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障害が分かった時に思ったこと

私は、発達障害と分かった時は、今から8年前の2016年の12月のことで、当時中学1年の13歳でした。診断名は、広汎性発達障害(今の自閉症スペクトラム障害)でした。そもそもの話、私が児童精神科にかかることになったきっかけは、夏休みに小学生の時に受けたいじめによるフラッシュバックからの自傷行為などのストレス反応があったからです。8月に初診をして、いじめ後遺症だと思われていた私の治療が思わぬ方向にいったのは、9月頃のこと、一通り成育歴を聞いた主治医は、いちど、知能の検査を受けてみませんか?と言ったそうです。そして、検査を受けました。その結果が12月に分かり、グラフには凹凸があり、日常生活に支障をきたしていると言われました。確かに、小さい頃から自分に自信がなく、苦手なことが多く、劣等感に満ちた生活を送っていましたし、生きづらいなと思っていました。幼稚園でも馴染めず、実際小学校の先生から、集団行動についていけていないと指摘を何度も受けていましたし、学校に馴染めずにいじめを受けていたのです。係活動が一緒だったクラスメイトから、作業が遅くて、頭を叩かれたこともありました。「何でこんな簡単なことも出来ないの?」、「○○の考えは間違っているに決まってる」、「キモイ」、「死ねよ」、「消えろ」、「なんで学校来てんの休めばいいのに」、「○○菌が移る」そういったことを毎日、言われていました。そんな色々な経歴を見て総合的に診断されました。発達障害とわかった時は、本音を言うとショックでした。発達障害の本には、空気が読めないとか、気持ちが分からないとか書かれていたり、困った人や変わった人と書かれていて、自分は、周りから見て「迷惑な人」なんだと思い、ショックを隠しきれませんでした。自分は、皆と同じように人生を歩めないことを受け入れることは簡単ではなく、最初は、「死にたい」と思っていました。いじめ後遺症でこんなに辛いのに、さらに、脳の障害なんてと悲観的になり、絶望していました。受容が出来ず苦しんでいる私を見るなり、「悲劇のヒロインぶっている」と言われたこともありました。この頃は、「なんで私だけこんな辛い思いをしないといけないの」と思い、凄く追い詰められていました。自分を責める毎日で、まるで「イジメられても仕方ない」と言われているようで、すごく辛かったです。いつの間にか、いじめ後遺症の治療ではなく、発達障害の治療に変わっていました。ただ、発達障害特有の生きづらさは、感じていたので、スッキリしたこともありました。しかし、今は、心のことを相談しても、主治医は、「発達障害」しか見ていなくて、「私」を見てくれないので、自殺未遂の時も話を聴かずに決めつけて強い薬を出されたりしただけで何の対応もしてくれませんでした。入院治療ができない病院だったので、今でも薬を服用しながら、生活しています。この生活を学校に行きながら、今後は仕事をしながら続けていきます。発達障害と言っても、それぞれ個人差があるので、その人自身を見てほしいなと思っています。

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