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イタリア紀行①(渡航~到着編)

(ここでは、お気持ち表明ではなくできるだけあったことをそのまま記そうと思う。

でもお気持ち表明大好き人間のため、ところどころで堪えきれずクソデカお気持ち表明が入り込んでくるかもしれない。)


渡航1日目から毎日その日中に書き記すべきだった後悔はあるが、今記せることを記しておこうと思う。
安易に言語化せず、自分の中に積もったものが風化してゆくのも良いと思うが、少なくとも今の自分が考えていることを記録しておくのは損ではない気がするし、1度考えをまとめておくのも悪くないと思った。


がしかし、やはり、全く不慣れな地に1ヶ月弱も滞在したとなると、思うことがある。もやもやしたなにかの価値を持ったのものが私の中に出来ている気がする。
決して、視界が開けただの、自分の殻を破けただの、良い経験が出来ただの、という言葉で表せるようなものではなく、もやもやとした何か価値をもったものがある。

早速お気持ち表明を耐えきれず出してしまった。


海外旅行は初めてであった。日本と中国は比較的慣れている地なので含めないことにする。
出発前から、シェンゲンビザの申請で少し慌ただしかった。インターンと被っていたこともあり、大阪に赴いて書類を準備し、総領事館に行きながらインターン課題もこなして、という感じであった。
また、航空券も2回(3回?)変更があり、福岡出発から関空出発へと変更になったりした。
航空会社は機材を運ぶため、韓国経由で大韓航空を利用した。17万ちょっとが一気に口座から蒸発して心が痛かった。(結局ビザが間に合いそうになかったため、機材は運ばなかった。)

初めてなので、海外でクレジットカードが使えるかどうかも分からない状態であった。海外を縄文時代とでも思っているのだろうか。中国籍はどこに行くにしてもビザを取らなければならないので、海外旅行のハードルが高い。
過去に韓国行きとシンガポール行きの予定があったが、双方コロナで無くなったため、本当に初海外である。


予算は1日30€×日数+αからなんとなく-2万円(なぜ?)で現金を持っていった。結果から言うと少し足りなかった。旅行に関して金はケチってはいけない。

満を持して、関西空港に向かい、仁川経由ローマ(フィウミチーノ)行きに搭乗する。
12:20の便だったため、空港の近くに前泊した。安くて綺麗で非ユニットバスでなんだこのホテルとなった。22:00頃に屋台で買った柔らかいたこ焼きと湖池屋のポテチが日本で食べる最後の食事となった。

たこやき


関空~仁川へは日本の修学旅行生と思われる集団がいた。お金持ちな見た目の生徒が多かった。私立だろうか。修学旅行で外国に行けるのは本当に恵まれていると思う。



仁川空港の木

1時間50分で仁川に着いた。仁川空港は大変素晴らしかった。WiFiも強いし、室内には木が生えているし、ジムがあるし、ホテルがあるし、何でもあった。住める。12時間越えのトランジットが全く苦ではなかった。福岡→関空へと変更になった為か、タダでトランジットホテルに泊まれた。フカフカのベッド大変良かった。


キムチチゲ


バウチャーとはなにか、と思いながらチェックインし、10000ウォンのクーポン券でキムチチゲを食べた。美味しかった。Instagramのストーリーにあげると、韓国の友達から沢山反応が来て嬉しかった。昔のルームメイトやバイト先の先輩など、長らく連絡を取っていない友人からの反応は嬉しいものである。



その日の夜はインターン関連のミーティングに出て、次の日の朝はゼミに出た。いよいよ13時間越えの飛行である。足のむくみが心配なので、着圧ソックスを事前に履いた。
(おかげでふくらはぎがボンレスハムにはならずに済んだ)
勝手に大韓航空に全面的な信頼を置いているため、めちゃくちゃ安心して搭乗。隣には韓国のご夫婦が座った。窓際を選んだことを後悔する。なぜなら景色を見れるのは離陸直後と着陸直前だけだからだ。他の時間はブラインドを下ろしてしまう。写真は撮れるが、トイレには行きにくい。
13時間は短いようで長かった。長かった。しかし、以前福岡から大阪までの深夜バスよりは格段に快適であった。映画を三本見た。私時々レッサーパンダ、ジュラシックパーク、オートクチュールを見た。映画の感想は長くなるので割愛する。


4時間を超えたあたりからしんどくなってきた。閉所恐怖症でもないのに、座りっぱなしは発狂しそうになる。
次回はエティハド航空などを利用して、6時間、7時間、6時間など小分けの旅程を組みたい。



