ぎふ清流ハーフ2023.4.23
しばらくnoteご無沙汰でしたが、記録を残すついでに書いていこうと思います。
結果と前提条件
タイトルの通り、ぎふ清流ハーフを走ってきました。
先に結果を出すと68'11(34位)でした。
スタート時刻の気温は15℃、前日の強風も落ち着き、レース後半は多少暑くなりましたが、総じて悪いコンディションではなかったと思います。
目標は66分台(3'10/km)、あわよくば65分台を狙っていました。
練習状況としては2月末の大阪マラソン以降不調が続いていましたが、ようやく多少走れるようになってきたところ。1週間前の刺激は5000m+ 2000m+ 2000mを15'32- 6'12- 6'09で冷静に考えると3分1桁で押せる力はなかったですね。
ではレースの振り返りに入ります。
スタートの位置取りと戦略
スタートは先頭に招待選手+招待競技者(実業団や学連登録の大学生)が50人ほどいて、その後ろのAブロックからでした。(一応、私も実業団ではあります。笑)
とは言え、Aブロックの中では先頭の方に並んだのでほぼタイムラグなしでスタートすることができました。
プログラムを見て、学生の後ろの方が持ちタイム66分台〜67分台だったので、学生グループの後ろにつこうと決めていました。
スタート後、沿道スレスレから追い上げて400mで学生集団に追いつくことができ、1kmの通過は3'04。完全に予定通りでした。
しかし予定通りじゃなかったのが身体の方。呼吸が上がり、「これは保たない」と思い1km過ぎの橋の登りで見送りました。
橋を渡った直後のカーブで後ろを確認しますが、完全に孤立。前も後ろも人がいません。
「自分でペースを刻もう」と決心しました。
単独走から集団に飲み込まれ
2km6'16、だいぶペースが落ち着き、前とはかなり離されましたがアベレージ3'08。呼吸も落ち着いたのでここからリズムを作り直せば…。
3km9'27、後ろの足音が微かに聞こえるが一向に追いついてくる気配なし。
岐阜駅の折り返しで位置を確認。「第一集団」、「私」、女子トップを含む「第二集団」に完全に分かれています。
5km16'04、ここでついに後方集団に飲み込まれました。本大会女子2連覇中のオマレ・ドルフィンニャボケ選手を中心に10人以上の大集団です。
集団の中に入って一旦休憩。この時点で本日の目標を「この集団について最後抜け出す」に切り替えます。
集団を引っ張ってるのは白のユニフォームの選手ですが(以下、石けんと呼ばせていただきます)背中にゼッケンがないので、ペースメーカーでしょうか?オマレ選手がぴったりついています。
集団での引っ張り合い
6km地点の坂で何人か振るい落とされ、集団は6人程度に。川原町の石畳を越えたあたりで石けんが後ろに下がると、オマレ選手が手で「誰か前に出ろ」とハンドサインを出します。すると、すかさず黄色いユニフォームの選手(以下、レモンと呼ばせていただきます)が前に出て、ペースを作ります。
こうして引っ張り合うというのは、このレベル帯の選手では"あるある"かなと思います。
10km32'17、3'15/kmあたりで落ち着いています。
11kmでレモンも後退するとオマレ選手が前に。
この先は川沿いの道をひたすらに進むのですが、私はこの時点ですでにキツくなっており「せめて13kmの折り返しまでは食らいつこう」というマインドに。しかしオマレ選手がハンドサインで引っ張れと指示を出します。誰も前に出ません。
「日本人の男は情け無い」と思われては堪らないと思い、給水を取ったところで前に出ました。(本当の理由はペースが下がり始めていたというのが大きいです。)
橋を渡り270度旋回して川の反対岸へ、ここからゴール地点の競技場を目指します。
給水に関して
今回は一般エントリーでしたのでスペシャルドリンクはありませんが、最近給水のコツを掴んできました。
まず給水テーブルに幅寄せをします。そして一番奥端の一個を狙い取りします。他のコップに手を取られないので取りやすいです。取ったら口を潰して少量ずつ注げるようにします。
