3ヵ月で2km→42km!! 故障から神戸マラソンまでの練習の軌跡。
先日走った神戸マラソンまでの3ヵ月余りの練習をここに記録しようと思う。実は5月初旬にアキレス腱を痛めてから7月までは、走ったり走らなかったりを繰り返していた。8月に入って練習を再開させたものの、体力の低下が著しい。
8月16日に2000m×5本で限界だったペースで、3ヶ月後のマラソン当日11月19日には42.195kmを走るまでに至る。この3ヶ月間どのようにして戻していったのか…。
というお話だが、「そんなのはどうでもいいから、とっととメニューだけ見せろ」という人向けに、まず先に練習実績を公開しよう。
方針決め
これを見ただけでは「訳の分からん練習をしているな」という印象であろう。ということで解説させていただくことにする。
まず前提確認。5~7月は全く練習が詰めておらず体力の貯金が0。
その一方で目標とするのは神戸マラソン入賞。例年通りだと2時間22分くらいまでで走れば入賞ライン。ペースで言うと3'22/kmあたり。
それではいよいよ、この絶望的な状況からどのように立て直していったのかをお披露目しよう。
まず初めに3段階のタイムリミットを設けた。
①ゆっくりでも良いからノンストップで30km以上走る。(〜8月末)
②3'30/kmが楽になる。少なくとも30kmは余裕。(〜9月末)
③3'20/kmが楽になる。少なくとも20kmは余裕。(〜10月末)
それに伴い、上下からの2通りのアプローチを同時進行することにした。
楽に感じられるペースを3'40/kmから上げていくことと、3'20/kmで走れる距離を伸ばしていくことである。
⓪合宿を利用しての慎重な立ち上げ
まず練習の導入期についてだが本筋とは少し逸れるので、時間がない方は次の章へ飛んでいただいて構わない。
ただし故障明けの立ち上げは、その後の練習を組み立てる上で最も重要かつ繊細で難しい時期と言えることだけは留意いただきたい。
それでは8/6~8/13の合宿期間。ここでの目的は走ることに慣れること。特に毎日2部練しても壊れない足、そして痛みの出ない走り方を身につけること。そのためにほとんどを1人別メニューにして、タイム設定も設けずに走った。少しでも違和感があれば即座に中断して、その場で座ってフォームを作り直してから走り出すようにした。
合宿という時間と精神を陸上だけに注げる環境のおかげで、痛みなく練習を継続できるようになった。
この期間で最も重要視したのは、理想とするフォームで走れているかということ。(私の場合で言えば、腹圧が抜けていないか。ここさえ押さえておけば痛みが出ることは少ない。)そのためにペースや距離などに囚われず、"いつでも中断できる"ということが必要だった。計画した通りの練習が出来ることよりも、もう故障して逆戻りしないことの方が重要である。
①ゆっくりでも良いからノンストップで30km以上走る。
練習序盤の体づくり
まずこの期間はペースを問わずに距離を伸ばしていく。なぜ初めに距離からアプローチするのかというと、その後の練習のためである。
9月から本格的に30km走などを実施していくにあたり、その距離を走り続けられる体を用意しておかなければならない。具体的に言うと、【その時間身体を動かし続けるエネルギー】、【反復動作に耐えられる足】、【その時間を長く感じないメンタル】である。
この練習はペースは速くないものの体への負担は大きく、高強度の練習と組み合わせるには相応のタフさが求められる。故障明けの繊細な体では難しいと判断し、期間を分けて8月中に"体づくり"を済ませ、9月以降の練習に備えたかった。
遅いペースの落とし穴
しかし、ここで一つの誤算があった。9/3の練習の後、足に痛みが出たのだ。ペースを落としたことで接地時間が長くなり、なおかつ走行時間も長くなったことで接地衝撃に耐えられなくなったのである。
その後の一週間は練習中断を余儀なくされる。
ただ「痛みが出たら即座に中断する」ことを覚えたため大事には至らず、1週間後には練習を再開できた。幸いにも、この時点で"体づくり"はある程度完成していた。
この後はペースを落としたロング走はしないことになる。
②3'30/kmが楽になる。
ペース走に慣れるまで
