見出し画像

岡山駅と岡本太郎

岡山駅前の大きな噴水(ピーコック噴水)が、「もう無い」と聞いてちょっと淋しい思いを感じてしまった。郷愁かなぁ。

噴水はとても大きくて、見ようとしなくても必ず視界の隅には入る、季節によってはライトアップされていたり、全然水が回っていなくてウニみたいな外観を晒していたり、「只者では無い」感を常に醸し出してくれている造形物だった。
子供が出来て年に2-3回、帰省するときは、必ず噴水の前で写真撮ってたしね。

あと、岡山駅で私に強烈な印象を残しているのは、岡本太郎氏の壁画、
「躍進」

小さな頃、新幹線の改札口の手前でみるあの壁画。
改札を入った向こう20m位のところにある、視界を覆う巨大な壁画。
子供にとって改札の向こう側に行く、というのはとても高いハードルで、それと相まって
「いつか改札を抜けて、あの絵を目の前でみたい」
という思いがとても強く湧いていたことを覚えている。

で、実際初めて目の前まで行った時、多分ホームまで上がって誰かをお迎えかお見送りかをするためだったと思う、だからじっと見ている時間などなく、急かされるまま壁画真横にあるエスカレーターに乗せられた。
私はその誰かよりも、ついに壁画を目の前で見ることができるということが嬉しくて、改札を通る前から目は釘付け、歩くたびに大きく視界を覆っていく絵、エスカレーターに乗る手前で、我慢できずに壁画にそっと触れてみて密かに感動したことを覚えている。

1970年代の薄暗い蛍光灯の下に設置されていた故のある種のおどろおどろしさ。私の子供心に「シュールレアリスム」を印象付けた作品。

そんな壁画も、岡山駅の改装に伴って、改札を通らずとも見える場所となり、ある時から見かけなくなり、現在は別の場所で展示されているとの事。

「美術品になってしまった」
というのが実は率直な感想。なんかすごく勿体ない。。。
文字通り「目の前」で見ることができ、(子供故?)触れることも許された作品が、ちゃんと芸術として扱われいる。喜ぶべきことなのだろう。

約50年前に室内の蛍光灯の下で見た私が私なりの芸術を感じたように、太陽光の下で「躍進」を見て何かを感じる現在の子供がいる。
この「躍進」のイメージや解釈は変わっていくかもしれない、でも存在し続けていく。

次に岡山に帰った時には、ぜひ見に行こうと思う。
岡本太郎氏にまた魔法をかけられに。


--
本日もお読みいただき、ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?