ウィンクしながら生きていく。

世界、今年も何卒よろしゅうに。

娘の4、5歳ぐらいの頃のスナップは、とにかく殆どがウィンクをしている。しかもぜんぜん上手じゃなくて、どれもこれも「クシャッ!」ていう音が聞こえてくるようだ。でも、当時の彼女のご機嫌の瞬間を記録するための最高の顔面表現の手段が「クシャッ!」だったことがとてもよく解るので、全部が最高の写真だし可愛い。かく言う私は昔から、写真に映るのがとても苦手です。馬鹿みたいな自意識にとっ捕まっちまって、表情もポーズもどれもいつもぎこちない。中学校の卒業写真とかマジで最悪。「無意味な緊張」というタイトルで小さな写真展に出したら、目利きのプロにはそこそこウケそうです。



ウィンクって、サインじゃん。非言語コミニュケーションだよね。「ナイス!」「私を見て!」「例のアレだよ!」「内緒ね!」だったり、「だめだめ!」だったりする。人気アイドルがファンの皆さまに放つ『好きだよウィンク』なんて、完全にミサイルだ。ツールとしては真意が伝わらないことも多いにあるだろうから、非言語とはいえ、なんなら言葉とあまり変わらない気もする。深いな、ウィンク。(そーでもない)



そんなことをダラダラと綴りながら、なんのメッセージもないけれどウィンクをちょっと練習してみたんだけどさ、あら不思議!ちょっと楽しくなってきたぞ!?!?想像してください。。真夜中にお酒を煽りながらPCのモニターに向かってウィンクを連発する中年の主婦を…。めっちゃ怖いよ!!


でも、なんか楽しくなるのは本当で、
なにこれ初体験だわ。


自分の中の、どーーーーーーーーにもならない気分を変えるためのスイッチは年齢を重ねれば重ねるほど効力が弱くなる。こちとら割りかし場当たりのマインドコントロールは下手ではない癖にハイスピードな0-100みたいな往来が生態なので、スイッチには段々と頼れなくなることを知ってしまうと頼らなくても済むようになるし、少しづつ頼らずに済むようになってここまで来た。それは年の功とか心の筋肉とか安定と言って仕舞えば悪くないどころか望ましいことだろうとも思うのだけれど、その分だけ色んな感度が鈍くなる気がしてしまう貧乏性。だから、いやらしいのかもしれなくても出来るだけバランスを取りたい。生活から〝どーーーーーーーーーーーーーーにもならない気分〟がなくなってしまうと、きっとつまらない。だから私は、それを尊んでいく。
2024年の所信表明です。


愚図愚図に、ウィンクを。
クサクサにも、ウィンクを。
ドロドロの疲労に、ウィンクを。
イライラのメキメキに、ウィンクを。
果てしなくみえる落下にも、ウィンクを。


これは良いかもしれない。




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