おもしれぇ現実 4月編 3話「握力」
4月5日、桜満開のこの日、俺は大濠公園の桜並木通りを全力で走っていた。彼女との花見デートの待ち合わせに遅刻した俺は腰痛が突っ張るのをこらえながら、とにかく足を少しでも早く前に突き出すことを繰り返しながらどうやって謝ろうか考えていた。
いや、そもそも謝って済む話ではないことくらい頭では分かっている。ただ一つ俺が他人の気持ちを踏み躙ってしまったという事実だけが胸中に深く突き刺さっている、届かない誠意に意味はないと昔自分で書いたがそんな事はどうでもいい、許されたいという気持ちが一番低俗だという高校時代からの信条もどうでもいい、たおやかな流れの川を水切り石が跳ねるが如く、俺は雑踏を駆け抜けて待ち合わせ場所に行く。
待ち合わせ場所にはシートの上に一人ポツンといる彼女、一も二もなく跪いき相手の手を握りながら謝罪する俺、冷め切った目線が返答を告げるようで走り出したくなるような衝動に駆られるが、俺はじっと相手の目を見続けた。
「ネイル新しくしたんだ」「その髪留めも新しく買ったやつだよね」「上着かわいいね」「作ってきてくれたお弁当めっちゃ楽しみ」合流したらいの一番に伝えようと思った言葉も、口に蓋が張り付けられたように出てこない。それはそうだ、そんな言葉なんてこの状況では全て嘘になってしまうどころか、相手をより深く傷つける毒にも刃物にも変わりうるのだから。俺の手にこもる相手の握力がものを言わずとも痛いほどにそう伝えてくる。いっそ爪を立てて、噛み付いて、殴り倒して罵倒してくれた方がまだ救われるというものである。
彼女の頬に伝うそれに気がついた俺は若干語気を強めて「本当にごめんなさい」と言うがもう何を言っても無意味であると二人の間にのみ存在する冷たく静謐な匂いが決定づけている。
ここに至り俺は「どうすれば許してもらえるのか」ではなく「これまで過ごした時間の中で俺はたくさん許してもらっていた」という事実に気がついた。
『なるべく早く連絡返してね』『お互い忙しいし会えそうな日があったら出来るだけ会おうね』『行ってみたい場所たくさんあるから2人で予定立てようね』どうしてこれまでの俺のわがままに付き合ってくれていた彼女の頼みを少しでも聞いてやれなかったのか。憤懣と寂寥と後悔が激しい明滅を繰り返すような思考の横断歩道で俺はむこうに渡ることが怖くて、そこから何も言えず彼女の手を握っていた。ためらう時間の分だけ相手がずっと遠くに言ってしまうような心地でさらに焦りが増す。
あしたも桜は満開らしい
どんな理由があっても女の子を泣かせる奴は問答無用でクズである
女泣かせてまで握るマイクのなにがHIPHOPか
おもしれぇ現実 3話 完