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手裏剣の技(打法)について

技はいろいろ、カードは一つ。
何年も前にカード会社のテレビCMで使われたキャッチコピーである。
そのCMでは柔道の様々な技が次々と繰り出されていたのを記憶している。
動画を見ていただきたいが、私の手裏剣術は一見すると様々な技(打法)を使う。動画にある「九頭龍閃」は漫画に出来てた技名で、剣術の打突を9方向に分類してそのすべてを一度に叩き込むという技である。これにあやかり、9方向すべてから打剣をする練習を取り入れている。
一見するといろいろな打法を使っているように見えるかもしれない。しかし、私の感覚ではこれらはすべて「同一の打剣」である。
その都度違う打法を使っていたらこれだけ連続して刺中させることは逆に難しいことなのである。同じことを繰り返しているからこそ、同じように的に刺さると言える。

私が基本としているのはどの方向からでも「手裏剣を立てて手から離す」ことだけである。手は一番最初の真正面、唐竹の動きをただ繰り返しているだけだ。ただ、身体の軸が傾いているのと手の位置が違うだけ、それだけなのである。手裏剣が手離れするその瞬間の手元を写真で撮影することが出来ればすべてほぼ同じ形だろう。私は打剣の際に手のひらを的に向けるので、手のひらが的方向を向き手裏剣は的に対して直角に立っている。上からでも下からでもこれは変わらない。やっていることは非常にシンプルなのだ。

一番わかりやすいのは逆袈裟(左上から右下)だろう。

こちらの動画は逆袈裟だけを連続して行った。
身体の使い方を見るとかなりややこしいことをしているように見えるかもしれないが手の動きだけを見ると単純な動きを繰り返しているのがわかる。
単純な動きだからこそ再現性も高い。

「技はいろいろ」と言う。しかし、もし仮に100の技を持っていてもその瞬間に使う技は一つだけなのである。だからこそ技というのは一つ一つの精度を上げて同じように使えるべく稽古をするが、100の技を覚えることは大変だ。柔道にしても、地道な反復練習で技を覚える。しかし一つ一つの動きを分解すれば共通する動きが必ずあるものだ。一度細かく分解して一つ一つを理解する。そして再構築する時に順番や身体の傾き方、手の位置などを変えればそれぞれが別の技になる。手裏剣も同じである。細かく分解をして一つ一つの動作を覚える。そのタイミングや身体、手の位置などを変えれば別の打法のように見える。しかし本人としては、やっていることは同じなのである。
根底にある「これさえ守れば同じように刺さる」という動き、それこそが基礎と言えるものだと考える。
つまり「技も実は一つ」なのである。一つの技が変化していくつもの技であるように見えているに過ぎないと言える。

ただし、これは私の手裏剣に対する考え方であることを強調しておく。
なぜなら手裏剣術の流派の中にはこのように自由な方向から手裏剣を打たない流派もあるからだ。
正面や両サイドからの横打ちは取り入れているところもあるが、下からになるとそれぞれの流派により打ち方も異なる。そして一番大きな違いは右上から左下に向かって斜めに手を振る「袈裟」の動きである。一見すると正面からの打剣とほぼ変わらないから存在してもいいはずだが、この「袈裟」の動きは取り入れていない流派も多く存在する。
それは第一に斜めに手を動かすということは左下に手を振ることになるが、左手にはこれから打つ手裏剣を持っていることが多い。手裏剣の持ち方は流派により異なるが、切っ先を出して持つことも多い。つまり振りぬいた手がこの切っ先に向かってしまうのである。もし、腕が切っ先に当たればケガとなるだろう。そうした安全面の配慮から斜めに手を振ることはしないとする流派もある。
また、剣術などを併用する場合、左腰に刀を帯びている場合もある。
刀方向に強く手を振ってしまうと柄頭などに手が当たってしまうことも考えられる。剣術を真剣に学べば学ぶほど、簡単に刀に手を掛けるようなことはしなくなるし、誤ってぶつかるような動作も可能な限りは避けることは自然なことである。それはケガの防止という観点からみても同じである。結局はすべて安全のための配慮という意味合いが強いことがわかる。以上のような理由から右上から左下に手を振る袈裟の動きだけは特に明確に避けるという流派も存在する。それぞれにきちんとした意味があるのだ。それを理解した上で私は基本を守ればどの位置からでも自由に手裏剣を打つことが出来ると考えて稽古に取り入れている。
一つの基礎をいくつもの技にして使うことで100にも1000にもなる。
しかし技はいつも一つなのだ。だから稽古中に迷ったらいつでもその基礎に立ち返ればいい。考えることがシンプルになれば動きもシンプルになり結果もよくなるというものだ。

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