私の家族はお喋りが大好き。

今の家族も、もとの家族(実家)も、です。めっっっっっっっっっちゃ喋ります。厳密に言うと実家の私の弟2人は〝スイッチを入れてあげれば〟っていう前提なんだけど、両親は勝手に喋ります。今の家族は主人も娘も勝手に喋ります。ひとことに『お喋り』と申しましても、色んなスタイルがあります。私はお母さんになる前に他人のお喋りを聞く生業で身銭を稼いでいた期間が長かったから、どんな毛色のソレにも対応できるつもりでいるけれど、御免アタイも本当はお喋りが大好きなので、喋り過ぎてしまうこともあるわよねー。


昔、私が4歳か5歳ぐらいの頃の茶の間の環境音を録音したカセットテープが家にあったんです。それを父親が得意げに聴かせてくれたのは私が思春期前期のタイミングだったんだけど、もうね、引くぐらいずっと喋っていて驚いた。しかも要らんほど大きな声。よくある子どもの寝る前のテンションアゲアゲの時間帯だったらしく、両親の合いの手は踏んだり無視したりしながらトークはあちらこちらに飛ぶし、聞いたことのない技名みたいな単語を繰り返し叫んでいるし、ほぼ怪獣。母親曰く、ほぼ毎晩がそうだったとのことです。私自身は、そんな日常を1ミリも覚えておりませんでした。でもね、3歳前後の娘の寝かしつけで延々と喋り続けて寝ない彼女に付き合っていたら2時間以上が経っている………、あの苦行にある程度耐えられたのは絶対にあのカセットテープの音源を中学生の私がウゲーとなりながらも面白がって聴いていたっていう幸せな想い出があったからなので、とーちゃんかーちゃんマジでありがと。如何ともしがたく、血は争えないのだぜ。


お喋り、楽しいよね。
私は、お喋りの往来の景色が好きです。


丁寧な説明や的確な補足で周辺の景色も同時に見えたら素晴らしいのだけれど、それにはこちらの想像力とか相手との関係性と時間による情報量も必要だから、そんなん全く関係がない発話の単純なラリーでも美しくて、複数人だったら私が知らないコトが飛び交っていたりしても一興だし、大人になってからはそこにお酒が伴っているケースの方が多いけれどアルコールの深度は必要がない。バカみたいなもしもだけど、私がこの感覚を持ったままで寝なくても食べなくても稼がなくても大丈夫な機械だったら、ずっとやっていたいなって思う。嘘もほんとも経験も未来も、ままならない悩みも期待も、絶望も希望も全部ぜんぶ綯い混ぜにして、いつまでだって遊びたいな。


現実アタシは機械ではないし常時遊んでいるだけでは暮らせないから、まっこと残念至極無念。でも日々に遊びは置いておきたいから、こんなお喋りみたいな備忘録を気まぐれに残したり、時々はあちこちの皆さまとお喋りをしたりして生きていく。



ねぇ、今度はいつお喋りをする?



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