合宿後最初のペーランは16000mくらいは行いたかったが、10000mでリタイヤ。合宿は避暑地で行ったこともあり、東京の暑さにもやられた。正直言って厳しい状況と評価せざるを得ない。
だが翌週には同じメニューを行い、16000mをクリア。身体を慣らすことが目的なので、あえて同じ刺激を繰り返した。またこの時期は前項のロングジョグと合わせて低強度の練習を高頻度に実施した。ここで重要なのが最後まで追い込み切らずに切り上げること。
これについて詳しく記載した記事があるのでリンクを貼っておく。特に「ペーランで余力を残すテクニック」の項だけ読んでいただければその真意がわかるだろう。
上述の通り一度練習を離脱することになり、3'30/kmがなかなか楽になってこず焦り出す。9/18のハーフマラソンは2日前のインターバルとセット練だったこともあるが、後半フォームが崩れだしたので途中棄権した。崩れたフォームで走ってその後の練習の質を落としても意味がない。
少しアプローチを変えようと思い、5km×5~6本を実施(9/23)。メニューとしてはインターバル形式だが30km走を分割したイメージである。1本目はアップも兼ねてキロ4で行い、2本目以降は3'30/km。完全に翌週の30km走を意識した練習である。この方法が功を奏して、余裕を持って走れた。
しかし、まだいけるなと思いペースアップして6本目を始めるも、足首に痛みを感じて3kmで即中断。結局5km×5本+3kmとなった。
こういう時は調子に乗ってペースを上げるべきではなかったと反省。しかし即中断したのは我ながらナイス判断である。
いよいよ距離走の開始
そして翌週は富津岬まで遠征して30km走を実施。初めはゆとりを持って入り、後半20kmは3'30/kmできっちり完遂。なんとかギリギリで9月中に「3'30/kmが楽」を完成させた。とはいえマラソン7週間前で初めての30km走はかなり危うい。
さらに一度40km走をやっておきたかったため10/13に決行。しかし30kmを過ぎたところで足首に痛みが出始める。5km×5の時と同じ個所だ。ただし今日の練習は30kmを過ぎてからが本命。
【30kmまで走ったコスト】、【30km以降で得られる練習効果】、【痛みが残るリスク】を天秤にかけ35kmまでで中断。
痛みは出たが、この距離もキツくはない。
さらに2週間後に再度30km走(10/28)。当初の計画ではここは変化走にする予定だったが、その前週の練習のダメージが抜けず、メニュー変更して一定ペースで実施。これが最後の距離走となる。
③3'20/kmが楽になる。
立ち上げ段階は分割してトータルの走行距離を稼ぐ
前項の練習と同時に3'20/kmに慣らす練習も開始。初回はこの速度帯でペース走できる状態ではないので2000m毎に分割して実施(8/16)。形式上はインターバルだが、これもやはり目的としてはペーランに近しい。
初回はリカバリーを延長して、ギリギリのクリア。想像以上に厳しい状況だった。3ヶ月後にはこのペースで21本をリカバリーなしで走らなければならない。
9月中は3'30/km〜3'40/kmのペーランをメインに、合間に3'20/kmの分割走を差し込んでいった。練習期間が短いため、この速度帯での合計走行時間をなるべく増やす作戦だ。
9/16にはもう一度2000m×6本を実質。2日後のハーフマラソンとセット練。マラソンペースの分割走+低速域のペーランの組合せだ。
前回の2000m×5本よりは余力を残して走れたが、それでもまだ続けては走れない。
ついに3'20/kmもペーラン感覚に
ようやくペースに慣れてきたのが、10/7のハーフマラソン。練習で出場していた学生さんの集団を利用させていただき、一定ペースで走行。河川敷での折り返しコースだ。
この日は順調に走り始め、3'20/kmがスピード練習ではなくペース走になってきたことを感じた。10月に入ってからレース用のカーボン入りシューズを使い出したことも大きい。だが10km過ぎでアクシデントが起きた。靴擦れだ。両足の小指が擦りむけているのがはっきり分かる。
