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(短編小説)目撃者


 木野和也は恋人の理央と先月開店したばかりの大型ディスカウントストアに来ていた。全部を見て回ったら、おそらく一日がかりになるだろう広い店内は、食料品から日用品、寝具や家電まで何でも揃っていて、おまけに安い。婚約中で、新しい物件を探していた二人にとって、生活必需品が一ヶ所で手に入るこの店はこの上なく魅力的だった。
「近くにこんな所があったら便利だわ。何でもあるし、夜の九時まで営業してるから、仕事終わりでも買い物に寄れるもの。あら見て。お酒やすーい。
ビール6缶入り、いつも買ってる所より150円もお得よ」 
 はしゃぐ理央と生鮮食品売場に移動した時だった。レタスの棚の前で商品を選んでいると、突然、ドン、と和也の太ももに何かが当たった。
 驚いて見下ろすと、子供が立っていた。二、三才ぐらいのおかっぱの女の子で、はぐれた母親でも探していたのか、走っていて気付かずに和也にぶつかってしまったらしい。たいした衝撃ではなかったが、和也のジーンズに小さなシミができていた。見ると女の子から鼻水が垂れていた。
「あら、大丈夫?」
 理央が声を掛けたが、女の子はそのまま走り去っていった。どうやらけがなどはしてないようだった。和也はおかっぱの後ろ姿を見送ってから、ジーンズのシミに目を落とした。
「せっかくのビンテージ汚れちゃったわね。ティッシュあるわよ」
 理央は肩に下げていたバックからポケットティッシュを取り出して和也に渡した。ありがとう、と受け取った和也は「迷子かな」と言って拭いた。11万円もしたお気に入りのジーンズを汚されても決して怒らない。和也の穏やかな人柄を理央は素敵だなと思った。
 その直後、うわーんと泣き声がした。見ると先ほどの女の子が腹這いになって通路の真ん中で倒れていた。今度はつまずいて転んだらしい。あらあらと理央は心配そうに体を反らしてそちらを気にした。その時だった。

「あなたのせいよ!あなたがやったんでしょう」

 店内専用の赤い買い物カゴにトマトともやしとドレッシングを入れてる、見知らぬ女が和也の前につかつかとやってきて言った。二十代半ば頃、和也と理央よりやや年下と思われる女性は、胸元までのパーマのかかった茶色い髪に、スタンドカラーのくるぶしまであるモカベージュのワンピースを着ていた。少しつり目で、薄い口唇にはざくろ色の口紅が塗られていた。

「あんな小さい子にひどいわよ。なんてことするの」

 身に覚えのないことに捲し立てられ、和也は驚き、理央は困惑していた。「待ってください。私達なにもしてません。ここにいて、泣き声がしたと思ったら、あの子はもう倒れていたんです。こんなに離れてるのに、どうやって転ばせることができるんですか。変な言いがかりはよしてください」
 理央が説明しても女は頑として引かなかった。そのうち買い物客たちの視線が集まってきた。ある者は怪訝そうに、ある者はニヤニヤと物見高に見物していた。気弱そうな男性店員が、おろおろしたまなざしで止めに入ろうかどうしようかと機を伺っていたが、そのうちそろりといなくなっていた。自分たちでなんとかするしかなさそうだった。
「そんなに言うんでしたら、あのお子さんに聞いてみて下さいよ。僕が押したのかどうか。そうすれば分かりますから」
 和也が言っても女はまだ睨み付けていた。潔白を晴らすために女の子の方に歩き掛けたが、店員の女性に起き上がらせてもらった子供は、泣き止むと同時にまたどこぞへと駆け出して行ってしまった。あっ、と理央は思わず声を出したが、わざわざ追いかけるのも違う気がした。そんなにムキにならなくても、こちらに一切非はないのだ。そう思いながらも、わけの分からない糾弾を浴びせられた怖さと悲しさで涙が溢れた。大丈夫だよ、と囁いて、和也は理央の肩を優しく撫でた。
「ともかく僕たちはずっとここにいました。店員さんでも誰でも聞いてみればいい。なんなら防犯カメラを確認してもらっても結構ですよ」
 和也はカゴに入っていた商品を棚に戻すと「帰ろう」と理央を抱きよせて店の出口へと向かった。
「せっかくいいお店だったのに、もう来たくないわ」
 理央はハンカチで目頭を拭きながら洟を啜った。
「他にもいい店はたくさんあるよ。また探せばいい」
 理央を慰めながら和也が後ろを振り向くと、あの女はまだこちらを見ていた。口をへの字に結び、苦々しい顔つきで和也を見据えていた。きっと頭がおかしいんだわ。理央は彼に目を合わせない方がいいと忠告した。
 歩きながら和也はジーンズに残っているシミを見下ろした。全くこれのせいだと思った。やっと手に入れた希少品なのによ。クソガキめ。
 そうして店の外に出て、もう一度背後を確めてから、心の中で呟いた。

 
  
  

   せっかくうまくやったのに。 あの女もエスパーだったのか。

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  #創作大賞 、恋愛小説部門にて連載中です
  「いいかげんで偽りのない僕のすべて」
  お時間ある方は①から。ない方は①だけでもいいので読んでみて下さい
  宜しくお願いします🙏
  文芸雑誌主宰の新人賞と並行して書いてるので腕が痛いっす。
  なのに短編が書きたくなる。困ったものだ😖💧

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