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やっと日本に戻らないといけなかった理由が分かりました


オーストラリアに残るという選択もできたはずなのに、名残惜しく日本に戻ってきてあっという間に2ヶ月が経過。


帰国してからは姉と喧嘩したり、もっとオーストラリア居たかったなんて愚痴をこぼしていましたがやっと帰国しなければならなかった本当の理由が分かりました。


最愛の祖母が死期が近づいていることの宣告を受けたのです。


今日は祖母との思い出を振り返りながら、最近の出来事をまとめてみようと思います。



ばあちゃんのお味噌汁


正直にぶっちゃけると、私は母の味噌汁があまり好きではありません。(母ごめん)


でも、ばあちゃんの味噌汁はめちゃくちゃ好きなんです。具沢山で、出汁が効いてるのかなんなのかばあちゃんにしか作れません。あの味はどう頑張っても再現できないんですよね。不思議です。


振り返ってみると学校から帰った時、中学生の頃父のリストラで実家が貧乏になった時、看護師として働き始めて久しぶりに帰省した時、いつも気にかけてくれてお味噌汁作ってくれました。


そんなばあちゃんの作る料理はどれも美味しいんです。たまに料理を教えてくれることもあったけど、ばあちゃんごめん習得できてないみたい。多分これからも、到底及ばないだろうなと思ってるけど少しでも近づけるように頑張ってみます。


他にも帰省した時には、いつも封筒に「ほんの気持ち」というメッセージを添えてお金を手に持たせてくれるばあちゃん。ばあちゃんから、気配り・目配り・心配りの心得を学んだ気がします。

終末期を迎えるということ


12月に帰国して、じいちゃん・ばあちゃんの顔を真っ先に見に行くと「こりゃあまだ5年は生きるな!」と思わせるような姿でした。


ただ、ばあちゃんはここ数年骨折を繰り返していて活動量がグッと落ちていました。と言いつつも、自分でできることはしたい気持ちが強い彼女。手を貸そうとしても「自分でできる」と一点張りでした。


ところが、1月に入った頃から急に食欲が低下。かかりつけの病院にも行くけど、「様子見てくださいね」と言われる日々が続いていました。


そして2月に入るとさらに体力・食欲が低下。あれだけ排泄行為は自分でしたいと気迫があった彼女もベッド上で排泄するようになりました。


そんな中で、初めてばあちゃんと喧嘩?のような言い合いをするように。


一筋縄ではオムツを交換させてくれないばあちゃんからぺちっと手をはたかれたり、文句を言われると「なんでこんなことされんといかんのやろ・・・」とやるせない気持ちになったのも事実です。


そんなモヤモヤとしていた先日、医師の方から死期が近づいていることの説明を受けました。


気づくのが遅かったかもしれませんが「体きつかったんだよね、ごめんね」と「待っててくれてありがとう」という気持ちで胸がいっぱいになりました。


おそらくオーストラリアのビザ失効日の3月まで帰らなかったら、こういう時間を過ごせなかったかもしれません。


そして今はただひたすら、看護師として、家族として、孫として何ができるのかを模索しながら過ごしています。


2月も中旬、まだまだ寒い日が続いています。読んでくださった皆様もどうかお身体にはお気をつけて過ごしてくださいね。


私も出来るだけ自分に気を補充しながら、細く長く穏やかな毎日を祖母に恩返しの意味も込めて過ごしていきたいと思います。


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