飲む時は上を向くのではなく首を横に傾けて注ぎます。天を仰ぐようにして飲むと呼吸が入りづらくなるのと、進行方向が見えなくなるからです。給水時は接触の危険性が高く、また切り替えのタイミングに使う選手も多いため目を逸らしているうちに置いていかれる可能性があるからです。
量は口に含む程度です。ヒトが単位時間あたりに吸収できる水分量は決まっており、たくさん飲んでも胃に溜まるだけなので次の給水でまた少量取ります。
また冬場はユニフォームが濡れて体温を奪われるのにも注意が必要です。その意味でも口を潰して少量ずつが良いのです。
人数は絞られ我慢比べ
14km地点明らかに乳酸が溜まってきているのを感じ、脚が動かなくなります。若干ペースが落ちたのに気付いたのか、オマレ選手が前に出ます。レモンにも躱され数メートルの差が開きます。「ここで離れたら終わりだ」と必死に食らい付きますが、気を抜くとすぐさま離されます。臀筋が硬直して、前腿を使い出し、さらに前腿にも乳酸が溜まり始めました。
それでも練習で同じようなシーンがあったことを思い出し、再び追いつきます。普段の練習から人と競り合うことの大切さを痛感しました。
そして15km48'33、なんとか粘れているようです。しばらく進むと遅れていた石けんが追い上げてきて一気に前に出ました。彼はかなりスピードを持った選手のようで、ペースが違います。経験上よく分かりますが、ペースが緩んで乳酸値が下がると一気に楽になることがあります。いわゆるランナーズハイというやつです。
こちらは遅れないように着いて行くのがやっとで、延々と続く直線が果てしないです。こうなったらもう、距離もペースも考えずにひたすら着いて行くしかありません。
橋の下をくぐったところでオマレ選手のペースが上がり3人とも離されます。(オマレ選手はアップダウンが強いようです。)
しかし前を見るとオマレ選手のさらに先にもう1人のランナーが見えています。あのユニフォームは日体大の学生でしょうか。ついに先頭グループから溢れた選手が近づいてきました。日体大の学生→オマレ選手→レモンと石けんと私、それぞれ10mほどの差になりました。
我慢くらべを超えてスパート体勢へ
金華橋で川沿いの道を分かれるとすぐに500m程の下り坂となり、その先でラスト1kmとなります。前日にコースを確認していたので、橋の手前からペースアップ。下りで一気に仕掛けるには、その前にどうにか追いついておきたい。
前を追います。かなり乳酸が出てますが、残りは2km。ちょうど金華橋でオマレ選手に追いつき、下り坂で日体大の学生も捉えました。
完全にスパート体勢に入ります。心拍数の上がる瞬間さえ乗り切ってしまえばそのまま押し切れる。20km通過が64'44。落ちてない、というより巻き返してる。ラスト1kmを過ぎてゴールのメモリアルセンターが見えてきました。最後の右折で後ろを確認するとレモンがすぐ後ろに着いています。しかし残り600m、もう前を譲ったら巻き返すタイミングはありません。
競技場に入りさらにスパート…
逃げ切って68'11。その後ろにレモン、日体大の学生、オマレ選手と秒差でした。
まとめ
結果振り返ると、追いつかれた後方グループの中では先頭、先行グループには1人しか追いつけずでした。
この上を狙うなら、やはり前で戦うしかないでしょう。もしくはこのペースなら42kmまで粘れるようにしたいところです。
とは言え内容としては序盤攻めて、中盤粘り、ラスト切り替えるという展開ができたのは、一つ経験になりました。
大阪マラソン明けからの不調は脱したかなと思っていましたが、調子というより実力そのものが低下してきていると感じました。もう少し詳しく言うと、マラソン期間中スピード練習をしてこなかったのでペースに対する感覚がキロあたり5秒くらいズレてきていると言うことです。
マラソンで距離に耐性が付いていることと、レース運びのテクニックで誤魔化してはいるものの、このままではその上には進めません。ここらでもう一度スピードの最大値を高めておく必要があるようです。
幸い故障などの心配はなさそうです。来週のthe challenge raceは5kmと1マイルを走る予定ですので、これを契機にスピードを上げていきたいと思います。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?