小指に変に力が入ってしまい、フォームを崩しそうなので17.5kmの折り返し地点で途中棄権した。なぜ17.5kmなのかというと風向き。12.5km〜17.5kmが向かい風、17.5km以降が追い風だった。強風で有名な神戸マラソンに向けては、向かい風を3'20/kmで押しいく練習をしておきたい。その後のリスクと得られる効果を天秤にかけ、向かい風の間は走ることに決めた。逆に17.5km以降は追い風なので楽に走り切れることは確信しており、翌日以降の練習離脱のリスクが高まるので、きっぱり終了。
このハーフ(17.5km)で3'20/kmでは走れる感覚を掴み、翌週の35km走を挟んで、2週間後には5km×4を実施(10/21)。前回の5km×5とは異なりマラソンペースを越える速度帯での練習。目的はハイペースへの対応。
マラソン本番はイーブンペースで行くならば5kmを16'40で走れば良いのだが、レースではそう上手くは行かない。どこかのペースダウンを取り戻したり、前の集団に追いつくために部分的にペースアップする瞬間が出てくるだろう。
それを見越して5km16'00の設定で実施した。このペースで42kmは走れないが、「マラソンの途中どこかで16'00が出てきたとしても、次の5kmが16'40に戻れば致命的なダメージにならない」という状態を作っておきたい。
結果、①15'55②15'59③15'50④15'44だった。16'00は問題ない。
だがラスト上げ過ぎたことにより想定以上に疲労を残してしまい、ここでピークアウトしてしまうことに。本来は翌週の30km変化走までをトレーニング強度の山とするつもりだったが、練習の見直しをすることとなった。
最後2週間の調整練習
2週間後(11/4)の20000mPRはマラソン2週間前の最後の高強度トレーニングとなる。レースペースできっちり刻んで走るためにあえて競技場で実施した。ここで楽に走っておくと、レース当日もハーフを余裕もって通過できる。この時には5km×4本の疲労も抜けており、追い込むことなくクリアできた。
「10月中に3'20/kmが楽になる」というのもなんとか達成できたようだ。
そこから先はもう長い距離は走らず、感覚を覚えるためにレースペースの反復練習である。1週間前の10kmは河川敷で向かい風対策を行い、4日前の1000m×5は入りの1kmを力まずに3'10~3'15で入る練習を実施。これらはテクニックの問題であって強化の目的はほぼない。
そして当日は42.195km、2時間21分45秒(average:3'22/km)であった。
答え合わせ
さて、ここまでで練習に対する解説は一通り行ったが、マラソン本番でどう活かされたかの話をしよう。
レース前の練習に対する自己評価
まずはペースに対する余裕度。
3'30/kmの余裕度◎、3'20/kmの余裕度○、3'12/kmの余裕度△。
3'20/kmまではほぼ完成したが、その上の速度帯に関してはその日のコンディション次第と言ったところ。
次に距離は△寄りの○。
多分、大丈夫だが40km走を一度もしていないので一抹の不安が残る。
そしてコンディションも○。
正直、5km×4本でピークアウトしてしまったがそこから9割程度まで戻ってきた。翌週の30kmで追い込まなかった判断が正しかったようだ。
レース評価
まずは入りの1kmは予定通り3'12程度で通過、そこからペースを緩めて集団を形成していく。
折返しの19kmまでは3'20~3'25で推移。ここは20000mPRの感覚で集団の後ろで力を温存して走る。
折り返してすぐに3'10/km前後にペースアップ。5km×4本の練習がピッタリはまった。だがペースアップ期間が7kmになって少し苦しくなる。本当に練習でやった以上のことはできないものだ。それでも3'20/kmに落ち着くと呼吸も整った。
ここまでは及第点。
この後、35kmでのペースアップに対応できずに集団からこぼれ、むしろペースダウンしてしまう。最後の上り区間を3'30/km~3'35/kmで耐えて2時間21分45秒で終了。
今大会は招待選手のレベルが上がったこともあり入賞は叶わなかったが、どうにか当初の予定通りのタイムで締めくくることはできた。
詳しくは次の記事を読んでもらいたい。
本当はやりたかった練習
今回は練習期間の短さと足の状態からやむなく見送りとなったが、元々は計画していた練習がいくつかある。
