらっているから定期代は僕が出すよ」

という発想になってもおかしくはないし、親が出すのが当たり前だとしても、言葉に出すべきだったのではないかとも考える。


自分が大人になるまでにいくらかかったかを知らない。

親も教えてくれなかった。

学費でいくらかかって、定期代がいくらとか、もっと話すればよかったな。


一応、関西でも上から数えたほうがはやいくらいの難関大学に行けたのだが、お世辞にもまじめだとは言えないレベルで荒れていたと思う。いや、漫画ほどの暴れん坊ではないけども。(徹麻とかPね)


学校帰りにスーパーでバイトして、毎月7万円以上。

しかし、Y少年の残高が増えることはなかった

「貯金をする」

という感覚がないのだ。


これは今でも思うのだが、

なぜ、貯金をするのか?と、おもってしまうのだ。

これは、理性ではなく本能の問題だと思う

貯金をするのは、ピンチの時を超えるための当座の金ではないのか。

こういう感じなのである。

正直、給料が次の月を超えたことはない。(結婚後は妻にまかせてたけど)

適切な金銭感覚を少年期に身に着けなかったからだ。

時給が750円から780円に上がってもなんとも思わなかったし。


そして内部進学で大学生になるのは決定していた春。

気持ちは浮ついていた。だって、ほぼ休みだったんだもん。

1月。(親友のS君は95パーセントの高確率進学なのに落ちてしまったが、それは関係ない)


たぶん、何のこだわりもないと思うのだけれども、母親が僕名義の通帳を渡してきた。

「これあんたのこれまでのお年玉の貯金やし、渡しとくわ。」

30万くらい。

今まで、10万円以上を持っていたのは年末のバイトが忙しい時期以外に見たことはなかった。

・・・

しかし、貯めた実感がない。ただの300000という数字だ。

(これはのちに15000000という数字でも同じことをおもうことになる。)


これを、CR大工の源さんで3日で失くしてしまう。

30万円を無くしても、動じない精神には感服するが、明らかにおかしい。

18年間親が貯めていてくれた30万円。

それを何にも役に立たないことに使う。

天性の無駄遣いプレイヤーである。

一番興奮を覚えたのは・・・30万円を引き出したとき

この出来事で、前回は1000円だったリミットが30万円になった。


と、このように、僕が多重債務者になったのには幼少期からの必然だったのかもしれない。

少しづつリミッターをあげる。

これは、善行でも悪行でも同じペースで成長する。


ただしい金銭感覚は一長一短で身につくことはないのだ。

そして、自分を構成する部分の一部分でもバランスを崩してしまうと、全体が狂うかように、Y少年は大学を1年で辞めてしまうことになる。






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