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スピリチュアル「見えない存在」

家庭菜園のフェンネルが、ものすごい勢いで成長し、花を咲かせています。
美しい~。真っ青な青空に映えます。多分、秋口には実(種)がなると思うので、収穫が楽しみでもあります。

☆彡

20日。久しぶりに上京し、八重洲から南青山までタクシーに乗ったおかげで
私が東京生活でパワースポットにしていた皇居の前を通り、国会議事堂を通り……他、懐かしい場所を少し観光しながら目的地へ着きました。嬉しかったです。私の場合はいつも電車と徒歩でしたが。

辻さん個展会場の画廊から、炎天下の中、日傘をさすのを忘れて地下鉄の入り口まで歩きましたが、不思議な事に、骨董通りをぬけ大通りに出たら、途中から私の周りが、ひんやりした空気に包まれました。最初は熱風でしたが。「あれ?」と思う不思議な感覚でした。なぜなら、風ではなく包まれる感覚だったからです。「ありがとう」と言いながら電車に乗ると、その感覚は消え、機械的な冷房が体を包みました。

思い起こせば、かって修験道がいたお山に行くと、いつも助けがあり、始めはしんどくて歩けなくても、途中から背中を押してくださったりして、信じられないスピードで歩いたりできていました。もちろん、帰る時はお山に向かって、きちんと一礼をしてお礼を申しあげました。

50歳ごろ、ある事でとてつもなく傷つくことがあり、生れて初めての激しい怒りに襲われたとき、パラレルが変わったように、様々な現象を見せられました。まるでホラー。その頃の自分が写っている写真をみますと、確かに変です。何か憑いた記憶はあります。その存在が、見せてくれていたのかもしれません。

その中でも、ある生きものの存在が、私に何かを知らせようと様々なシーンで現れました。そばに居た友人に話しても、「それが何?」と言う感じで、普通にあたりまえにいる生き物としてしか映っていませんでしたので、ある時から話すのをやめました。それは、今もたまーにありますが、「そうなのね。お知らせありがとう」と言って、流しています。「もう、勝手にすれば」で、私にとってほとんど気にならなくなりましたから。

他、ある時期から、人の顔が全く違って見える現象が起こり、その時は、その人に憑依しているものがみえていたのだと今ではわかります。私は霊は見えませんが、人の顔の変化はわかります。ついでに、憑依されている人は、他の特徴として手や指が変化します。もとにもどると、手も指も元に戻ります。瞳も違ったりしますね。でも、他の人にはわからないようです。

例として、初盆で親族の家に行ったとき、姉妹で駐車場まで出てきてくれましたが、妹さんの方の顔が全く知らない人になっていて、私は愕然としました。「どうしょう」とおもったのです。お姉さんの方は変化がないので、あきらかに違いが判りました。弟家族と一緒でしたが、弟家族は見えないようでした。途中で、妹さんの顔は元に戻りましたが、その前に、私は出されたゼリーを気管にいれかけ、生れて初めて誤飲で死ぬ思いをしました。幸い、激しく咳き込みすることができ助かりました。

あれ以来、コロナ禍もありますが、お姉さんの方は会う機会があり会いましたが、妹さんの方は会っていません。それでいいのだと思います。

ネガティブな憑依もありますが、幸せオーラ満載のものもあります。
高い次元の方のサポートを受けている方は、やはり輝いておられます。
どんなに優しい笑顔でも、嘘は嘘で、とっつきにくいような顔のかたでも
輝いているものは輝いています。

物心ついた時から、様々な感じる事があり、両親から黙るように言われていたのは、真実が見えていたのだと、今頃になってわかってきました。
人間は、いがいや真実を言われると拒絶反応をしめすものだというのが
随分になってから理解してきました。ま、この私もそうですが。笑

何故今日、このようなことを書いているかは自分で分かりませんが、この世界は、様々な存在で形成されていて、それが見える人も居れば、見えない人も居て、その現象は、無意識で自分で選んでいるのだと思います。それは、その人にとって、今世で必要な現象なのかもしれません。

私は、人の顔が違ってみえることで、自分を守っている気がします。
これは自分自身もそうで、朝、自分の顔を鏡で見て、あれ?と思うような気になるときは、感謝の言葉や般若心経や「南無観世音大菩薩」を唱え、夜のお風呂に、エプソムソルトをいれ、浄化しています。

この世界は、波動の世界でもあるので、日々、自らを浄化し、人生を精進して生きてゆくことも自己責任なのだと思ったりしています。

さて、今日も猛暑です。
水分、塩分補給をして、気を付けて過ごしたいとおもいます。

ありがとうございます。