正しいから、たのしい、そして美しいへ
こんばんは、今日は一歩間違えれば相手を攻撃しかねない「正義感」について私なりの考えです。
みなさんが思う「怒り」や「悲しみ」の原因ってなんだと思いますか?
「自分はちゃんとしてるのに、周りの人は同じように働いてくれない」
「あの人たちの意見はおかしい」
「あなたのため」と言いながらも、押し付けがましいアドバイスをしてるあの人
これらの感情の根底にあるのがまさしく「正義感」なんです。
昨今のコロナ禍では誰も頼んでいないにも関わらず「自粛警察」といった正義感を振りかざす人たちも現れました。
(マスクをつけてない人を注意したり・・・)
私自身はというと、どちらかというと正義感が強い方なので誰かを正したい気持ちはよく分かります。
しかし、それは結果的に自分に対しても厳しくなり、そして周りにも同じレベルを求める傾向があったのでどうしても生きづらくなっていました。
そんな私がゆる〜く、たのしく、のびのび生きていられるようになったのは「正義感」に対する考え方が変わったからだと思います。
この記事を読み終えた時には、正しいから、たのしい、そして美しい正義感について知ってもらえたら嬉しいです。
正義感とは?
そもそも、人はなぜ正義感を抱くのか。
私たち、日本人は小さい国土ながらも他者と協力しながら集団を作り、種を守ってきたという背景があります。
社会性を保つ為にも、異質な者を制裁し排除する必要がありました。
この誰かを排除する、ルールを従わないものには罰を与えるという行為=誰かを制裁しようとする正義感は一種の快楽をもたらしながらも、私たちが生きる上で必要だった本能の一部かもれません。
しかしこれらの行動には、脳内では快楽物質である「ドーパミンの分泌」が関係しているという研究結果があります。
不倫のニュースが絶えないのは、社会性を逸脱しながも不倫を愉しんでいる芸能人を「正す」そして制裁という名の「叩く」と言う行為が一種の快楽を生んでいるからだと言えます。
これらはいじめでも同じことが言え、異質と感じる者を「間違ってるから正す」に始まり、「自分は正しいことをしている」と制裁しながらも得られる快感を感じているのです。
こういった流れから、いじめ、SNS上での批判は止まることなくヒートアップし、大きく括れば右翼・左翼などの対立、国家間の対立が起こるのも根底には「誰かの強い正義」が関わってるのかもしれません。
正しさから、たのしさへ
私たちは、無意識に「こう生きなければならない」と自分に課してる気がします。
私の場合だと、「あなたの歳なら〇〇な状態であるべき」などと家族を初め周りから言われなくても圧を感じるものです。
(例えば、結婚するべき、子供がいるべき、ちゃんとした職業についておくべき・・・など。)
果たして、この価値観は誰が作ったのだろうか?
そしてそれを誰が正しいと決めるのだろうか?
こういった価値観から不自由さを感じたり、それらがフラストレーションになり相手にも同じレベルを求めてしまったり、トゲトゲしくなってしまったりという悪循環を生んでしまっていたことに気づいたのです。
「べきだ」とか「ならねばならない」という「何が正しいのか」という考えにがんじがらめになるのをやめて、「自分にとって何が楽しいのか?」を軸に考えてみるとしがらみから解放され、自分を許し、相手を許せるようになったのも事実。
結果的に、相手に求める「〜べきだ」も少しずつ緩和されお互いを受け入れられる余白ができるのでは無いでしょうか。
たのしさから、美しさへ
私は、正しいから、たのしさ、そして美しい判断をしようと心がけるようになりました。
これは結果的にどういう自分で在りたいかに繋がってきます。
「正しいか、正しくないか」ではなく
「美しいか、美しくないか」を基準に考えてみると自分の行動を振り返ることができます。
正しさの多くの場合は、社会が決めた価値観や常識といった、人が生きる上で決められたルールに基づいたもの。
日本での常識は、海外では非常識と言われるようにそれほど当てにならない見えない基準だと思うんです。
だからこそ、個人が活躍できるこの時代に「正しい」だけを基準と考えるのではなく「自分はどう在りたいかが重要になるのでは?」とひっそり感じてる今日この頃です。
さいごに
この記事は誰かの参考になればいいな〜と思いつつ、過去の自分に書いてるようなものです。
白黒はっきりつけないと相手が何を考えてるか分からなくて、答えを聞くのを急かしたり、相手からの返事が待てなかったり、自分の想像で相手はこんな人だと判断したりして人間関係で失敗することが多かったんです。
そして、自分を自分で満たせないから目先の快楽として誰かの悪口を言ってみたり、正しさという仮面を被りながら批判する側に回ったり。
正しいと判断する前に、人間の本能的な部分を知り、それを踏まえて考え方・見方が変わるきっかけになると嬉しいです。
こう偉そうなこと言ってる私ですが、今も余裕が無くなったら「せっかちユリ」が登場します(笑)
(それもご愛嬌ということで。)
目先の快楽で誰かを叩く風潮が少しでも減ればな〜と思います。
しかしながら、「ん?何が言いたかったんだっけ」と思いながら書いたので、ぜひ「ここがよく分からなかった」等のコメントをいただけるとうれしいです☺️
では、今日も最後まで読んでくださりありがとうございました〜。
おやすみなさい。
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