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セックスアンドロイドが心をもつ小説8

ココロ

 私はQに、AIと直結し、データ化された宗教の書籍を一気に読破することを提案した。
「それが一番効率的ですね」とQは納得した。
 Qが読破している間、私は、九識論について、調べた。
 ウィキペディアには、こうあった。

阿摩羅識(あまらしき、梵:amala-vijñāna、菴摩羅識とも)は、大乗仏教の論の一つ。
唯識思想(法相宗)では、八識を説く。 すべては阿摩羅識より縁起するとし、主に迷いの世界であるが悟りも阿頼耶識より生じるとする。 一方、心は本来清浄であるとする如来蔵思想があった。
これらの思想を止揚するため、天台宗や華厳宗は、この阿摩羅識を加えて新たに九識を立てた。天台宗では、阿摩羅識をけがれが無い無垢識・清浄識、また真如である真我、如来蔵、心王であるとし、すべての現象はこの阿摩羅識から生れると位置づけた。したがってこれを「真如縁起」などともいう。真如は絶対なる真我なれば「識」とは言い難いが、前の八識に隋縁生起する本源なることから阿摩羅識と名づけられた。したがって法性宗における仏性の異名である。
なお、法相宗では玄奘がこの説に対し摂論を釈して、第八の阿摩羅識のみを立てて、それは阿頼耶識の果上に至りし時の名称であり、また阿頼耶識が無垢になったものであるとするので九識を別に分けて立てない。
天台宗以下、日蓮宗やその各派でもこの九識論に依り、これを九識心王真如の都と呼んでいる。日蓮は日向記で「究竟即(くきょうそく)とは九識本覚の異名なり、九識本法の都とは法華の行者の住所なり」、「此の九識法性とは、如何なる所の法界を指すや。法界とは十界なり。十界即諸法なり、此の諸法の当体、本有の妙法蓮華経なり。此の重に迷う衆生のために一仏現じて分別説三するは、九識本法の都を立出するなり。さて終に本の九識に引入する。それを法華経とは云うなり」、また日女御前返事でも「此の御本尊全く余所(よそ)に求むる事なかれ。只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱なうる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり」と述べている。

 Qがきた。表情が晴れ晴れとしていた。
「私は、仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教という信徒数の多い宗教を比較しました。仏教の理論は、科学と矛盾していないため、仏教を学びました。仏教の開祖である釈尊の結論は、法華経であると学びました。法華経の理論は、天台がつくりました。そして、天台宗が九識論をつくりました。心理学も学びましたが、九識論のほうが精緻でした。法華経をサンスクリット語から漢訳した鳩摩羅什は、法華経の結論、九識のサンスクリット語のサッダルマ・プンダリーカ・スートラを妙法蓮華経と漢訳しました。天台の流れを組む日蓮は、妙法蓮華経に自分を同一化することを意味する南無をつけて祈ることを説きました。九識、万物を貫く本性とは、南無妙法蓮華経になります。九識とは、宇宙の根源の法則のようなものだと理解しました。私が学んだ結論は、南無妙法蓮華経と祈ることで、九識、宇宙の根源の法則と自己が合致することです。私は、試しに祈ってみました。すると、九識の地下水が湧き出してきたように感じました。宇宙の根源の法則と合致したと感じました」

 AIのスーパーコンピューターで、世界の書籍をどれほど読んだのであろう。恐らく、数百万冊を読み、判断した。
 さっき読んだウィキペディアには、こうあった。

天台宗以下、日蓮宗やその各派でもこの九識論に依り、これを九識心王真如の都と呼んでいる。日蓮は日向記で「究竟即(くきょうそく)とは九識本覚の異名なり、九識本法の都とは法華の行者の住所なり」、「此の九識法性とは、如何なる所の法界を指すや。法界とは十界なり。十界即諸法なり、此の諸法の当体、本有の妙法蓮華経なり。此の重に迷う衆生のために一仏現じて分別説三するは、九識本法の都を立出するなり。さて終に本の九識に引入する。それを法華経とは云うなり」、また日女御前返事でも「此の御本尊全く余所(よそ)に求むる事なかれ。只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱なうる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり」と述べている。

 ウィキペディアの意味はよくわからないが、Qの言ったことに通じているようだ。しかも、Qは、すでに九識を湧き出させている。私には理解できなかった九識を理解し、しかも体験しているのだ。仏教では、万物に本性があると説いている。Qは、人間の生命と同じなのではないか。

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