なんとかイタリアに午後19:40頃に到着。暑い。しかも意外とじめじめしている。乾燥していると言われたが本当か?と半信半疑の蒸し暑さが私を迎えた。スリに気を付けなければと、警戒心MAXで到着口から出る。
ここで大部分がマスクをしていないことに気づく。
早速今夜の宿にシャトルバスを手配してもらわねばと電話をかける。ここで問題が起きた。お互い英語が下手であった。私は言わずもがなであるが、相手も95%イタリア語の英語を話してくる。話が通じない。発音の90%がrで構成されているのではないか。全く聞き取れない。迎えに行くから2階へあがれ、なぜだ、ここが到着口だぞ、いいから2階で待て、といったような会話をし、よくわからないまま私は1階で30分待った。来ない。それはそうである。もう一度電話した。向こうも出発してなかった。
結局1時間待って迎えに来てくれた。気前のよさそうなおっちゃんが宿まで運転してくれた。宿は大変良かった。広い、綺麗、朝食付き。シャトルバス往復と朝食で45€、悪くない。

到着した日の宿


しかし、初海外で緊張が解けなかったのか、風呂にも入らず、着替えもせず、布団も被らずに寝落ちしてしまい、深夜3時に起床。インターンの為である。偉い。
2度寝する間もなく日が昇る。ここで欧州の朝日と夕日が長く続くことに気づく。なんか2時間ぐらいずっと朝焼けが続く。

朝食!

お風呂にはいって、朝食に向かう。初めてのイタリア式(?)の朝食である。クロワッサンが大変美味しかった。朝食係の女性に次々とすすめられるままどんどん胃に入れていく。私は結構な小食であることを忘れていた。苦しくなるまで優雅に食べた、決してもう入らない、腹いっぱいであることをおくびにも出さず。欧州では優雅に食べなければ後ろ指さされて仲間外れにされるという強迫概念からである。

朝食を済ませた後、仮眠をとった。時差ぼけなぞFLEX制睡眠時間をとる私の前では意味をなさないとこの時点では思っていた。
迎えに来てくれたおっちゃんがまた空港まで送ってくれた。記念として最後にツーショットを撮った。

先輩とローマテルミニ(termini)駅で合流するまでは気は抜けない。
とりあえずテルミニ行きのバスを探さねば徘徊。オンライン決済で6€のバスを見つけ、集合時間まで空港で待つことに。
暇なので、世界建築史のスライドを見返した。後で先生に質問されて答えられなかったら終わりである。院試の記憶など1㎜もない。
それでも時間が余ったので、ウマ娘をしていた。フィウミチーノ空港のWiFiはウマ娘が出来るほど強い。

ウマ娘ができるほど強いWiFi

16:30ごろに駅で、とのことだったので、15:30のバスに乗ろうと、15:05頃にバス乗り場に向かったら、前の便がまだ乗れるから乗れと言われた。
適当である。前の便も既に20分ほどの遅延である。座席が埋まらないと出発しないらしい。
入国審査もめちゃくちゃ適当だった。欧州ってやっぱ適当なのだろうか。日本人が細かすぎるのかもしれない。


カラカラ浴場(違った)あるやん!

バスの上からは色んなものが見えた。初めてのローマの街並みに大興奮した。地図を表示しながらバスから見えるものを楽しんだ。城壁を過ぎてすぐに大きな遺跡っぽいものがあった、カラカラ浴場っぽい!と地図をみて大興奮(後から先輩に聞いたら違った)。


テルミニ周辺


一時間ほどでテルミニに到着。相変わらず警戒心剥き出しで先輩を待つ。欧州の女性は布面積が少ない服を着る。体系に関わらずだ。道行く人を観察していた。私には到底着こなせないよう服ばかりみんな着ている。



宿の近くに有名なあれが!

先輩二人と合流してから宿に向かう。
テルミニから数駅の場所の宿である。ローマの街並みを楽しみながら歩くが、荷物が重くて、西日が強くて辛い。
欧州がなんか石畳が多い、見た目はいいのだが、スーツケースの車輪が泣いている。
宿のエレベーターは古い作りのものだった。映画でみたような鉄の格子のエレベーター。その日は夜マックを食べ、スーパーによって食料を調達して就寝した。


本当に疲れていたんだろう。お風呂から出た私はその日、靴下も腕時計も眼鏡も履いたままつけたまま掛けたままで仰向けで気絶するように寝た。


紀行②はローマ観光~体調崩すまでを書きます。
一部はここまで。



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