ひとつが40km走である。目的は単純明快で40kmを走り切る体力をつけること。30kmまではゆとりを持った設定で走り、ラスト10kmをペースアップして行うと、エネルギーが切れかかった状態でエンジンをかけるような練習ができる。
そしてもう一つが30km変化走だ。当初の予定では2~3km毎に3'30/kmと3'20/kmを繰り返すつもりだった。目的は走りながら回復する能力と、やはりエネルギーが切れた状態でのペースアップである。
これをやっていなかったために、2回目の仕掛けに対応できなかったと言っても過言ではない。
どちらの練習も効果は高いが、体への負担も大きく、その後に回復期間を要する練習である。さらに言うとたまたま同じ走力の人が集まって、単調なレース展開になった場合はこの練習がなくても走れてしまう。
総合的に判断して今回は見送りになった(というかそこまで手が回らなかった)が、レース強さをつけるためには必要な練習であることは間違いない。
さらに総合的に見ると練習初期の体作りを急ピッチで仕上げてしまった感も否めない。ここが完成しきっていなかったがために、3'30/kmへの慣れに時間を要してしまったとも言える。
もう少し長く練習期間が取れるのなら、峠走や150分jogなども入れながら、じっくりと距離耐性をつけておきたかった。
また逆にハイペースの練習も足りてなかった。というより補助的な練習でスピードを入れることはあったが、メインの練習としては3'10/kmですらほとんどやらなかった。具体的に言えば16kmPR[3'10/km]などができていれば、3'20/kmの余裕度ももう一段階上がっただろう。
総括
途中で辞める勇気
この3ヵ月で曲がりなりにも目標タイムで走れるようになった最大の要因は状況判断と損切りである。この期間、途中で練習を辞めた回数は7回にも及ぶ。必要のないところで走らないことが、3か月間の練習を一本の線として繋いでいる。
それではその判断基準は何か?
それは練習を最後まで走り切ることが、強くなることに繋がるのかどうか。
もっと言えば走り続けるのと辞めるのとで、目標の大会(今回で言えば神戸マラソン)でより良い結果になるのはどっちなのか。
例えば10/7のハーフマラソン。このときは10km地点で痛みが出始め、17.5km地点で途中棄権した。15kmでもなく20kmでもなく17.5km地点。
上でも述べたが17.5kmまでは得られる効果の方が大きく、それ以降は失うものが大きいと判断したからだ。もし20kmまで走っていたら次のポイント練習を回避していたかもしれない。この2.5kmでポイント練習1回分の効果は見込めない。
そうして練習を続けていくうちにターニングポイントが現れる。それまでなかなか楽にならなかったペースに、急に慣れ始めるときがある。今回で言えば、富津で行った30km走(9/30)と5km×4本(10/21)だ。
だが、この練習1回で強くなったわけではない。それまで練習を継続したことで、その速度での練習量が一定量を越えた段階で身体が慣れてくる。この段階に至るまでに練習を途切れさせないことが重要である。
メイントレーニングと補助トレーニング
そしてもう一つ、10月以降はメインとなるポイント練習は週1回週末のみとし、週中に補助的な準高強度トレーニングを入れてきた。この補助練習は大きく分けて2つの目的に大別される。
一つは3'20/kmというマラソンペースの反復。週末の練習に支障をきたさない程度に距離は短くしつつも、身体に染み込ませていく。特に週末の練習がペースを抑えてのロング系の場合は、忘れてしまわないよう週中にマラソンペースの練習を入れた。
二つ目の目的は週末のメイン練習の準備。週末の練習よりも速いペースを先に入れておくことで、本命の練習のペースにゆとりを作ることができる。
特に上述のターニングポイントになった2つの練習では、どちらも4日前にキロ3前後のスピード練習を入れている。心肺に刺激が入り、足には疲労が残らない程度の設定とボリュームで行うことが肝である。あくまで補助トレーニングだ。
総じて言えるのは、目標のレースを常に意識し続けて練習をすることだ。この3ヶ月間、1日たりとも神戸マラソンを意識しなかった日はない。
これを半年、1年と伸ばしていけるかがこれからの挑戦だ。
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